どれいごっこ

 

今宵のシンドリア商会はなかなかの騒ぎだった。宴が催されている食堂には歌声が響き、笑い声は止むことがない。おそらく夜明けまで続くだろう。今宵は本来の当主——シンドバッドが帰還した日だ。

すべての者が喜び、安堵し、浮かれきっている。リア・ヴェニス島へ旅立った船が島と港を往復するまでの六日間、不安と期待が混じったまま仕事をし、夜は迎えの準備をし続けたのが報われたのだ。どうか帰ってきますように、と料理の下ごしらえをし、商会の隅から隅までうつくしく清潔に整え、飾りつけのひとつひとつに願いを込めた。それらはなにひとつ無駄にはならず、六日目、朝から港に行っていた従業員が一足先に帰還を告げに戻ってくると、そのあとは仕事にはならなかった。

当主であるシンドバッドの不在はあまりに長かった。シンドリア商会の大多数はシンドバッドに救われた者だ。貧困から、虐待から、取り巻く環境から。暗闇ばかりの日々を、暴力的なまでの光で切り裂き、すべてを変えられた。感謝は絶えず、商会の一員としてシンドバッドを支えられることが幸福であった。それなのにある日突然いなくなってしまった。当主代理のルルムは優しく皆の不安をなだめ、時には叱咤し、やるべき仕事を与えてくれたが、それでも不安や寂しさは寄り添い続けた。だからシンドバッドが帰ってくる、その喜びを表す宴が盛大なものになるのは至極当然のことだ。

その喜びようは宴好きなシンドバッドすらたじろく騒ぎになった。帰還の歓迎でたらふく食べたというのに、夜は夜で次から次に酒瓶が向けられ、次から次に食べ物や薬草が並ぶ。こんなには食べられない、と苦笑したが、喜びだけが乗せられた顔に勧められて断れる訳もない。シンドバッドは目の前にいくつも並べられた皿から少しずつ食べ物を受け取り、杯から零れてしまう前に酒を啜り呑んだ。

久々の浮かれ騒ぎに浸ってたシンドバッドだったがさすがに疲れた。惜しむ声に「すまない」と手を振り、部屋から抜け出すと、夜風に当たっていた数人が走り寄ってきて口を開く。

「シンドバッド様、どうぞ!ああ、帰ってきてくれて本当によかった」

と、手に持っていた酒瓶を差し出してくる。

「さっきも勧められて飲んだばかりなんだ。帰ってきて早々飲みすぎるとジャーファルに怒られてしまう。君たちで飲んでくれ」

「すみません、嬉しくってつい。でも、怒られるとしたら俺たちですよ。帰ってきたばかりの当主に迷惑をかけるなって。誰よりも心配してましたからねえ!」

「そうなのか」

「いやあ、当主がいなくなってすぐは本当に見ていられませんでしたよぉ。ちいさな背中が、さらにちいさく項垂れて、悔しくってたまらないって風情で、それを見てると俺たちも余計悲しくって、寂しくって。それでも、諦めずルルムさんたちと一緒にシンドバッド様のために尽力している姿を見ると、俺たちも落ち込んでいるばかりじゃいけないと思えました。ぜひとも聞いていただきたかったです、あの演説!シンドバッド様のいないシンドリア商会は違う、と訴えるあの声!」

涙声になりながらもしゃべり続ける男の後ろで、他の従業員は何度も頷いているし、鼻を啜っている者もいる。

「頭のひとつでも撫でてあげてください!」

「おお、おお、頭のひとつといわず、ふたつでもみっつでも撫でてやろう」

「さすがです当主!」

「酔っ払い集団はさっさと部屋に戻りなさい。なんですか、ふたつでもみっつでもって。私の頭はひとつです」

振り返ればジャーファルが腕組みをして立っていた。

「あなたたちも余計なことを言うんじゃありません」

眉根を寄せるジャーファルに、「すみません」と言葉を落とす男たちの頬は緩んでいる。シンドバッドの頬も緩み、にこにことジャーファルを見つめた。

「じゃあ、俺たちはこれで」

頬を緩ませたまま男たちは宴が開かれている食堂へと戻っていく。

「言いたいことがあるならどうぞ!」

「怒るなよ、ジャーファル。耳が赤いぞ」

「酒の匂いですこし酔っただけです」

「俺も聞きたかったなあ」

「私も聞かせてあげたかったですよ。もっともあなたがいないせいでしたけどね!……言っておきますけど、今回のこと、私はまだ怒っているんですからね」

「わかってるよ、悪かった。お前にも心配かけた。それに、感謝している」

「……わかっているなら、いいです。それで、あなたは?」

「今晩はもう休もうかと」

「おや、それは随分とめずらしいこと」

「久しぶりだからなあ。疲れたんだ」

「わかりました。では、洗いたての寝間着があるので持ってきましょう。きれいに洗って、お日さまの光でたっぷり干したと洗濯係が得意げに言っていましたから、きっと気持良いですよ」

丁寧に洗濯されて干された寝間着に腕を通したときの心地良さを思い出す。

「それは楽しみだ」

「先に部屋へ帰っていてください。敷布も、掛布も、枕も、すべて同じように洗って干して整えられていますよ」

あなたのために、と語る目を見つめ返す。「感謝せねばな」と言葉で返せば、ジャーファルの目が笑みで細められた。

ジャーファルの背を見送り、自室の方向へ足を踏み出す。それぞれの部屋から漏れ出した光で廊下は明るく、夜の風が気持良かった。中庭に月の光りがやさしく降り注いでいる。そよぐ風が、髪だけが纏わりつく首筋を撫でて、重苦しい枷や鎖がないことを認識させてくれた。心地よい風に、シンドバッドは正真正銘自由だと感じた。

「当主!」

嬉しそうに駆け寄ってきた男たちが、街まで呑みに行きませんか、と喜色に溢れた様子で誘ってくる。

「酒と料理のうまい店を見つけたんです、ぜひ一緒に!」

「あの店の女の子がですね、最近シンドバッド様の姿が見えないと寂しがっていましたよ」

酔いと喜びに任せて口々に誘いをかけてきたが、残念だが、とシンドバッドが答えると、途端に寂しげな顔になった。あまりの落差に思わず笑ってしまう。

「また次の機会に呑みに行こう」と懐から数枚の銀貨が入った袋を投げれば、すぐさま歓声があがり、次は必ず、と笑い歌いながら街へと繰り出して行った。

本当に今宵は皆が浮かれきっている。理由をわかっているから、申し訳なさとくすぐったさがあった。歩き始めたシンドバッドはその後もすれ違う度に声を掛けられ、自室に辿り着くまで時間を要した。誰も彼も、良かった、おかえりなさい、と喜びだけを口をする。彼らの喜びに触れる度に、己の迂闊さが招いた今回の出来事を悔いた。

 

 

「遅かったですね。皆に捕まっていたんでしょう」

部屋に辿り着いたシンドバッドを出迎えたのは、ジャーファルの声だった。

「皆、帰ってきてくれてよかった、おかえりなさいと、何度も繰り返していたよ。……随分と迷惑をかけた」

ジャーファルは箪笥の整理をしているようで、腕の中にはシンドバッドのものと思わしき衣類が何着か抱えられている。いずれも陽に干した匂いがするのだろう。

「これに懲りたら軽率な行動はやめてください。皆、あなたを慕い、あなたのために尽くしてくれるのですから」

手を動かし続けながら、ジャーファルが言う。

「そうする」

「今は殊勝な態度ですけどねえ。一体、いつまで持つやら」

「なんだよ、今回は本当に後悔しているんだ」

「わかってますよ。でも、シンは好奇心が強いから」

ぱたん、と箪笥の引き出しが閉じられた。振り返った顔には笑みが浮かんでいる。軽口を叩くが、その目は優しい。結局のところ、軽率な行動や引き起こされた出来事も許すのだな、とシンドバッドは思う。

「着替えるなら出ていった方がいいですね。寝間着は寝台の上に置いておきましたから」

「別に出て行かなくてもいい。着替えを見られたところでどうってことはない。もしお前が俺の裸をどうしても見たいというのなら、じっくり見ていっていいぞ」

「見慣れた裸なんて見ても楽しくもなんともありません。宴の片付けがありますから私はこれで」

「宴の片付けくらい明日でもいいだろう」

「着替えが終わるまで見守れっていうんですか?子供じゃあるまいし」

「身の回りの世話をしてもらっているのは子供と変わらないと思わないか」

「私が寝間着を用意したり、寝台を整えたり、あなたの身の回りのことをするのは仕事に力を尽くしてもらいたいからです。子供扱いしているからではありません」

「そんなことを言ったら、お前にだって仕事があるだろ。他の人間に頼めばいい」

「シンの面倒を見てくださいって?そんなお願いしたら、我も我もと女性が殺到して、いつの日か間違いが起こるに決まっています。困るのは誰だと思います?」

「世話の話じゃない。片付けの話だ。それに自分の世話くらい自分でできる」

「そんなこと言って。一緒くたにまとめて服を突っ込むのは誰ですか。いざという時にしわくちゃの服じゃ困るんですよ」

扉の前に立ったままのシンドバッドを見つめるジャーファルは楽しそうだ。

「それで、いつ通してくれるんですか?」

「俺の気が済んだら帰してやる」

扉に背を預けて、通す意思のないことを示す。ジャーファルは気にした様子もなく、シンドバッドを見つめている。手を差し出すと、そっと手のひらを置いた。置かれた手のひらを受け取り、指を滑らせて手首を掴む。掴んだ手首には赤い紐が巻かれている。巻きついた紐と、自分の腕よりずっと細い手首の感触を確かめた。

