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▼おれのジャーファルくんはとてもかわいい

 

 

 ジャーファルには隠しごとがある。

 あれは二日前の出来事だ。穏やかな午後の日差しが降り注ぐ中、シンドリアを激震させる驚くべきことが起こった。なんとあのジャーファルくんに荷物が届けられたのだ。ただの荷物ではない。シンドリア国の政務官宛ではなく、ジャーファル個人への荷物だったのだ。これがどれほど驚くべきことか、わかってもらえるだろうか。

 ジャーファルといえば、私服は一枚ーーその私服は十四の時の服であり、それを私服として持って来るだなんてお前の頭はどうなってんだーー、趣味といえば仕事、好きなものは珈琲、それだって特にこだわりもなくどのように淹れてあっても飲む、そんなジャーファルに荷物が届けられるなど驚くべきことであり、気にならない方がおかしい。

 個人的に贈り物をしてくれる友人は、俺の知る限りいない。自分で頼んだと見るべきだろう。仕事道具だろうか。いや、仕事道具であればその場で開封し、すぐさま使えるようにするはず。

 届けられた木箱はジャーファルの胸に抱えられて部屋へ運ばれ、目の届かない場所へと行ってしまった。

 ジャーファルの姿が消えてしばし、好奇心を抑えられなくなった俺は、傍らにいた文官に適当な理由を伝えて部屋を出た。ジャーファルの歩く速度は早く、姿はもう見えない。無理に追いかけるよりも待ち伏せした方が利口だろう。そう考え、ちょうどいい物陰に身を潜めた。

 降り注ぐ陽が途切れた物陰はひんやりとして、それもまた心地良い。壁に背を預け、耳を澄ます。人々の声、葉が擦れ合う音、それから遠く波の音が聞こえた。神経を研ぎ澄ませ、ジャーファルの気配を待つ。足音も立てず、気配も消している男を感知するのは簡単なことではない。耳で探るのは微かな衣擦れの音だ。あたためられた廊下を足音が過ぎていく。そのどれもジャーファルのものではない。

 足音のない人影が通り過ぎようとして、はた、と立ち止まった。

「こんなところで何をしてらっしゃるのですか?」

 不思議そうに首を傾げるジャーファルの腕を掴み、物陰へと引きずり込む。部屋に戻ったついでとばかりに腕には巻物を抱えていた。

「……何かしでかしたんですか、もしかして」

 眉を顰めるジャーファルに

「お前は俺をなんだと思ってるんだ」と返すと、「だめです。酒盛りをしている余裕はありません」とこれまた小憎たらしい言葉を吐き出した。

「お前はもっと俺を信用しろ。これはただの悪戯だ」

「子供ですか」

「驚いたろう」

「ええ、また問題を起こしたのかと思って驚きました」

「可愛くねえな、お前」

 そんな他愛のない会話を重ねた後、そういえば、と口を開く。

「何が届いたんだ、ジャーファル。随分と嬉しそうだったが」

「嬉しそうな顔なんてしていましたか?」

「ああ、していた」

「自分がそうだからって思い違いですよ。あなたは荷物が届くと本当に楽しそうな顔をしますからね」

 情景を思い出したのか、ふふっ、と肩を揺らした。確かに俺は荷が届くと嬉しくなる。例え中身を知らなくても知っていても、厳重に包まれた封を解く時のわくわくした気持は、冒険に赴く時の高揚感に似ている。思い返していると、

「さ、仕事しましょう」

 と現実に引き戻された。

「質問に答えていないぞ」

「大したものではありません。最近寝つきが悪いから、安眠作用のある茶を頼んだだけです」

「む、それはいかんな。今晩から俺が添い寝して子守唄でも歌ってやろう!」

「嫌」

 実に冷たい声が返ってきた。何も一文字で返すことはないだろう!

