ぐず、もぐ、ごくん

※過去捏造

 

湯気の立った温かい料理を前に、拾ったばかりの子供は、何度も俺と料理を見比べた。ぐぅ、と腹が鳴ったが、一向に手を付ける様子がない。

薄汚れた体を湯の中へ突っ込み、がっしがしと石鹸で洗ったのがいけなかったのか、警戒とも敵意ともとれる視線はとても刺々しい。身に付けていた衣服も汚れ、擦り切れていたから剥ぎ取り、今は俺の服を着ていた。服が大きいせいで、襟元から鎖骨や痩せた肩が覗く。不健康な白い肌には、殴られた跡や切り傷があった。飯を食わせた後は、手当てをしてやらねばならない。けれど今は見て見ぬ振りをし、料理の皿を指で押す。

びくんっ!と体を跳ねさせ、眉間に皺を寄せている。咽が鳴り、目が料理へと釘付けになっているが、手を伸ばす様子はない。ああそうか、と思い立ち、皿の上に乗っていた蒸した鶏肉をひとかけら取り上げ、口の中へ放り込む。香辛料の匂いが鼻腔をくすぐり、舌先にあたたかい鶏肉が乗る。やわらかい肉に歯を立て、噛み砕き、飲み込む。じんわりと舌に残る旨味に頷き、口を開けてみせた。

「うまいぞ」

子供は、じっと俺の口を見つめた後、目の前の皿へと視線を落とした。再度、俺を見る。それから思い詰めた表情で、おそるおそる鶏肉を指先で摘んだ。匂いを嗅ぎ、舌先で軽く突く。また匂いを嗅ぎ、ためつすがめつ一切れの肉を見ていた。冷めるだろうに、と思ったが黙って見守る。ぱく、と端っこに噛みつく。もぐもぐと唇が動く。唇が動くたびに鶏肉が口の中へと移動していく。口の中に収めた後、顎が動いて咀嚼する。ごくん、と咽が嚥下する。何故だか、深く息を吐き出した。おかしくなって目を細める。

「全部、お前のものだ」

「…………」

子供は俺の顔を見上げ、それから皿を見る。もう一度、俺を見る。そんなに見なくとも良かろうに、と思うが言わない。言葉はわかるだろうか。料理の皿を指差し、次に子供を指す。子供はぱちぱちと瞬きを繰り返した。料理を見て、俺の顔を見て、それからまた視線を落とす。また腹が鳴った。

理解してからの行動は早かった。ちいさな腕で皿を抱え込むようにして、手づかみで肉を掴んでは、口に運ぶ。頬袋が大きく膨れ上がって、減らない内から更に詰め込む。このままでは咽に詰まるだろうと、立ち上がり、飲み物を取りに行った。

飲み物を手に帰ってみれば、子供の頬が濡れていた。ぼろぼろと涙が零れ、それでも頓着せず、手を動かしている。肩が震えて、しゃくりあげる声が響く。心配になって近づけば、体を跳ねさせ、大事そうに抱えた皿を更に引き寄せた。そのくせ、眉尻を下げて縋るような目を向ける。取り上げたりしないと伝えるように、近づく足を止め、壁に背を預けた。ほっとしたように眉を緩ませた子供はまた料理へと集中する。口が動き、咽が動く。頬にはまだ食べ物が残っている。鼻水が垂れた。やはり気にせず、煮た野菜を掴み、口の中へ押し込む。噛む。飲み込む。

ふいに動きが止まった。目を細めて、苦しそうに眉を寄せている。とんとんとん、と胸を叩いていた。

「ほら、見ろ」

慌てて持ってきた飲み物を杯へ注ぎ、手に握らせる。苦しそうにしているのに、すぐには口をつけない。なんてめんどくさい奴だ、と呆れて、一口飲んでみせる。子供は逡巡の後、杯に口をつけて、咽を鳴らして飲み干した。

空になった杯を両手のひらで抱えたまま、子供は俺を見上げている。不思議な生き物を見るような顔をしていた。黒い目がじっと見つめている。頬には涙の跡が残っていた。

「もう食わないのか」

笑みを浮かべ、皿を指し示す。それなりに量を用意した筈だったのに、もうほとんど残っていなかった。子供は料理の皿へと視線を動かし、今度はゆっくりと食べ始めた。口の中へ食べ物を入れ、指も丁寧に舐める。放っとけば皿まで舐めそうだ。

前の席に座り、子供が食べる様子を見る。落ち着きが悪いのか、時折俺を見上げるが、やがて食べることに集中し始めた。ちいさな手が食べ物を掴み、同じくちいさい口がもごもごと動く様子は何かを彷彿させた。見ていると飽きない。

ぐす、と鼻を啜る音が聞こえた。黒い目をぱちぱちとさせる度に、涙が零れて落ちる。

「しょっぱかろう」

俺の声に顔を上げ、瞬きをしながら口を動かしている。返事はなかった。

「うまいか?」

ごくん、と咽が動く。

「………………わから、ない」

呟かれた声は聞き取れぬほどにちいさい。そんなに無心に食べていてわからないというのか、うまいから一生懸命食べるのだろう、浮かんだ言葉はどれも音にはならなかった。本当にわからないのだろう。

「そうか」

子供は考え込んだ後、口を開く。

「しばらく、は、生きれる」

それが、今の子供に示せる精一杯の返事なのだろう。

「馬鹿だな」

手を伸ばせば、体を跳ねさせ、首を竦めた。できるかぎり優しく頭の上に手のひらを置く。白銀の髪はさらさらとしていて心地良かった。

「お前はもう飢えることはないんだよ」

子供は不思議そうな顔をするばかりだった。

memo
2012.0406 / ぐず、もぐ、ごくん