「人肌恋しいなら、誰かお呼びしましょうか」

ご所望は?と楽しげな声が囁く。

「美しい髪のひと?それとも胸の豊かなひとでしょうか。雪のような白い肌、または小麦色の健康的な肌のひと、よく笑うひと、静かに寄り添ってくれるひと、楽しい話をしてくれるひと。可愛らしいひとだって、優しいひとだって、あなたがお望みなら叶えてみせます」

「からかうなよ」

「からかってなど」

「さっきから目が笑ってる。ジャーファルはいじわるだ」

「ばれましたか。でも仕方ないんです。好きな相手はからかいたいと言うでしょう?」

私くらいの年頃の男子はそうらしいですよ、と楽しそうに言うものだから、言葉に詰まった。言い返す言葉も浮かばないまま、ジャーファルの顔を見つめる。今回の件で一番頑張っていた、誰よりも心配していた、とルルムや従業員に言われたことを思い出す。

「俺は、誰よりも俺のことを考えてくれるひとがいいな」

「……む」

素直に名乗りあげるのは気恥ずかしく、だからといって他の誰かに譲ることもできない葛藤が表情から伺える。

「ジャーファルは誰だと思う?」

「それは、大勢いるので」

「俺の右腕としての見解はどうなんだ」

「……シンは誰だと思っているんですか」

「質問に質問で返すのは感心しないな」

「シンが考えてる通りじゃないですか」

「曖昧だなあ。俺が思い浮かべているのは誰だと思う?」

「さきほどから意地が悪いです」

「俺も好きな子をからかいたいお年頃なんだ。誰よりも俺のことを考えてくれるひとは、今晩付き合ってくれると思うか?」

「……思います」

よかった、と左手でジャーファルの赤い頰を撫でた。

「寝台へ行こうか」

「……はい」

寝所は洋燈のあたたかい光で満たされている。久々の自室は懐かしく、じんわりと安堵が広がっていく。帰ってきたのだ、と改めて感じた。

「着替えますか?」

整えられた寝台の上には畳まれた寝間着が置いてある。

「あとでいい」

ジャーファルの手を離し、向かい合わせになるように寝台の縁に腰を下ろす。座るとジャーファルの目をまっすぐに見ることができる。黒くて丸い瞳はただシンドバッドを見つめてる。あまりに真剣に見つめてくるものだから、不意にいたたまれなくなって、腕を掴んで引き寄せた。引き寄せた胸に頭を置くと、そのまま目を閉じ、ジャーファルの心音を聴く。規則正しい心音はシンドバッドの耳に優しく届いた。

「今日は甘えたがりなんですね」

「久しぶりだからな」

そこで言葉は途切れた。黙り込んだまま離れている間のことを思った。それから、離れていた間の相手のことを。

ジャーファルも口を噤み、胸にくっつけられたシンドバッドの頭を見つめている。正確に言うならば、うつくしい紫紺の髪の合間から覗く首筋を。シンドバッドと同じことを考えながら、項垂れた首筋をひたむきに見つめ続けている。

シンドバッドの皮膚には首輪の跡が残っていた。赤く擦りむけ、皮膚に色を残している。ジャーファルの手が、そうっと皮膚を撫でた。

「もっとはやくあなたを助けに行きたかった」

うん、とシンドバッドが頷く。

「闘技場へ行くあなたを殴ってでも止めれば良かった。他の方法を探すべきだと言えばよかった。口では納得していないと言いながら、あなたが負けるなんて、ちっとも考えていなかった」

ジャーファルはずっと指先で首を撫でている。そこに刻まれた首輪の跡をどうにかして剥がせないだろうかと繰り返し、繰り返し撫で続けている。

「つらかったでしょう」

「過ぎたことだ」

「ええ。でも、あなた、意外と弱いところがあるから心配なんです」

「また俺に失望したいのか」

「そんなことありませんよ」

首を撫でていた手が動き、長い髪に触れた。一房掴み、手のひらを広げるとサラサラと流れ落ちる。

「……殴り足りないんだろう」

「もっと殴れと言われたら困ってしまいます。もう、手が痛くって」

「ふぅん。では、失望するだけか」

「一夜限りの出来事なんて、失望する間もなくすぐに忘れてしまいますよ。他に考えねばならないことは山のようにありますし、それに、かすり傷を癒すために必要ならいくらでも付き合ってあげます」

「甘やかすじゃないか」

「ええ、久しぶりなので。……シンを甘やかしたいんです」

「やぶさかではないが」

「問題が?」

「……俺にだって、恥ずかしいと思う心があるんだ」

「なるほど。では、勝手に甘やかすとしましょう」

ジャーファルの手のひらがシンドバッドの頭の上に置かれ、ゆっくりと動き始めた。

「おかえりなさい、頑張りましたね。あなたがいない間、寂しかった。仕事も手につかず、どうすれば助けられるかとそればかり。けれど、もう過ぎたことです。あなたは今ここにいて、私の傍にいる。慰めることも、甘やかすこともできる。すべてあなたが頑張ったからですよ」

心地良い響きにシンドバッドは目を細める。胸にくっつけていた頭を上げて、ジャーファルを見つめた。同時に両腕を腰に回して抱き寄せる。

「……もっと言ってくれ」

「もちろんです」

優しく笑って両手のひらでシンドバッドの頬を包み込む。

「シンは頑張りました。……シンはいい子。いっぱい頑張って、つらい困難にも立ち向かいました。だから目一杯褒めてあげます」

「……もっと」

「あなたはいい子。ご褒美になんでもしてあげます」

「……足りない」

「あなたはいい子。誰よりも優しくて、強くて、頑張っていて、賢くて」

「嘘くさいぞ、ジャーファル」

「そう外れてはいないはずですが?」

「まだからかっているのか」

「私、笑っている?」

「笑っては、いないな」

では本気か、ジャーファルならありうる、そう思って苦笑を浮かべると、

「もうやめますか?」

問いかけられた。首を振るい、もっと、と囁く。

「困った顔するから嫌なのかと思いました。でも、そういうところも、可愛らしいです」

「今のはからかっているな」

「わかりましたか。……ほら、かしこい」

ジャーファルが楽しそうに体を揺らすと、振動が伝わって、シンドバッドの体も優しく揺れた。シンドバッドが帰還するまで安眠できなかったのだろう、目の下にはうっすらと隈が残っている。細められた目や、唇から覗く歯を見つめる。頬がやわらかく盛り上がって、薄桃色に輝いていた。

人前でも、シンドバッドの前でも普段通りに振る舞っているが、些細な仕草からジャーファルの喜びが伝わってくる。誰よりも尽くし、誰よりも喜んでいる。そんなジャーファルを何故最後まで信じられなかったのか、今では不思議で堪らなかった。

両頬を包み込む手を握り締める。

「ジャーファル」

唇を突き出すと、目をくりっと丸め、それから顔を近づけて口づけを落とした。やわらかくて小さな唇も懐かしいものだった。触れるだけの唇が離れた瞬間に「もう一度」と囁くと、やわらかい感触が戻ってくる。舌を伸ばして唇の合わせ目を舐めると、ゆっくりと唇が開いてちいさな舌が、つん、とシンドバッドの舌先を突いた。しばらく舌で触れ合ったあと、願望を伝える。

「もっと甘やかして、なぐさめてくれ」

「はい」

うっとりとした息を吐き出したあとにジャーファルが囁いた「シンは、いい子」という響きは甘ったるい。指先がシンドバッドの皮膚を撫でた。その指先は壊れ物を扱うかのように優しく、愛おしげに撫でつづける。

今だけは自分のことだけ考えていいとジャーファルが、撫でる手で、囁く唇で、繰り返す。許容され、甘やかされると子供に戻った気がした。

傲慢さは、自分がどうやって生きてきたのか忘れさせてしまう。まるで自分ひとりで産まれ、生きてきたかのように錯覚させる。幼い頃、慈しみ、守ってくれた大切な存在すら記憶の海に埋めさせ、そして己の弱さに負けた。母のことを忘れずにいたら違う方法を選べたろう。後悔が忍び寄り、暗い気持に囚われる。

「だいじょうぶです、私が、そばにいます」

「……俺が、いい子だからか」

「ええ」

楽しそうに笑って、ジャーファルはシンドバッドの髪を撫でた。

「わるい子なら、見捨てるのか」

「何を言っているんですか、わるい子なら、それこそ私が支えて、共に正しい道を探さねば」

「そうか」

「安心した?」

「いちいち聞くな」

「だって、あからさまにほっとした顔をするのがおかしくて」

「ジャーファルはいじわるだ」

「そうです、ジャーファルはいじわるなんです。さっき、私をいじわるだと言ったのはあなたなのに、もう忘れてしまったんですか?」

笑い声と言葉が甘く心臓を引っ掻いていく。くすぐったくて、あたたかい気持が指の先まで満たしていった。

ジャーファルの心からやってくる、ジャーファルの言葉はいつでもシンドバッドのことを思っている。だから癒され、満たされる。甘えてもいいのだ、と気が緩んでしまう。同時にこうやって甘やかし、慰めようとする心を考えるとたまらない気持になって焦燥に掻き立てられた。