「あなたと一緒に寝て、それだけで済むもんですか」

「運動でもすればぐっすり眠れるだろう」

「疲れるじゃないですか」

「心地よい疲れは眠りを誘う」

「嫌ですったら」

「……喜んでいるじゃないか、いつも」

「喜んでいても疲れるもんは疲れるんです。あんただってそうでしょうが」

「俺はまだ若いからそんなことはない」

 はいはいそうですか、とにべもない返事をし、ジャーファルは「もうすぐ午後の公務の時間です」と俺の背を押した。陽の射す廊下を歩きながら、背後に声を投げる。

「俺にも味見させてくれ」

「……」

「おとなしく寝るから、お前にとって好都合」

「味見くらい構いませんが」

「構いませんが、なんだ」

「必要ないのに、と思って」

 可愛くねえ男だな、胸の中で呟いた。

 

 

 

 その夜ジャーファルが持ってきた茶は林檎のような甘酸っぱい匂いがした。胸いっぱいに吸い込み、息を吐き出す。隣りではジャーファルが涌かした湯で器を温めたり、茶葉を蒸らしたり、てきぱきと用意をしている。

「良い匂いだ」

「お気に召しましたか?」

「ああ、安眠できそうだ」

「なによりです」

 必要ないのに、と言った癖に嬉しそうに微笑むのがくすぐったい。手渡された茶を受け取り、口に含む。香りがより一層鼻孔をくすぐった。

「うむ、香りが良いし、心が落ち着くようだ」

「ふふっ、ではあなたの分も取り寄せておきましょう。いつでも飲めるよう道具もきちんと揃えておきますから、眠れない夜はどうぞひとりでゆっくり楽しんで」

「いや、それはいい。ひとりで飲んでも寂しさばかりが募る」

「……酒だけでなく茶もひとりでは飲めないんですか」

「ひとりで楽しんで何が楽しいものか」

「はいはい、わかりました。飲みたい時はいつでもお呼び立てください」

 口では呆れた風に言うが、その目は優しい。穏やかな気持とは別の感情が浮かび上がって、たまらない気持にさせる。

「ジャーファル」

「なんです」

「眠くなってきたから寝台まで運んでくれないか」

「……」

 優しい色を浮かべていた目が細められて、俺を見つめてくる。

「邪な気持なんてまったくないぞ!」

「わざわざ口に出す時点で疑わしいじゃないですか!」

「男ひとりで寂しく眠れというのか」

「男ふたりも十分に寂しいでしょうが。それにあんたなら女のひとりやふたり、すぐに引っかけられるでしょう」

「人聞きが悪いぞ! ……引っかけていいのか?」

「だめに決まっています。今晩のところは地味な男で我慢してください」

 顔色を変えずにそんなことを言うものだからおかしくなってきた。俺が吹き出すと、ジャーファルも笑みを浮かべた。このまどろっこしい、他愛ないやり取りをジャーファルも楽しんでいる。

「ジャーファル」

「はい」

「ぐっすり眠らせてやろう」

「加減してくださいね。明日も仕事ですから」

 

 

 心地良い疲れに微睡みながら、隣りで同じく眠そうにしているジャーファルを見る。

「ああ、身支度しないと……」

 そう呟いたジャーファルが起き上がろうとするのを、髪を梳くことで止める。

「気持良いからやめてください。眠たくなる」

「眠ればいいじゃないか。俺が起こしてやるから」

「一緒に寝てしまうに決まっています」

「たまには、いい」

「だめです。こんなところ見られたら言訳できません」

「なんとでも言えるさ。酒を飲んでいたら服を脱ぎたくなって、次は眠たくなってきたからふたりで寝てしまっただけなんだ」

「無理です」

 そうかなあ、唇を尖らせて呟くと、ジャーファルが笑った。微笑む頬を指先で撫でながら口を開く。

「なあ、ジャーファル。昼間の荷物、本当はなんだったんだ?」

「昨晩飲んだじゃないですか」

「あの茶はシンドリアに来ている商人から買ったものだろう。様々な効能のある茶を売っているらしいな。なかなか人気があるという話じゃないか。おもしろいところで性欲増強が効能のものもあると聞いた。茶の種類も豊富だが、店の主人の話術が実に巧み。話題は取り扱う商品同様に豊富であり、優れた話術で聞く者を引き込み、一度足を止めた客は必ず何か買わされる。商品のためならばありとあらゆるところへ赴き、目的のものを手に入れる。そう、彼が取り扱う商品にはそれぞれ物語があるのだ。俺はそれを聞いた時、思った。この男も冒険者であると」

