王様の拘束

「酷い有様だな」

切り裂かれた服を軽く引っ張り、胸の合間に走った一本の切り傷をなぞる。服を切り裂く時についたのであろう傷跡の血はもう乾いていた。なぞる指が含む意図に気付かぬジャーファルではない。咎めるように名前を呼ぶ。王は知らぬ振り。

「……下は、手か」

裂かれた腰布を掴み上げ、足を覗く。制止しようにも後ろ手で拘束されていて敵わない。王が掴み上げた布は、刃物で切り裂かれた布と違い、ボロボロに裂かれている。手で乱暴に破かれたのだろう。

「傷はない」

太腿を手のひらで掴み、慈しむように優しく撫でた。手触りの良い肌に古くなった傷跡はあるが、新しい傷はない。

「……あの、いい加減」

「それにしてもお前の頬を張るとは、あの男、八つ裂き程度では足りなかったな」

唇の端が切れている。頬も赤く腫れていた。指先で触れれば、軽く身を竦める。

「大したことではないんですから」

王の指先から逃げるように身を捩るが、手は追いかけてきて頬を包んだ。

「いや、殺してやればよかった」

表情に変わりはない。王の口から飛び出した物騒な言葉に驚いて顔を見つめるが、なんだ?と首を傾げるばかりで、己の発言に疑問はないようだった。王の部下であるジャーファルは曲がりなりにも暗殺術の使い手であるから、人を殺すことについての躊躇いはほとんどない。しかし、王の口からその言葉を聞くのはひどく重たく感じられ、心臓がひやりとする。王の口から吐き出される言葉ではないと思う。その気持はジャーファルの感傷から来るものだ。

「あなたの手を汚すことはありません」

お望みならば私がこの手で、と舌に乗せれば、思いきり服を剥がれた。肩と胸元が露になる。

「ふむ、他に傷はない」

まじまじと肌を舐めるように見つめられ、体温が上がる。なんなんだこれは、と混乱する頭を振りかぶって、王の顔色を窺う。変わりはない。なさすぎた。

「……あの、シン」

「なんだ」

「怒ってるんですか?」

シンドバッドはジャーファルの問いに黙り込み、視線を反らす。暫くの沈黙の後、顔の位置を戻すと、目の前の肩を掴み、そのまま寝台に押し倒した。覆い被さり、鷹の瞳で見下ろす。

「ああ怒っている。そしてこれはただの八つ当たりだ」

「や、八つ当たり……?」

「お前をこうした奴を許せない。八つ裂きにしてやったがそれでも気が済まない。ならば、溜飲を下げようとお前を構うことにしただけの話だ」

なかなかに理解しがたい思考だった。大きく息を吐き出す。

「不服か?」

「……不服に決まっているでしょう。とんだとばっちりじゃないですか」

「捕まるお前が悪い」

「それは、否定しませんけど」

「俺の気持を考えてみろ。腹心の部下が帰ってこずに、散々探しまわって、助けにいってみれば、頬は赤く腫れている、服は切り裂かれている上に、足の間に誰か知らん男がいる、目の前でその男の首が落とされなかっただけマシと思え」

「……わざわざ言わなくていいです」

「それで、大丈夫なのか」

「ええ、その、なにかされる前にあなたが来ましたから」

己の過失で陥った状況に顔が赤くなる。それにしても、手首が痛い。

「あなたが怒っているのは分かりましたから、手を」

解いて欲しいと訴えれば、そうだったな、とようやく笑顔を見せた。手が背後に周り、そのまま腰を抱き込む。体が浮いて、疑問に思う間もなく引っ張り上げられた。勢いづいて前のめりに倒れれば、王の胸板が頭を支える。

「……手は」

「俺の手はここだ」

すぐ横でひらひらと手のひらが泳ぐ。

「いえ、私の手を」

「お前の足はここだな」

手のひらが太腿を撫で擦る。

「解くつもりは、ないんですね?」

頬が引きつる。捕まってからずっと拘束され続けている手首の感覚は段々麻痺してきた。助けられた後も、手首だけは解放されることなく、あまつさえ横抱きに抱え上げられ、随分と恥ずかしい思いをした。襲われかけた屈辱さえ忘れるほどの羞恥だった。寝台に降ろされた時は、ようやく解放されると思ったのだが、解放されるどころかいろいろな意味で拘束が強くなるばかり。しかも、相手が王では誰も助けには来ない。

「……私、こういうの好きではないのですが」

「失敗すればどういうことになるか学ぶ良い機会だろう」

「もう二度と失敗しません」

強く言い切れば、ようやくのこと手首の縄が解かれた。跡が残っている。手首を擦れば、肌がぴりぴりと痛んだ。すぐに消えればいいけれど、と考えていると思いきり抱きしめられる。

「……あまり心配を掛けさせるな」

ちいさく囁かれた言葉と、強くなる腕の力に頬が緩む。ええ、と幾度頷いてもその拘束は解けることがなかった。 

 

memo
2011.0603 / 王さまの拘束
容赦ない王様もいいなぁ、と思います。