急き立てられるままジャーファルの唇を塞ぎ、貪る。

「ん、……っん」

口づけを繰り返していると、呼吸が荒くなってきた。もっと深く触れ合いたくて体を抱き締めたまま、寝台へ倒れ込む。体の重みを感じるとじわりと欲望が深まった。抱き締めたまま体を反転させる。舌を伸ばし、口腔を探る。

しばらく夢中で舌を絡ませ合っていたが、ジャーファルの手が肩を叩いたことで途切れた。惜しむ気持を抑えて、おとなしく離れる。潤んだ目がシンドバッドを見上げ、頬は上気し、唇は酸素を求めて開閉した。唾液で濡れた唇をひと撫でしてから問いかける。

「さっき、言ったよな。なんでもしてくれるって」

「ええ、言いました、けど」

「お前としたいことがあるんだ」

「私にできることでしたら……」

そうか、と嬉しそうに笑ったシンドバッドは寝台から降り、部屋の片隅へと向かった。起き上がって行方を見守るジャーファルの目には不安が浮かぶ。ろくでもない展開が待っている、とジャーファルが感じ取ったのは、シンドバッドと出会ってから今までの経験のせいだろう。

シンドバッドは部屋の片隅に放置していた奴隷服の入った荷物袋に手をかけている。ジャーファルが、すぐさま捨ててしまいたい、と吐き捨てるのを宥めて、そのままにしておいて欲しいと頼んだものだ。

そんな荷物の中から「これを…」と取り出されたのは頑強な首輪だった。飾り気のない金属の重たい首輪は見ているだけで気持が沈む。表面についた細やかな傷は首輪のまま日常生活を送っていたことを示し、傷のひとつひとつからシンドバッドの苦境を感じさせ、ジャーファルに離れていた間のことを否応無しに思い出させた。

苦々しい顔をするジャーファルと違い、シンドバッドは何故か笑顔だ。忌々しい首輪を大事そうに両手のひらの上に置いて笑顔で言い放つ。

「これをつけて、したい」

「……」

たっぷり迷った後、ジャーファルはシンドバッドの手から首輪を受け取った。受け取った首輪は、ずしりと重たい。こんなに重くて冷たいものを首に填められて従属させられていたのかと思えば、腹の底で怒りが煮え滾り、息が苦しくなった。

ジャーファルは長く深く息を吐き出して心を落ち着かせ、無理矢理に考え直す。奴隷となった事実は、もはや過ぎたことだ。過去の話だ。シンドバッドは目の前にいるし、慰めることも、甘やかすことも、呆れることだってできる。そう考えることでなんとか怒りを宥め、それから首輪を己の首につけた。

「これで、いいんですか……?」

首輪はジャーファルの首には大きくて余った。白くて細い首を囲む首輪はあまりにも無骨で、不似合いで、だからこそ不思議な魅力を醸し出す。歪さは一種の欲を掻き立てるものなのだな、とシンドバッドはしみじみと首輪を填めた己の右腕を眺めたあと、

「悪くない。……悪くないが」

と、優しい手付きでジャーファルの首から重苦しい枷を取り外した。手元に戻ってきた首輪を眺める。なんとも忌々しい首輪。窮屈な首輪は身じろぎひとつしただけで皮膚に擦れて存在を主張し、お前は奴隷だと認識させてくる。数日前の境遇を思い浮かべながら、シンドバッドは手を動かした。

「俺がしたいのは、こうだ!」

「…………」

ジャーファルは黙り込んだ。たっぷり数分黙り込んで、シンドバッドを理解不能な生き物を見る目で見た。

シンドバッドの首にはいまはもう不要となった忌々しい首輪が填められている。首輪を填められていた以前は重苦しい表情をしていたのに、今は笑顔だ。目をキラキラとさせて、喜びに満ちた顔をしている。ジャーファルには到底理解できなかったし、朗々と宣言されたシンドバッドの言葉も聞こえない振りをしたかった。

「お前が主で、俺が奴隷だ!」

「……あんた」

「なんでも命令していいぞぉ」

「あんた、よくこんなこと考えつきますね」

「褒めるなよぉ」

「褒めてねえよ!こんな、こんなくだらない、ばかばかしいことよくぞ考えついて、ましてや口に出せましたね。馬鹿なのか、あんた」

「まずは俺の話を聞いてくれ、ジャーファル。俺は今回のことで心に大きな傷を負った……」

「到底そうは思えない提案ですが?」

「あのつらい記憶を楽しい記憶に塗り替えることで、傷を癒し、心を慰めるのだ。そのためにどうか協力してくれ。さあ、なんでも命令してくれ、ご主人様!」

冷たい視線を送り続けるジャーファルの様子には頓着せず、更に言葉を続ける。

「ジャーファル様と呼んだ方がよかっただろうか。希望があればなんでも言って欲しい。俺……いや、私はジャーファル様の忠実な奴隷だからな!」

「私はシンのそんな姿、もう二度と見たくないんです」

「見慣れれば気にならなくなるさ」

「そうは思えません」

「物は試しというだろう。それに何事も経験だ。奴隷を使役する主の立場となってみるのも何かの役に立つかもしれん。さあ、これが首輪の鍵だ」

「嫌です」

「わがままを言わずにどうか」

「嫌ったら嫌です」

「なんでもしてくれるって言ったろう」

「こんなこと、私にはできません。できないことは無理です」

「何を言う、首輪に鍵をかけ、好きなように命令を下すだけだ。簡単だよ」

「…………」

むっつりと黙り込んだジャーファルは唇を固く閉じ、もう何も言う事はないと言わんばかりに睨みつけた。視線を受け止めたシンドバッドは、睨みつけてくる眦にうっすらと涙が浮かんでいることに気付き、頬を掻く。

「ん——……いいか、ジャーファル。奴隷だったシンドバッドと聞いて思い出すのは、憔悴し弱り切った、痛々しい俺の姿だろう。お前はその姿を思い出し、傷つくのだ。だが、俺が提案したこの遊びの後はどうだろうか。きっと思い出すのはこの夜の俺だ。痛ましい記憶は塗り替えられ、思い返す度にしょーもねぇ男だな!と呆れ返ることだろう……」

「…………」

「だから、さあ!やろう!」

「…………」

「お願いだよ、ジャーファル!お願い!お前が言ったんじゃないか、なんでもしてくれるって!」

「……わかりました。私は、主です。シンは奴隷。しょうもない奴隷などいても仕方ないので、今、この時を持って奴隷シンドバッドを自由の身とします。どこへなりとお好きなところへ行きなさい。……はい、終わり」

言い捨てて、ジャーファルは部屋から出て行こうとする。慌てて腕を引っ張り、寝台まで戻した。

「ひどいじゃないか!全然楽しくない!」

「奴隷ごっこなんて楽しい訳ないでしょうが!はい、もう終わり!」

「もっと真剣に!この程度のぬるい遊びで心の傷が癒されると思うのか!?」

「口答えするなんて悪い奴隷ですね。やっぱり自由にします。首輪を外して、好きなところへ行きなさい」

「ご主人様に捨てられたら、私はどこへ行けばいいんですかっ!捨てないでください、なんでもしますから!」

「~~ッ、ご主人様はやめろ!それに捨てるんじゃない、自由にするだけです」

「では、ジャーファル様。……自由にしろとおっしゃるならそうします。このシンドバッド、ジャーファル様のいないところで生きてゆくことなどできません」

「……つまり」

「奴隷を必要とする時まで付き纏います」

鼻息荒く胸を張って言うものだから、ジャーファルは黙り込んだ。黙り込んだ後、ちいさく零した。

「めんどくせえ……」

「従順で忠実で可愛い奴隷の俺か、はたまた従順で忠実だが、どこまでも付き纏ってくる奴隷ではない俺、どちらを選ぶ」

「どちらもお断りです。それに先ほどからちっとも従順でも忠実でもないじゃないですか」

「ジャーファル様が私を困らせる我が儘ばかり言うから……」

「人のせいにするな。……それに口調が気持悪いです。ジャーファル様って呼ぶのも」

「こういうのは成りきることが大事ですから。……嫌なら命令すればいいんです。なんでも、命令できます」

命令しろ、と伝えてくる挑発的な笑顔にジャーファルの眉根が寄る。このままやりとりを続けても、望みを達成するまでは諦めず、振り回されることになる。ならば素直に遊びに乗ってやるのが一番良い。切り替えれば行動は早い。言葉通りなんでも言うことを聞いてもらおう、そう決めたジャーファルは頭を捻った。シンにして欲しいこと、やって欲しいこと……と思案し、すぐに思いついた。

「では、命令します」

シンドバッドの顔が輝く。

「今から仕事場へ行って、バルバッドへ持って行く資料の整頓を手伝いなさい」

バルバッドへの移転準備は、あらかた終わっているとはいえ、当主であるシンドバッドに確かめてもらいたい書類がまだ残っている。さあ行きましょう、と部屋を出て行こうとするジャーファルの腕を掴んで、また同じ場所へと連れ戻した。

「最初に言っておくべきでしたね。……私が奴隷でいられるのは、この部屋だけなのです!」

「……今、考えたでしょ、それ」

「言い忘れていただけです。決して思いつきではありません!」

「はいはい」

「信じてもらえるならなんでもします!」

「わかりましたよ、信じますったら。……本当に仕方のないひと。まずは、鍵でしたっけ?」

ぱあっと輝く笑顔で鍵を手渡してくるシンドバッドの姿には大いに萎えたが、付き合うと決めた以上仕方ない。ジャーファルは鍵を受け取り、シンドバッドが塡めている首輪の鍵穴へ差し込んだ。かちり、と音がなり、首輪は鍵がなくては外せなくなった。失くさないように、と寝台の横に備えつけてある台へ置く。振り返ればまるで飼い主を待つ犬のようなシンドバッドの笑顔が目に入った。いつの間に付けたのか、首輪から鎖が伸びている。