「……シン?」

「さて、本当のことを話す気になったか」

「まるで実際に店に行き、見聞きしてきたように話をしますね」

「それは、つまり、……夜、街に飲みに行った時に偶然店主と会ったんだ」

「夜はより良い商品のために宿に引きこもり、茶葉の調合をしているようですよ」

「熱心なことだ! お前のように仕事熱心ではないか、なっ、ジャーファル!」

「そうですね。では、質問に答えてください」

「……ちょっと街の様子を見るぐらい、いいだろ」

「そりゃ構いませんが、私に黙って勝手に街へ行くだなんて。何かあったらどうするつもりですか」

「俺の国で何があるというのだ」

「ありますよ、そりゃ! あんたが女に手を出したり、見境なく口説いたり思わせぶりな態度で誑かしたり!」

「安心しろ、ジャーファル。酔っていなければ、そこまでひどいことにはならん!」

 何か言い返すかと思えば、あっさりと「そうですね」と頷いた。

「ですが、言伝ぐらいは」

「わかった」

 素直に頷きを返すが、それでは楽しみがない。ジャーファルに気付かれないように姿を眩ませるのは、日々の楽しみのひとつだ。いつだったか建物の屋根に身を潜め、ジャーファルの様子を眺めてみたことがある。

 俺がいなくなったことに気づいたジャーファルは、マスルールに俺を捜すように言い、それから仕事へ戻った。午後の仕事が始まる前に準備をするのだろう。いちいち真面目な男だ。

 準備に戻ったジャーファルは書架の前に立ち、手に持った巻物を直しては取り出し、直しては取り出し、ようやくのこと探していたものを手に取ると机に置き、座るかと思えばその場をうろうろと歩き回り始めた。結局自分でも探すことにしたらしい。その行動に満足し、屋根から飛び降りる。近くにはマスルールが待っていた。

「お前はいい子だな」

「もう報告していいっすか」

「ああ呼んで来い。さっき部屋を出たところだ。お前の手柄だから、ジャーファルに好きなものをねだれ」

 ねだらずとも夕食にはマスルールの好物をこれでもかと並べるだろう。想像するとおかしくて、自然に笑みが浮かんだ。

 マスルールが傍から離れ、しばらくするとジャーファルが早足でこちらへと歩いてきた。

「一体どこにいたんですかっ!」

「大きな声で怒鳴らずとも聞こえている」

「その割には一向に聞き入れてくださらないようですが?」

 眉間には苛立が刻み込まれ、いつもは丸い目が細められて、実に辛辣な顔になっている。唇から零れる細々とした小言は聞き慣れたもので、同じことを何度も飽きないものだな、とぼんやり思ってまた怒られるのだった。

 そういうやりとりを楽しいと思っている俺が言伝することはこれから先もない。おくびにも出さず、「お前に黙って勝手なことはしない」と素直に頷いて見せた。ジャーファルは満足そうに笑っている。次に姿を眩ませた時が楽しみだ。

「おっと、話が反れてしまったな。……俺には教えられんってことだな?」

「私が意地悪みたいな言い方しないでください。わざわざあなたに教えるようなものでもないんですから」

「ふうん」

 そこで会話を打ち切る。ジャーファルは追求の手が止んだことに安堵したのか、わずかに唇の端を持ち上げて、今度は作り笑いを浮かべた。本当に大したものではないんですから、とでも言いたげだった。俺としてもこれ以上追求するつもりはなかったから、同じように笑みを返す。答えは容易く得られるより、困難をくぐり抜けて自分の力で見つけ出す方が魅力的だ。