はたして自ら喜んで鎖を付ける奴隷がいるものだろうか。やはりやめるべきではなかろうか。未だ苦渋を味わっている奴隷たちが見たらどんな気持になるだろう。様々な思いが去来して、ジャーファルは遠くを見つめた。窓から見える星空は美しく、煌めいている。

「ジャーファル様、さあ!」

期待に満ちた声で名前を呼ばれるとより一層その思いは強くなった。物言わずに外を眺め続ける姿に何か察したのか、シンドバッドは言葉を綴る。

「ご存知でしょうか、ここレームでは近年、名だたる貴族や豪商が遊びの一環として密かに同じ遊びをしていることを。自らを奴隷とし、娼婦やお気に入りの奴隷を主人と見立てて遊ぶのです」

ろくでもねえなこの国の貴族共は、ジャーファルはぼんやりと思って、輝く星の数を数える。

「……いずれ遊びの中だけの言葉にしてみせるさ」

星空から視線を移せば、到底奴隷とは思えない顔でシンドバッドが笑っていた。

「その姿でなければ格好がついたんでしょうけど」

「いいから、俺と遊んでくれ」

笑いながら手を伸ばすシンドバッドの手首には痛々しい枷の跡が残っている。もっとはやく助けられたら、その思いは心にこびりついて落ちることはない。この遊びの効果については半信半疑だが、シンドバッドには必要なことなのだろう。

しばらく思案を巡らせ、手を取った後、ジャーファルはひとつ目の命令を告げた。

「もっと近くに来て」

はい、とうやうやしく一礼し、シンドバッドは膝を詰める。

「……私に、口づけ、し……しなさい」

ジャーファルはシンドバッドの右腕として商会の業務を担っている身だ。指示を出すことには慣れているし、暗殺者時代は部下にあれこれと口うるさく命令をしていた。それでもシンドバッドが相手となるとあまりに勝手が違って、言葉はたどたどしくなった。

拙い命令にシンドバッドはちいさく笑い、それから唇を近づけて重ね合わせる。

「命令というより、おねだりですね」

「慣れない、から。……まだいっぱい」

命令のままにシンドバッドは幾度もジャーファルの唇に触れて、啄ばんだ。下唇をねっとりと舐め、そのまま口腔へと舌を忍び込ませて丁寧にねぶる。粘膜を舐めまわし、舌を這わせた。

シンドバッドのあたたかい唇が唇や頬に触れ、己の口の中で舌の動きを感じる度に、触れ合った夜の思い出だけが脳裏に浮かび、期待が膨らんでジャーファルの足は震えた。最初はくすぐったいだけだった指や舌の動きがどんな風に自分の体を作り変えたのか、ジャーファルは知っている。他人によって制御を失う自分の体に戸惑いはあった。けれど、すぐに慣れた。慣れたし、触れられる度に喜びが強くなった。

離れている間はあまりに遠かった、指の感触や温度が懐かしくて恋しくてたまらない。もっと触れて欲しくて、ジャーファルはシンドバッドの服を掴んで強く握り締めた。唇が離れた一瞬の隙に息を吸い込み、また口づけを待つ。それからいつものように手のひらが体を弄り始めるのを。

「……、シン……?」

いつまで経っても与えられない手を不思議に思い、熱で潤んだ目がシンドバッドを見つめる。いつもなら、と目が訴えてくるのを無視して、にっこりと笑みを返す。

「他にご命令が?」

含みのある笑みに意図を悟って、ジャーファルは眉根を寄せる。

「……意地の悪い」

「私は命令を待っているだけです」

シンドバッドは喜色満面の笑みで、それはもう楽しそうに命令を待っている。ジャーファルは奴隷ごっこなど断ればよかったと強く思う気持を押しとどめて、楽しそうなのは悪いことではない、と無理矢理に思い込んだ。

「では、次の命令です。服を脱ぎなさい」

おっ、そうくるか!とシンドバッドはうきうきと衣服を脱ぎ捨てた。情緒もなにもあったものではない。

成りきるのが大事だ、と言ったのは誰だったか。主人に命じられて嬉々として服を脱ぎ捨てる奴隷がいるのだろうか。自ら望んで奴隷となった者などいない筈、いたとしても少数だ。大多数の奴隷たちは、主人の命令に対してあからさまに嫌な顔をしないにしても、喜びを浮かべやしないだろうし、勃起することはないだろう……とジャーファルはそんなことを考えて悶々としたが、この奴隷シンドバッドは自ら望んで奴隷になったのだ、とため息を殺した。

「ジャーファル様も……」

全裸に首輪という出立ちのシンドバッドがいそいそと近づき、ジャーファルの腰帯に手をかけたが手を添えることで制した。

「そこに座りなさい」

指で示された寝台の真ん中に胡座で座り込んだシンドバッドは、本質的に奴隷としての振る舞いが似合わない人間なのだろう。振る舞いが堂々としすぎていて、首輪をつけていても奴隷には見えない。変態的な遊びに興じている人間であり、実際その通りなのだ。

幾度目かのため息を嚙み殺しながら、ジャーファルはシンドバッドの元へ膝を寄せる。見上げると、一体何が起こるのかと期待だけを浮かべた顔が出迎えた。この子供のような顔をどうにかして驚愕させてやりたかったし、振り回されてばかりでは癪だった。

ジャーファルは緊張を誤摩化すために、髪を耳にかけた。そうして、ゆっくりと顔を伏せる。ゆるく勃ち上がった先端に口づけすると、シンドバッドが慌てて肩に手をかけて引き剥がした。

「なんですか。奴隷のくせに、私のすることに文句でも?」

わざと横柄な口を叩くと、肩に置いていた手を離す。

「いや、そんなつもりは、……ですが、そのようなこと」

「うるさい。逆らわず、黙って、おとなしく従っていればいいんです。私には、お前、を好きにできる権利があるんだから」

わかりました、と腕を降ろしたのを確認してから顔を寄せた。脳裏では今までに施された愛撫が思い起こされている。今までどうやってシンドバッドがジャーファルを愛撫していたのか。

——お前のは、可愛いなあ

そんなことを言ってから、触るなり口に含むなりしていたと、改めてシンドバッドの性器を見る。……可愛くは、ない。皮膚は赤黒く、興奮しているためか血管が浮き出して時折びくびくと震えるし、ジャーファルのものとは形や太さ、長さも違うし、可愛い形状とは言えなかった。

先端を擦りつけられ、ほんのすこしだけ中に潜り込まれたことがあった。あれはササンへ旅立つ前だった、とジャーファルは思い出す。指とは比べものにならない質量のものが孔を押し広げ、中に入り込み、その圧迫感で呼吸ができなくなった。指で丹念にほぐされたおかげか、痛みは少なかったが異物感が凄まじく、混乱して「抜いて」と必死で訴えた。シンドバッドは優しく髪を撫で、「動かないから、大丈夫だ」と囁いて言葉のまま動くことはなかった。

散々「抜いて欲しい」と訴えた後、聞き入れられることはないと悟り、ジャーファルは諦めて体の力を抜いた。「慣れるまで、このままこうしていよう」と笑う顔は優しいのだが、優しい笑みは自分の目的を押し通すためとわかっているがために腹立たしかった。その夜は先端だけで許してもらえたが、いずれは全てを収める気であろうことを考えると身が縮こまる。

こんなもの挿る訳がない。あの夜に浮かんだ思いが再度やってきたが、今は頭の片隅に追いやることにする。気づかれぬように息を吐き出した後、唇を寄せて、先端に口づけを贈る。ちゅっ、と音が鳴ると、シンドバッドの体が跳ねた。陰茎は更に力を持ち、上を向き始める。いきなり口に含むのは躊躇われて、舌を出して先端を舐めた。それから唾液を塗り込めるようにして全体に舌を這わせる。

シンドバッドが興奮していることは、強度を増した性器と荒くなった呼吸でわかった。不慣れな愛撫だとしても気持良くなってくれているのが嬉しくて、唇を開き、性器を口腔へと導く。

「……はむ」

口腔に全てを収めることは難しかった。口の中に余裕もなく、舌を巻きつかせることも難しい。それでも陰茎に舌を押しつけ、舐めて、快感を与えようと努める。口腔を圧迫する肉のせいで口で呼吸することはできず、鼻で呼吸すると雄の匂いが鼻孔を満たした。

「っくぅ、……あま、り」

無理をするな、と言ってやりたいのに、与えられる感触が気持良くてシンドバッドは言葉を飲み込んでしまう。自分の股間でジャーファルの頭が緩く上下している。幼い唇が性器に口づけ、小さな舌が一生懸命愛撫し、狭い口腔へ導かれて包まれる。そのいずれも強い快感へ導いた。シンドバッドの中で欲望がぐるぐると渦巻き、不埒な思いが膨れ上がる。

形良い丸い頭を掴んで押しつけてしまいたい。幼くやわらかい喉奥を突いて、欲望のままに快楽を貪ってしまいたい。きっと苦しくて嘔吐き、離れようとする。その努力を無下にして、飲み込めるだけ飲み込ませ、射精してしまいたい。口を塞がれていては命令はできない。