「……なんですか、その笑顔」

「お前だって笑ったろう。それに俺はいつでも笑顔だ。一国の王たる者、常に余裕が大切だからな。いつも眉間に皺を寄せ、口うるさく小言を繰り返すようでは部下も息苦しかろう」

「悪かったですね。いつも眉間に皺を寄せて、口うるさく小言ばっかりで」

「お前の話はしてないぞ」

「……」

 じっとりとした目は、不思議と愛らしかった。

 

 

 

 ジャーファルという男はよく怒る。

 毎日毎日あいつの怒鳴り声は王宮内に響き渡り、その怒声を聞かない日はない。本日餌食になった哀れな子羊はシャルルカンだった。……まただ。昨日も、仕事の邪魔をするなっ、とピスティと共に怒られていた。

 懲りないなあ、どちらに対しても思いながら近づくと、シャルルカンは唇を尖らせて不貞腐れ、ジャーファルは腰に手を当てて仁王立ちだった。その背後には庇われるようにしてマスルールが立っている。

 今日もまた届けられた荷を受け取り、自室へ向かったジャーファルだったが、中々帰って来ず、不思議に思って様子を見に行ったところ前述のとおりである。小言が忙しいらしく、俺の気配には気づいていない。

 あの夜からもジャーファル宛の荷物はいくつか届き、そのどれも俺の目に届かないように迅速に部屋へと運ばれた。

 素直な男だから、いつだか私服を買えと言った俺の言葉を覚えていて取り寄せたのかもしれない。または貞操帯を作らせ、俺の下半身を封じようとしている可能性もある。それとも可愛い後輩や子供らに与える菓子だろうか。様々な可能性を思い浮かべながら、ジャーファルを観察するもいつも通りのジャーファルだった。

「どうして俺ばっかり!」

「きみが後輩をいじめるからでしょうが」

「いじめてない!」

「さっき首を掴んで揺さぶっていたじゃないか。マスルールがかわいそうだよ」

「あの図体で揺さぶられたって堪えませんってば!」

 シャルルカンは憤慨した様子で訴えているが、ジャーファルは「そういう問題じゃないでしょう」と実につれない。マスルールはといえば、何を言うでもなく立っていて、腕には木箱を持っていた。届けられた荷だろう。見慣れた風景を眺めていると、微笑ましい気持が湧き上がって口元が緩んだ。

「またやっているのか」

「あっ、王サマ! 聞いてください!」

 俺の姿を見つけたシャルルカンの頬が輝いて、味方を見つけたとばかりに駆け寄ってくる。そしてすぐさま背後に身を潜めた。向かい合わせに立ったジャーファルが呆れたようにため息を吐き出す。

「いい歳して子供みたいに隠れるんじゃありません」

 お前がそれを言うのか。もう立派な青年になったマスルールを庇っている癖に。シャルルカンもそう思ったのか、えー、と不服な声を上げる。

「シンもそうやって甘やかすのはよくありませんよ」

「お前がそれを言うのか」

 今度は声に出してしまった。

「それで、今日はどうした」

「さあ……」

 首を傾げて俺を見る。

「理由も聞かずに怒るなんてジャーファルさんってばひどいッ!」

 シャルルカンが声を荒げて訴えた。まったくもってその通りだ。

「どんな理由があったとしても、年下の子に声を荒げて暴力を振るうだなんて……」

「ジャーファルさんが俺を怒鳴るのはいいんですか! 俺の頭叩いたし、あれだって暴力です!」

「きみがマスルールをいじめてたから、つい」

「いじめてませんってばー!」

 ジャーファルは納得出来ないように眉を寄せて、うーんと唸っている。

「聞いてください、王サマ!」

「よし、聞いてやろう」

「実は昨日の夜、酒飲む約束してたのにすっぽかしやがったんですよ!」

「そんなことぐらいで?」

「そんなことぐらいってなんですか、ジャーファルさん! 約束を守るのは大人として当然です! それに、昨日のはあいつが奢るって約束だったんです。マスルールがすっぽかしたせいで、俺が飲み代出すことになったんですよ! ほら、俺が怒るのも当然でしょうが」