首輪から垂れ下がっている鎖が、ちゃり、と音を立てて揺れた。——そうだ、今の俺は奴隷であり、主はジャーファルだ。命令は絶対であり、逆らうことは許されない。逆らえば罰がある。心が凍えて絶望するような罰が。

実際そうしたところで何の罰もないことをシンドバッドは知っている。これはただのごっこ遊びであり、主と奴隷としての正規の契約はない。苦しい思いをしたとしても、ジャーファルは翌日には許す。だから、必要なのだ。己の欲望を制御するために。

シンドバッドは仮定する。奴隷である自分が逆らったなら主は奴隷を捨てるのだ、お前なんかいらない、とそっぽを向き、去ってしまう。ひたひたと恐怖が這い寄り体温を下げた。陰茎を咥えたままのジャーファルが不安げに視線だけを寄越す。無理矢理に詰め込んでいるせいか、頬が盛り上がっているのが見えた。苦しげに鼻で息をし、それでも口を離すことはしない。凶暴な欲は消え去り、かわりに愛おしさが湧き上がってくる。 

「……続けて、くださいますか」

「ん、んん……」

続きを促す言葉にジャーファルは安堵したように目を細め、喉で返事をした。

頭を上下に揺らしている姿のなんと愛おしいことか。時折吐き出す息や水音が鼓膜を震わせる。必死に咥え、舌を這わせて気持良くさせようとしている姿に昂らない訳がない。けれど、拙さのせいで達することができないのがもどかしかった。あと少し強い快感を与えてくれれば楽になれる。先端に吸いついてくれればそれだけで。

願いが通じたのか、ジャーファルが性器から口を離し、代わりに先端に軽く口づけた。太腿が引きつる。はやく、はやく、と競る気持が腰を押しつけてしまう。薄い唇に先端を塗りつける。触れていた唇が窄められ、ちゅうっと吸いついた。それだけで充分だった。

「う……、だめです、保たな……」

先端から勢いよく精子が迸って散った。どくどくと吐き出される間も快感は続き、吐き出し終わってからようやくシンドバッドは息をついた。気持良かった、と伝えようとしてジャーファルへと視線を向けたが、飛び出た言葉は違うものだった。

「ああっ、わ、悪い……!」

勢いよく飛び出た精子はジャーファルの髪と顔にべったりと張りついている。ねっとりした白濁の液体が、白銀色の髪に纏わりつき、頬へと垂れ落ちていく。ジャーファルは垂れていく精液が左の目に入らないように、固く目蓋を閉じ、注意深く指で精液を拭い取りながら口を開いた。

「拭いて」

シンドバッドは慌てて寝台から飛び降り、布を手に取ると、すぐさま精液を拭うために戻った。

「申し訳ありません。奴隷である私の精液が、ジャーファル様のお顔に……」

「……興奮してるじゃないですか」

精を吐き出して一旦は萎えていた性器は、また勃ち上がり始めている。

「仕方ないだろう、すごくそそる」

拭いた布を置き、手を伸ばしてジャーファルの耳朶を指で捏ねる。指の腹で耳の裏を撫でると、ぴくん、と体が跳ねた。

「奴隷ごっこはやめて、いつものようにしようか」

「だめ。言い出したことはやり遂げねばなりません」

「でもなあ……」

はやくお前に触りたいんだ、とシンドバッドが言う前に、ジャーファルの手が鎖を掴んで乱暴に引いた。息が触れ合う距離で、

「口答えするんですか。あなたは奴隷で、私は主なんでしょう?」

そう言い放たれては、「……おう」と頷くしかなかった。

「では、おとなしく私の言うことを聞きなさい。従順で忠実で可愛いシンドバッドであると私に示してください」

「……はい」

自分で言い出したことだ。シンドバッドには何も言えない。

「寝台に座って。そのままおとなしくしているんですよ」

シンドバッドを寝台の真ん中に座らせ、向かい合う形でジャーファルも腰を下ろした。シンドバッドの太腿の上に、伸ばした両足を置く。視線はやはり性器へと注がれている。姿勢からして口で愛撫する気はないようだ。何をするつもりなのか、と見つめていると、両手のひらで性器を包み込んだ。小さな手は性器を握り込めるのに不似合いで、妙に艶かしく映った。

シンドバッドに子供を性的な意味で愛でる趣味はなく、ジャーファルに触れたのも、幼い体に触りたかったからではない。ただ知りたかったのだ、ジャーファルの体に残った傷跡の感触を。それがいつの間にか欲を伴うようになり、戯れを続けている。今、幼い手や、小さな舌、唇、ジャーファルに付属するそれぞれの部位に興奮するのは、それらが全てジャーファルの持ち物であるからだ。 

俺が変態になったのだとしたらジャーファルのせいだなあ、小さな手が性器を弄ぶ様を眺めながら、シンドバッドはそんなことを思う。責任転嫁されているとは思いもしないジャーファルは、真剣な顔で性器を観察している。棒の下にくっついている二つの袋を手のひらに乗せて軽く揺らし、「……やっぱり可愛くないな」と呟いた。お前のは可愛いぞ、と囁きかけて、思うだけに留めておいた。従順で忠実で可愛くておとなしいシンドバッドなら、きっとそんなことは言わない。

だが、いつまでも緩く弄ばれているだけではつらい。さっきのジャーファルはとてもいやらしかったし、と思い出すだけで性器が強度を持ち、存在を主張する。

「…………すぐ元気になりますよね」

「それは、ジャーファル様がお可愛らしいから」

「ああ、そうですか」

「つれない返事を。ジャーファル様は?」

「私がなにか?」

ジャーファルの視線はシンドバッドの性器に固定されたままだ。元気よく存在を主張する性器の先端を指の腹で撫でている。真剣な眼差しで見つめられると余計に興奮してしまうし、敏感なところを優しく撫でられるのはくすぐったくてもぞもぞしてしまう。

「……触らなくても?」

「奴隷が主の肌に気安く触れられると考えるのは、従順で忠実で可愛いとは到底思えませんね」

「服くらいは、脱いでもよろしいのでは」

「結構です」

と、ようやく上目遣いでシンドバッドを見た。口角が持ち上がり、嫌な笑顔を作っている。

「どうして私が脱がなくてはならないんですか?」

そんなのは決まっている。服の下に隠された白い肌を見たいし、隅々まで存分に触れて、心地よい感触を味わいたいのだ。平たい胸にぽっちりとついている淡く色づいた乳首や、鍛えられていながらも子供らしさを残した腹、肉付きの薄い尻も見たい。なのに、きっちりと着込まれた服が邪魔をしている。

「ご存知の通り私のモノは躾が悪く、先ほどのように粗相をして、ジャーファル様のお召し物を汚してしまいかねません」

「なるほど、一理あります。……では躾から始めましょうか」

「どうしてそうなる」

「奴隷の躾も主の務めです」

「わかりました、ジャーファル様の仰せのままに」

満足げに笑う顔を見ていると、悪い心が生まれてしまう。自分から言い出した遊びではあるが、いいように扱われてばかりではつまらない。仕返しを考えている間にも、ジャーファルは口の中でくちゅくちゅと唾液を混ぜ、溜まったところで唇を開いた。唾液が口元から垂れ落ち、すこし冷まされてシンドバッドの性器に流れる。先端を撫でていた左手は根元をぎゅっと握りしめ、射精を止めている。

「……っく!」

おのれジャーファル、いつかの仕返しか、と睨めば、いつかの仕返しですと言わんばりの笑顔が出迎えた。

数ヶ月前の軽い悪戯心でしたことくらい水に流してくれたっていいじゃないか。そう言い返したかった。今のシンドバッドは奴隷の身であるし、言い返したが最後、不機嫌になって遊びをやめてしまうに違いない。射精できない苦しさに泣きじゃくり、髪を振り乱して懇願していた姿を思い出すだけで滾るものはあるが、興奮すればするだけ苦しい思いをするのは自分だ。素直に謝るしかないと判断し、シンドバッドは口を開く。

「あの時は、魔が差し、た……っ、の、です、申し訳、ありませ……」

「謝る必要はありません。ただ、私がどれほど苦しかったのか、わかっていただきたいだけなんです」

「もう、わかった!泣き、じゃくって、懇願して欲しいのなら、……ッ、そうする!いますぐ、する!」

「懇願するの、はやくありませんか?」

不服そうに眉を寄せるジャーファルの右手は自分の唾液とシンドバッドの先走りを混ぜ合わせて、陰茎に擦りつけている。たどたどしさは消えて、楽しそうですらあった。

「俺は、快楽に弱い!」

「快楽にも弱いでしょ。……ほんとにもう堪え性がないんですから」

ため息と共に根元を締めつけていた力が弱まる。離れようとしていたジャーファルの手のひらを掴んで、自分の性器を握り締めさせた。

「……ッ、こら!離しなさい!」

「口づけを」

「は?」

「感謝を込めて、奴隷である私から、ジャーファル様へ口づけを贈りたいのです」

眼光に怯んだのか、ジャーファルの視線が泳ぐ。

「感謝されるようなこと、しましたっけ……」

「お優しいジャーファル様、奴隷めの懇願をいともたやすく聞き入れてくださったではありませんか。以前の主人では到底考えられないことです」

卑怯な物言いをしたとの自覚はあった。目論見どおり幼い瞳が揺れて、首がわずかに下がる。

「……口づけを、許します」

「感謝します」

できるだけ優しく見えるように笑って、唇をくっつける。

「手、離してくれないんですか……」

「先ほどまで楽しそうに触っていたではありませんか」

「……あなたが、かわいい顔をするから、楽しくて」

「ジャーファル様には敵いません。誰よりも、あなたが、一番愛らしい」

「口の達者な、奴隷ですね」

「心よりそう思っております。誰よりも愛らしく、恋しい、私のジャーファル様」

眦が薄っすらと色づき、言い返す言葉の浮かばなかった唇がもごもごと動いた。その唇の動きがあまりに愛おしくて静かに口づける。唇が離れると、ジャーファルは胸に詰まった息を長く深く吐き出した。かと思えば、性器を握り込めていた手が動き始める。

幼い手が与えてくれる拙い愛撫に集中する。静かな寝所に、ぬち、ぬち、と液体が音を響かせた。陰茎を握る、一本一本の指の形、小ささ、体温が否応なく熱を高めた。伏せられた目蓋、いまだ赤いままの頰、時折吐き出す熱い吐息。ひとつひとつが欲を掻き立て、口づけを贈らずにはいられなかった。

口づけを繰り返していく内に、気持良くなってきたのか性器を弄ぶ手が疎かになってきた。先端を撫でていた指は動きを止め、手のひらはただ肉の棒を包み込んでいる。緩く開き始めていた唇の合わせ目から舌を差し入れる。

「……ん」

幼い舌を捕まえ、巻きつけ、絡ませる。甘く噛み、舐めていると、ジャーファルの舌も同じように動いた。その動きはシンドバッドから学んだものだ。与えたものが吸収され、形として差し出される時、シンドバッドは高揚する。

腕は自然に動いた。もっと近く、深く触れ合いたくてジャーファルを引き寄せ、体の線を手のひらでなぞる。背中、腕の付け根、脇腹、浮き出た腰骨、尻、今触れている体が、今ここに存在していることを確かめたかった。確かめて、己の腕の中に仕舞い込みたかった。

「っはぁ、……は」

「命令、を」

溢れる劣情をすこしだけ落ち着かせるために一度だけ息を吐き出し、ジャーファルに乞う。

「……さわ、って」

哀願に近い響きには同じく劣情が篭っている。

寝台に横たえ、腰帯の結び目に手をかけた。しゅるしゅると音を立てながら解けた腰帯を放り投げ、手際よく服を剥いでいく。性器は勃ち上がっており、そこへ視線を落とすと、恥ずかしげに身を竦めた。

「肌に触れて、舐めても?」

「……ゆるす」

肩口に鼻を押しつけて思い切り匂いを吸い込む。体臭のしない体が懐かしい。匂いがしないことに懐かしさを感じるなんてジャーファルが最初で最後だろう、そんなことを考えながら胸に手を置く。心臓の動きを手のひらで感じると、嬉しさが満ちた。またこの体に触れることができるその喜びを思う。

触れ合わなかった間にやはり痩せたようだった。その体へ舌を伸ばし、皮膚を舐めた。滑らかな肌はいくら舐めても飽きることはない。それは指で触っても同じことで、胸や腹にかけて手のひらを滑らせて労わるように感触を味わう。楽しいのは反応もだ。いまだ戸惑いと羞恥が勝るジャーファルはいつも唇を噛み締め、声を殺す。殺し切れなかった吐息がシンドバッドの髪や肌にか弱く触れる時、体の奥底から痺れるような快感が湧き上がった。

「気持良い、ですか」

「……ん、うん」

頷いた後、両腕で顔を隠した。

「まだ慣れませんか」

「慣れようと、努力は、しています」

「……もし、嫌なら」

愛撫する手を止め、ジャーファルの顔を見遣る。そろそろと退いた腕の下から潤んだ目が見つめ返してくる。情欲に溺れるには幼い顔を見つめていると、不意に不安が湧き上がった。

ジャーファルはまだ子供だ。手足は伸び切っておらず、鍛えられた体に筋力は備わっているが、まだか細い。シンドバッドはすぐにそのことを忘れてしまう。

初めて触れた時、シンドバッドに躊躇いはなかった。イムチャックからレームに向かう船の中、ふたりは同室で、寝食を共にしていた。そんな折、白い肌にいくつもの傷跡があるのを見た。痛々しい傷跡は妙に目を引き、触れてみたいと思う気持を引き出した。触れていいか、と問うこともなく、シンドバッドはジャーファルの腰にある傷に触れた。拒絶されたならおとなしく手を引っ込め、二度と触れなかったろう。

伸びた手をジャーファルは拒まなかった。拒まず、受け入れ、シンドバッドの指が傷跡を撫でるのをおとなしく見ていた。切欠はそれだけだった。

傷跡と、それから触れた肌が心地良くて、また触れてみたいとすぐに思った。触るだけでは物足りなくなって舌で味わうようになり、「……わたしも、さわった方が、いい……?」と問われた時に曖昧だった欲望が明確な形になった。その夜以降、触れ合う頻度が増え、同時に行為も先へ進んでいった。

ジャーファルはまだ子供で、果たしてどこまで理解して、シンドバッドに付き合っているのかわからなかった。人肌恋しさに性的接触を受け入れているのかもしれなかった。嫌われるのが怖くて拒絶できないだけかもしれなかった。情欲に引きずられて心は置き去りなのかもしれなかった。以前は一度も考えなかったことが次から次に浮かんでシンドバッドを怯えさせる。

「私、シンに触られるの、好きです。気持良いです」

「今は」

「ずっと気持良いままだと私は思いますけど、シンはそう思わない?」

素直に頷いてみせると、ジャーファルは微かに眉を寄せた。

「それってこういうことを終わりにしたいって遠回しに言っているんですか」

「無理強いをしていたなら嫌だと思って」

「そんなことを、今更?」

「今更だが、大事なことです」

「……怖じ気づいたんですか?」

ジャーファルの問いにシンドバッドは黙り込む。脳裏に浮かんだのはファティマーのことだった。彼が一体何をされたのか、詳しくはわからない。色濃い性の匂いをさせて、憔悴しながらも、マーデルへの思慕を口に出す。哀れだと思った。好意を利用し、思い通りに人を動かすことの醜悪さに嫌悪を抱きもした。……その嫌悪は疑問と共に自分へと帰ってきたのだ。

望まぬ行為であるのなら、いつかどこかで破綻してしまう。まっすぐ見つめてくる目に嫌悪や憎悪が浮かぶなど耐えがたいことだ。つまりはジャーファルが指摘する通り今更怖じ気づいたのだ。

「まだ取り返しがつくだろうか」

「どうして私が嫌だって前提で考えるんですか。大体、おとなしく言う事を聞く人間だと思っているなら、随分とお目出度いですね」

軽く笑い飛ばすジャーファルの頬は赤い。情欲が幼い頬を色づかせている。

「それに今の私は、奴隷であるあなたに命令ができるんですから、嫌だったら拒絶しています」

「……ジャーファル様は、まだ幼いから」

「幼いから、行為の意味がわからないと言いたいんですか。そもそもこんな時ばかり子供扱いするなんて」

そう切り返されると言い返す言葉がない。

「まあ、実際、子供なんですが。……いいんですよ、別に。シンは女性が大好きだって知っていますし、夜の相手ならいくらでも選べる。私みたいな子供との行為に飽きても、未練がましい目で見たりしないし。ただ、やめたいならやめたいと言えばいいだけなのに、まるで私のためを思ってやめるとでも言いたげに……」

「そうじゃない。未練がましい目で見てくれるなら、嬉しい」

「じゃあ、シンが私に飽きたら、そうする……」

言った後で気恥ずかしくなったのか、視線を逸らして口を噤む姿に、ジャーファルにもジャーファルなりの不安があったのだと知り、シンドバッドは嬉しくなった。

「私がジャーファル様に飽きると?」

「好奇心の強い男が一箇所に留まっている訳がないです」

「それとこれは別問題でしょう。それに、まだジャーファル様のすべてを味わっていない。もちろん味わい尽くしたあとには、こうやって遊びや道具を取り入れて、いつまでも新鮮な気持で飽きることなく楽しく過ごせるようにしましょう。そのためならばどんな努力も厭いません」

「……そんなことばかりに身を入れられても困るんですが」

「もちろん昼も夜も必要なもののための努力を惜しむつもりはありません。……決して失望などさせません」

「一応は、安心しました」

「ええ。ですから、どうぞ次のご命令を」

唇を軽く啄ばみ、耳元で囁くと、「続きを、……しなさい」と消え入りそうな声が命令を告げた。

「はい、喜んで」

唇を合わせ、深く、深く口づける。求められ、受け入れられている安堵感が身体中に満ちていた。口づけを繰り返しながら、シンドバッドの手のひらは肌を滑る。わずかに浮き出た骨の感触や慣れ親しんだ傷の跡、それらひとつひとつを慈しみながら指で触れる。指で触れるだけでは物足りなくなって、肌に唇を滑らせた。音を立てながら口づけ、吸えば赤く跡が残る。白い肌にいくつか赤い跡を残して満足したあと、口を開けて、乳首に吸いついた。

「……っ、ん」

唇と同じように丹念に舐め、吸いつき、愛撫を施す。あまりしつこくすると「そこばっかり恥ずかしい!」と怒り出すが、今夜はおとなしく受け止めている。初めて舐めた時はくすぐったいと笑い出して身を捩るばかりだったが、今では快感を得ている。そのことを嬉しいと思い、もっと快楽に溺れても欲しかった。