 ……昨晩の話だとシャルルカンは言う。昨晩のことならば俺も無関係ではなかった。ジャーファルの背後に庇われているマスルールはいつもと同じ表情をしている。目が合っても変化はない。

 マスルールならばこのままずっと黙っていてくれるだうし、話を合わせてもくれる。シャルルカンだって、後でマスルールが約束をすっぽかした理由を話せば許してくれるだろう。ふたりとも俺を心底慕ってくれる可愛い部下なのだ。そんな可愛い部下をジャーファルの矢面に立たせたままで良いものだろうか。

 ジャーファルは「ちゃんと理由を聞いたの? マスルールだって急な仕事が入ったのかもしれないじゃないか。それに体調が優れなかったのかもしれないし、仕方ない理由があったんだと思うよ」

 と、マスルールの肩を持ち、庇っている。俺もマスルールになりたい。背後のシャルルカンを見れば「そうかもしれませんけどォ……」としょんぼりし始めた。

「……すまん」

 おそるおそる口を開けば、ふたりが揃って俺を見た。

「俺のせいだ」

 ジャーファルの眉間に皺が寄る。俺はその密やかな皺を見ると、心臓がきゅっとする。

「実はな、昨晩思い立ってマスルールを酒に誘ったんだ。だから約束を違えてしまったのは、俺のせいであり、元凶は俺だ」

「王サマ、ひどい!」

 背後から声が上がる。

「悪かった」

「どうして俺を誘ってくれないんですかッ!」

「そ、それもそうだな……?」

「そうだな、じゃありません!」

 予想通り怒りの矛先がこちらに向く。

「昨晩は大人しく寝ると自室に引っ込みましたよね!」

「……その後、こっそり抜け出してだな」

「あんたって人は!」

 ジャーファルが怒り始めると、背後に隠れていたシャルルカンがすすっと離れた。

「しかも、マスルールを巻き込むだなんて何を考えているんですか!」

 まるで悪事の片棒を担がせたかのような物言いだ。……それほど間違ってはいないか。

「今日は大人しく早めに寝ようと言ったのはあなた自身でしたよね。最近仕事が立て込んでいて息抜きできていないことは分かっていますが、酒を飲めば睡眠時間が削られてしまうし、翌日酒が残っていては仕事にも差し支える。いいですか、あなたはこの国の王で、いわばこの国の顔なのです。他国からの使者が、目の下に隈が出来て、二日酔いでやつれた生気のない顔をした王を見てどう思うか、考えてもみてください。シンの端正な顔は女性を誑かすためだけにあるのではありません。他国の使者にも十分に効果を発揮するはず。魅了するにしろ威嚇するにしろ、完璧な状態で対面するのがなによりも効果的。その完璧な状態を保つためにも、疲れたらきちんと休む! あなたはすぐに無理をするんですから、休める時に休んでくれなくては困ります! いいですか、王として……」

 と、ぐだぐだと小言を零し続けるジャーファルの顔は本気だ。聞き続けるうちにくすぐったくなってきた。なんと愛らしい小言であろうか。愛に溢れている。大体すぐに無理をするのはジャーファルだって同じだ。

 昨日の夜は、言葉通り早めに寝台に横たわったはいいがなかなか寝つけなかった。やってこない眠気を待つために、寝台の上でまんじりしていた時、唐突に酒を飲みたくなった。上手く眠れないのも、疲れているのも、酒を呑んでいないからに違いない。その考えに行き着くと、どうしても酒を呑まねばならないと思った。だから私服に着替え、自室を抜け出した。ジャーファルを呼ばなかったのは、同じく疲れているだろうジャーファルを少しでも休ませたかったからだ。そんな気持など知らぬ男が言う。