ぷっくりと膨れ上がった乳首を甘噛みしながら、もう片方を指で挟んで引っ張る。ジャーファルがこぼれそうになる声を殺そうと唇を噛み締め、頭を振るえば、敷布に髪が叩きつけられる音がした。

「……嫌ではありませんか?」

「ッ、そこで、しゃべらないで……っ!」

は、はぁ、と無理矢理に呼吸を整えた後、じっとりと睨みつけてきた。

「見ればわかる、ことを、いちいち聞くのは……意地が悪いです」

「確かに」

勃ち上がった性器を手のひらで包み込む。

「……ッ!」

擦るように上下させて刺激を与えると、あっという間に首まで赤くなった。ただでさえ赤かった肌が更に赤く染まる様子に唇が綻んだ。握り込めた性器をゆるゆると上下に扱き、指の腹で先端を撫でる。手のひらにほぼ収まる大きさ、形、快楽にふるえるには幼い陰茎があまりにも愛おしい。

「あぅっ、もう、いいッ、わたしばっかり、いいです……!シンも、いっしょに」

はい、と頷き、一旦体を離す。寝台から降りて、傍らに備えつけてある机の引き出しから潤滑油を取った。

「……使うんですか?」

「ええ、使った方が気持良いでしょう」

にっこりと笑ってみせると、顎を引いて見つめてきた。微かな警戒が瞳に映っている。

「嫌ならすぐにやめますから」

寝台に戻り、潤滑油の瓶を傍に置く。ジャーファルの足を抱えて、合間に体を入れると、互いの性器を重ね合わせた。その上から潤滑油を垂らす。一緒くたに握り込めたふたつの性器を、液体と絡ませ合いながら擦る。

「ん、んんっ、……ぁ、は!」

ぬちゃ、ぬちゃ、と卑猥な音に掻き立てられるように手は動いた。

「ふぁっ、……う、あ、シン、……っ」

「んー……、お嫌ですか」

ふるふると首を振るって否定を示すジャーファルの蕩けた表情に安堵して、指の動きを再開させた。先走りと潤滑油の混じった液体が白い腹へ垂れ落ちる。

「シン、シン……っ!」

切なげに何度も名前を呼ぶものだから気になり、「どうかなさいましたか」と身を屈めて声をかけた。首輪から繋がる鎖が、ちゃりっと音を立ててジャーファルの胸に落ちる。その落ちた鎖を小さな手が掴み握りしめ、思い切り引き寄せた。

「いっ……!」

「あ、ごめ、ごめんなさい、っ、でも、届かな、くて」

途切れ途切れ謝罪の言葉を呟き、ジャーファルはシンドバッドに口づける。握った鎖を力強く掴み、手放す気配はない。金属の首輪が皮膚に擦れ、痛みを生み出した。ジャーファルはただ夢中で、シンドバッドの皮膚を擦る痛みについて思考が回らないようだった。

言葉では表すことのできない感情をどうにかして伝えようと、ぐずぐずと涙を流しながら首を伸ばし、シンドバッドの頰や唇に幾度も口づけを繰り返している。その感情は正しくシンドバッドに伝わり、無理に首を伸ばさなくてもいいように深く体を折り曲げてくっつくと、安心したのか、頭を寝台に置いた。

ちゅっ、ちゅ、と顔中に口づけしながら、手の動きを早める。

「っはぁ、……ぅあ、ああ、っ!」

逃れたいのか、ねだっているのか、ジャーファルの腰が揺れて、足がぱたぱたと動く。大きな体の下に押し込められ、腰が浮かんでいる状態では、傷のある足は宙を掻くばかりだ。

「あっ、あー…………」

足が動きを止めて、次に体から力が抜けていく。荒い呼吸のあと、はぁっ、と大きく吐き出された息に笑みが零れた。この瞬間、ジャーファルは無防備な顔になる。張り詰めていたものが解けて、緩んで、こうあらねばならないという意識が消えて、子供の顔が覗く。鎖はまだゆるく握られたままで、手放す様子はなかった。

「気持良かったですか」

「うん、でもシンが、まだ」

「……お付き合いいただけますか」

「ええ、もちろん……」

では遠慮なく、と囁いて性器を握り込めていた手を後孔へと滑らせる。指の腹で窄まりを探し当てて撫でると、びくんっ!と体が跳ねた。達して色味が落ち着いていた頬がまたじわじわと赤くなっていくが、おとなしく口を噤んでいる。自分だけ先に達してしまったのだから我慢せねば、とでも思っているのだろう。

潤滑油と精液の混じった液体を塗りつけながら指を忍び込ませた。肉壁を押しのけ、ゆっくりと入り込ませた指で内部を撫でる。初めて指を挿れた時は眉を寄せて異物感と痛みに耐えるばかりだったが、何度か繰り返すうちに違う感覚も得たようだった。どこが良さそうか、気持良くなれそうな場所があれば教えてくれ、と協力を得て探ったおかげで反応の良い場所もわかっている。

ジャーファルの反応を窺いながら、指を増やす。弱い部分を二本の指で刺激しながら、抜き差しを繰り返した。

「……っん、ふ、シン……っ」

「どうしました。痛い?」

「いた、くは、ないですっ、また、挿れる、んですか……?」

「すこしだけ」

「この間と、っ、同じくらい?」

「はい」

わかりました、と頷いてみせて、深く息を吐き出した。体の力を緩ませたのを感じて、指を抜き、代わりに性器を擦りつける。

「——ッ!」

先端が潜り込むと体が強張り、きつく締めつけられた。以前先端を挿入した時は、このままの状態で数分過ごしてから抜いた。いずれは全てを収めるつもりであるとはいえ、体格の差はすぐに埋められるものではないし、負担をかけるつもりもなかった。ただそれはジャーファルに対して無自覚な部分があったから、抑えられていたことでもある。

覆いかぶさるようにして両肘を寝台についた。くっついたせいで、性器がじりじりと入り込んでいく。体内の熱さと締めつけが気持良く、達してしまいそうになるのを堪えた。

「……動いても?」

「だ、だめ……、このままが、いい……っ」

「そのように愛らしいことをおっしゃられると、悪戯心がくすぐられてしまいます」

「わ、わたしが、主なんですよね!?」

「ええ、ええ、私めは奴隷です」

「命令したら、聞き入れる……っ、んです、よね……!」

「もちろんです。私は忠実で従順な、ジャーファル様の奴隷ですから。命令されたなら、必ず」

「では、抜……、……ッ!」

軽く揺すると、言葉は喉の奥に引っ込んだ。鎖を握る手に力が込められ、首輪がシンドバッドの首を擦る。呼吸を整えるのを待たず、また軽く揺すった。

「〜〜ッ、あ、や、やだ……っ!」

体も足も丸めて縮こまる。眦から涙が零れて落ちた。

「ぬいて……ッ、おねがい、こわい!」

「ジャーファル様……」

鎖を掴む拳を手のひらで包み込み、耳元で囁く。

「鎖を離してくださらねば、離れることができません」

「あ……」

言われて気づいたのか、拳の力が緩む。緩んだ手を鎖ごと強く握り締める。

「あ、あ……、手を」

離して、と言い終わる前に唇を塞ぐ。まだ命令はされていない。だから離れなくていいし、抜かなくてもいい。唇を塞いだまま体を揺する。逃げようともがく体を上から体重をかけることで制する。性器を包み込み、締めつける感覚が気持良い。根元まで押し込んだならどれほどの快感を得られるだろうか。優しくもしたかったし、全てを奪いつくすように貪りもしたかった。

幾度か体を揺すった後、言葉を封じていた唇をゆっくりと離す。唇は濡れて、舌は赤く、いやらしく引きつった。苦しげに喉が上下し、嗚咽が零れ出す。命令される前に唇を塞いでしまおうと顔を近づける。

「きょ、きょうは、ゆるして……」

「今日は?」

こくん、と頷いて、ジャーファルは言葉を続ける。

「私がッ、おおきくなるまで……、待って」

涙で濡れた目が縋るように見つめてくる。

「わたし、いっぱいご飯たべて……すぐにおおきく、なるから、だから」

泣きながら告げられた言葉があまりに愛らしくて虚を衝かれた。喉奥から自然に笑い声が溢れる。真剣な言葉を笑われて不快になったのか、ジャーファルは不機嫌に眉を寄せた。

「ほんとうです。すぐに大きくなって、もっと、あなたをよろこばせるんですから」

新しい涙が零れて落ちる。握り締めていた手を離し、親指の腹で零れた涙を拭った。

「わかった、その時を楽しみにしていよう」

承諾し、ゆっくりと体を離す。引き抜く時にぶるりと体が震え、その締めつけに一瞬後悔したが、素直に性器を抜いた。ジャーファルは心底安堵したように深く息を吐き出し、「すぐにおおきく、なりますからね」と、真面目な顔で言う。