「せめて私を呼んでください。あなた、ほっとくと飲み過ぎてしまうんですから」

「いや、ちゃんと節制して飲むよ」

「嘘おっしゃい。私が適当なところで止めないとすぐに調子に乗ってしまうじゃありませんか」

「お前は止めるのがはやすぎる」

「シンが酒に弱いせいです」

「うーん、お前の言い分はよくわかった。だがな、もっと優しく言ってくれないか。飲み過ぎです! と怒るから俺だってムキになってしまうんだ。あなたの体が心配だからお酒は控えて……と優しくお願いされたら俺だって素直に飲むのを止めようというものだ」

「優しく言ってあなたが聞く訳ないじゃないですか」

 返す言葉もない程に事実だった。優しく可愛くお願いされたなら、俺はこう思う。

 こんなに優しく言ってくれているのだから、飲み過ぎても許してくれるだろう。

 つまりジャーファルは正しい。それにしてもこんなに口うるさくなったのはいつの頃からだろう。出会った頃も、別の意味でうるさかったが。

 初めて出会った日のことを思い出すと、不思議と胸があたたかくなる。決してあたたかい出会いではなかったが、あれがジャーファルとの始まりだった。今となっては良い思い出だ。出会って、仲間になって、長い年月を共に過ごすうちに変わっていったものを思う。……それにしても何がどうしてこんな子に育ってしまったものか。見てきた筈なのに、不思議で愛おしい。思わず頭を撫でたくなってしまう。

「……なんですか」

「何が、だ」

「私の話、ちゃんと聞いてないでしょう。私、怒っているんですよ」

「ちゃんと聞いているさ。それに反省もしている」

「嘘。口元が緩んでいます」

 手のひらで口元を隠し、引き結んでから退けた。

「すまん。……少し昔を思い出してな」

「昔って」

「俺とお前が出会った頃」

 その言葉を聞いた瞬間、ひどく嫌そうな顔をした。

「あ、王サマ! 俺、その話に興味ある!」

「死ぬ覚悟があるんですよね、シャルルカン」

「えっ」

「覚悟があるなら止めませんが、……ただで済むと思うなよ」

「ジャーファルさん怖いッ。きっ、聞きません!」

 こんな風にジャーファルはあの当時の話を持ち出されるのを異様に嫌う。確かに生意気で、口は達者、態度は尊大、その癖思慮が浅く、人の痛みを知らない哀れな子供だった。何が哀れかと言えば、そうあらねば自分を守れなかったことだろう。

 今は成長し、こんなにも働き者で思慮深く、俺のため、国のためと尽くしてくれるのだから、あの子供時代も俺には愛おしいものだった。たまにはジャーファルと思い出話に花を咲かせたいのだが、当の本人が嫌がるものだから叶えられたことはない。酔った勢いで口に出せば、どんなに離れていもてすぐさま駆け寄り、口を塞ぐのだった。……その時の必死な形相も可愛いから構わないのだが。

「ともかく、シンは酒を控えてください」

「ああ。わかった」

「返事は良いんですよねえ」

 まるっきり信用していない。はあ、とため息を吐き出した後、マスルールへと振り返った。

「いくらシンに頼まれたからって約束がある時は、ちゃんと言わなきゃだめだよ。それからね、私に黙ってお酒飲もうとしたら教えて」

「……口止めされたんで」

 振り返ったジャーファルの視線が怖くて思わず視線を反らすと、シャルルカンと目が合った。

「あー……、昨晩の分は俺が出そう」

「そんなのいいです! 今度ジャーファルさんに黙って酒呑む時は、絶対に俺を誘ってください!」

「私に黙って呑むなッ!」

「ジャーファルさんも一緒に呑めばいいんですよね!」

 それが良いですよね、とにこにこ笑っている。お前はしょっちゅう酒癖の悪いジャーファルの餌食になっているがいいのか。ジャーファルはシャルルカンを見つめ、「却下」と冷たく言い放った。