「なればいいが」

からかい混じりに笑ってやれば、眉間の皺をさらに深く刻み、睨みつけてきた。腰の辺りにくっついているジャーファルの太ももを掴んで閉じさせ、合間に性器を潜り込ませる。

「あなただって、どんどん伸びたじゃないです、か、……っ」

「俺とジャーファルは同じ人間ではないし、お前はすこし働きすぎだ」

たまには休め、と囁き、腰を揺らす。すべやかであたたかい太ももに挟まれるのは気持良い。後孔に挿れた時ほどの締めつけはないが、気持が昂り、動きが止まらなくなった。

「休ん、で、こんなことを、するんですか、っ!」

太ももの間から時折はみ出すシンドバッドの亀頭を両手のひらで包み込みながら、ジャーファルが問う。

「していい…、なら、する、…っは」

「……んっ、そう、して……ッ!」

そうすれば女遊びをする必要はなく、余計な面倒も起こさない。そんなことを考えているのだろう。ジャーファルはいつも色々なことを考えている。むしろ考えすぎている。だからこそこうやって遊んでいる間は、休めるのではないか、とシンドバッドは取ってつけたような理由を思い浮かべる。

かすかな罪悪感を掻き消すのは快感だ。下半身に血が集まり、昂り、やがて放出を求めて、腰の動きが早くなる。ジャーファルの手のひらに吐き出された精液は、溢れて垂れ落ちた。射精して萎えた性器を引き抜く。白い腹や太ももに流れる精液がいやらしく見えた。

「きもち、よかったですか」

起き上がり、手のひらや太ももにまとわりつく白濁した液体を布で拭き取りながら聞いてくる。

「ああ、よかった」

「じゃあ、もう首輪を外してかまいませんね」

いけない、奴隷の身であったことを忘れていた、とすぐさまシンドバッドは神妙な表情を作る。

「奴隷の身でありながら、ジャーファル様を欲望の対象にするなど……」

「まだ続けるんですか、それ」

「この首輪がある限り私は奴隷の身。今宵の過ぎた言動をお許しください。このように躾が悪くては、解放など先の話……」

「期間を延ばす奴隷がどこにいるんですか。くだらない遊びはおしまいにしますよ」

「やだなあ、もっと遊びたいなあ」

ジャーファルを抱き込み、駄々をこねるように体を揺すると、こら、と怒られた。

「最後にひとつ、ご命令を。それで終わりにしましょう」

「命令なんてありません」

返ってきた言葉が不満で、「そんなはずありません」と命令をねだる。

「ないですったら」

「いいえ、必ずあるはずです。普段あのように次々と小言を繰り出すのですから、あるに決まっています」

「好きで小言を言ってるんじゃありません。……誰のせいだと思ってるんですか」

「だから、命令なりあるでしょう?」

「どうせ寝所限定なんでしょう。部屋を出たら効力を失う命令なんて馬鹿らしくって考えていられません」

黙り込むと、ほら、と得意げに笑った。

「いえ、ひとつだけなら」

真摯さを滲ませた言葉に今度はジャーファルが黙り込み、逡巡し、目を伏せた。

「……命令なんてないので、もう首輪を外してもいい?」

「ええ。その前に、命令があるのならば聞かせてください」

「ないですったら」

「そうかな。あるような気がしているのですが」

「……ないですったら」

「そんなこと言わずに教えてください」

「くだらないのでいやです。笑うから」

「笑いません」

「いやです」

「教えてください」

ジャーファルは逃げるように枕に顔を押しつけて頭を振った。絶対に教えないと言い張る背中に唇を押しつける。

「……どんなにくだらないことでもあなたの命令ならば必ず」

必ず、絶対に、と繰り返すと、おそるおそるジャーファルが視線を向けた。微笑み、言葉を促すと、何故だか泣きそうな顔をする。

「…………ない、で」

か細い声が伝える。

「しな、ないで」

ジャーファルの顔には後悔が滲んでいる。それでも言葉は紡がれた。

「シンがどこかへ行ってしまって、離れてしまっても、私は必ず探し出します。そして、あなたのために働きます。……でも、あなたがこの世界からいなくなってしまったら、私、どうすればいいのかわからなくなる。そんなの、怖くて、耐えられない。こんな、くだらないこと言いたくない。考えることすら怖くて、ましてや口になんてしたくないのに、シンは、引き出そうとうするんですね、ひどいひと」

強張った表情を無理矢理に解そうとして、笑顔が歪になった。

「でも、ほんとうに、私の命令を、願いを聞いてくれるなら、死なないで。せめて私のいないところでは」

「ジャーファル」

「……笑い飛ばして。お願いですから」

「お前が望むならば、俺は永遠の命すら得よう」

シンドバッドの言葉に、ジャーファルは困った顔をした。

「ははっ、大袈裟すぎて嘘くさいか。ジャーファル、お前が望むなら俺は死なないよ。だから、お前も死なないでくれ。せめて俺のいないところでは」

欺瞞に満ちた言葉だ。暗殺者であったジャーファルはその言葉の儚さに気づいている。シンドバッドもまた気づいている。それでもシンドバッドの真摯さは伝わったし、務めてくれるだけでジャーファルには十分だった。きっとまた人の警告なんて無視して、好きなように行動し、振り回されるのだとしても、心の片隅で自分自身の安全を考えてくれるならそれでいい。

「……うん」

ジャーファルは頷き、次に身を起こして鍵を取り、シンドバッドの首輪を外した。シンドバッドが枷の外れる音に感じたのは解放感と、わずかな物寂しさで、もうすこしジャーファルの奴隷でいたかったと思ってしまう。そんな寂しさに気づかないジャーファルは、

「やはりあなたにこんなものは似合わない」

と笑った。言い返してやろうかと言葉を探すが、あまりにも嬉しそうに笑うものだから何も浮かばなかった。ジャーファルは首輪を傍に放り出し、シンドバッドの首を優しく撫でる。

「跡が、ついてしまいましたね」 

色濃くなってしまった首輪の跡を指がなぞる。

「お前のせいだな」

「元はと言えばあなたがくだらないごっこ遊びを思いつくから」

「何を言うんだ。鎖を引っ張って離さないから、跡がついてしまったんだ。……ジャーファル、お前のせいだよ」

「私の、せい」

「ああ」

言葉の意図を読み取ったジャーファルは嚙みしめるように「私のせい」と繰り返す。奴隷であった跡は、悪ふざけの代償へすり替わってしまった。

「本当に、くだらない……。奴隷ごっこしたいなんて言うからですよ。私のせいばっかりじゃないんですからね!」

「ああ。次は役割を交代して遊ぼうか」

「嫌です。ろくなことしないに決まっているんですから」

「例えば、大きくなるのを待たずに最後までヤっちゃったり?」

「……しそうです」

「うん、ヤる」

「もう絶対くだらない遊びはしません!」

他愛のないやりとりをしながら、汗をかいた体を拭き、乱れた髪を整え、寝巻きに着替えた。自室に取りに戻るのは面倒だったのか、ジャーファルはシンドバッドの寝間着を借りている。体格に差があるせいで、首元も袖も丈も余っていた。大きく開いた襟ぐりから覗く鎖骨や、屈むと見え隠れする乳首が目に入ると、湧き上がるものがあったが抑えつけた。

洗濯籠に突っ込まれた汗と精液で汚れてしまった布や服は、後でまとめてジャーファルが洗濯をする。他の誰かに情事の跡を始末させるのは嫌なようだ。あまり汚さないように触れ合う方法を考えねばとシンドバッドが考えている間にも、ジャーファルは新しい敷布を取り出し、寝台をぴっちりと整えた。手際の良さに感心し、整えられたばかりの寝台に寝転ぶ。

「自分の部屋に帰るのか?」

「あなたが追い出すなら帰ります」

「追い出すわけないだろう、おいでおいで」

子供を扱うように呼べば、不服そうな顔を見せた。シンドバッドは、ころころ変わるジャーファルの表情を見るのが好きだ。だからからかい混じりに子供扱いすることもあるし、ちょっとした悪戯で困らせたり、わざと駄々をこねたりもする。今夜も色々な顔を見た。すべてシンドバッドが引き出した表情だ。

寝台に潜り込んできたジャーファルは、不機嫌を引っ込めて、当たり前の顔をして横たわっている。寝転んだままシンドバッドを見て、「はやく寝ますよ、明日も忙しいんですから」とまるで母親か女房のようなことを言った。

 

戯れたあとにやってくる睡魔は強い。幼い身であればなおさらだろう。落ちるように眠りについたジャーファルの前髪を指先で払いのけて、額を撫で、寝顔を見つめる。なにもかもを預けきった安らかな寝顔に感じるのは安堵だ。

これから先、どんなことが起こっても、ジャーファルだけはシンドバッドの傍にいて、シンドバッドのことを考え続ける。失望したのなら殺されるのだ。その時点で生は終わり、ジャーファルが傍にいない未来はなく、離れてしまったと震える必要もない。それはそれで安堵であろうとシンドバッドは思う。

ジャーファルは言った。どこかへ行ってしまっても、必ず探し出す、と。それはシンドバッドも同じだ。これからの道のりで、また罪のない誰かを犠牲にしてしまうかもしれない。手を汚した自分を許す存在が必要だった。許されるべきではない犠牲を、許すと言ってくれる存在を、シンドバッドは知ってしまった。

「……お前は、共犯なんだ」

ジャーファルの手を取り、握り締める。爪の合間に墨が入り込んでいて、筆を動かし続けている指先は硬くなっていた。武器も扱う手だ。消えかかっている古い傷跡とは別に新しい傷跡もあった。失望させない限り、この手は墨で汚れて、硬くなって、傷ができてしまうのだろう。そうであって欲しいとシンドバッドは心から願っている。

 

memo
2017.7.15
ゼパル編後に立場が逆の奴隷ごっこしていろいろされてほしい