「ほら、さっさと仕事に戻れ」

「扱いがひどい!」

 頬を膨らませ、不服そうにしながらもシャルルカンは素直に仕事に戻った。

「マスルールはこれから鍛錬かい?」

 こくん、と頷くマスルールを頬を緩ませて見つめた後、預けていた荷を受け取ろうと手を差し出す。

「俺が持って行きますよ」

「そう? じゃあお願いしようかな。机の上にでも置いといてくれるかい」

 はい、と返事をするマスルールに「ありがとう。鍛錬の時は怪我に気をつけてね」とあたたかい言葉を掛けて見送る。この対応の違い、さすがにひどいと思うぞジャーファルくん。

「シャルルカンにももう少し優しくしてはどうだ」

「いいんです。だってあの子、どこかの誰かさんの真似っこしてあんな子になっちゃったから。優しく言っても聞きやしないんだもの」

 と俺を見て笑った。

「どこかの誰かさんも、お前に厳しく小言を言われているのか。かわいそうに」

「何がかわいそうなものですか。ちょうどいい扱いです。それに適度に構ってやらないと拗ねるし」

「……いい歳して拗ねはせんぞ」

「ふふ、あなたが言ったことですよ」

「覚えてないな」

 隣りに立つ男はにこにこ笑うばかりだ。気恥ずかしくなって再度「そんなこと言った覚えはない」と言ってみせるも説得力はなかった。

 ジャーファルが他のことばかりになると拗ねたくなるのは事実だった。そんなことを常日頃思っていたものだから、酔った時にでもぽろりと零してしまったのだろう。ジャーファルはそんな些細な言葉すら覚えている。だからといってこんな構い方はなかろう。

 ジャーファルはまだ笑顔で俺を見つめている。その笑顔を見ていると、なんだか無性に腹立たしく、同時に頭を撫でたくなった。

 

 

 

 南海生物が現れたのはその翌日だった。シンドリアを襲う南海生物の多くは巨大な体を持つ。国を囲む崖を難なく越え、入り込み、暴れようとするのだった。それら南海生物を仕留めるのは八人将の役目だ。

 その日、任を命じたのはジャーファルとマスルールだった。ジャーファルの眷属器が南海生物の体の一部に巻きつき、宿るバアルの力で体を麻痺させる。動きを止めた生物にトドメを刺すのはマスルールの一撃であり、それは眷属の力に頼らない純粋な腕力だった。脳天に重い一撃を喰らい、その衝撃で命を絶たれる。うむ、敵にはしたくない。鮮やかな手腕にいつも誇らしい気持でそう思った。

 だが、その日南海生物はすぐに気絶せず、大きい体をくねらせ、のたうち回った。麻痺のせいか動きは鈍かったが、緩くうねる体は果樹園の傍に併設していた倉庫を半壊させ、パパゴレッヤの樹を数本薙ぎ倒してしまった。普段より一回り大きな体をしていたせいで、雷の力が足りなかったのだろう。

 己の失態だとジャーファルは唇を噛み締め、俯いた。引きずられ打ちつけた体は痛むはずなのに、申し訳ありません、と力なく項垂れた。こんなこともあるさ、そんな言葉は何の慰めにもならず、暗い顔をするばかり。

「ジャーファル」

「……お叱りならばいくらでも」

「あのなあ、俺がそんな細かいことを気にするような男に見えるか?」

「……いいえ。申し訳ありません。叱られることで私が楽になりたいだけですね……」

「俺が怒鳴り散らして、お前の気持が楽になるのならばいくらでも叱ってやる。だが、そうではないだろう? 俺はお前のことはわかっているつもりだ。真に楽になりたいのならば、汚名返上すべく今宵の謝肉宴を盛り上げてくれないか」

 ジャーファルが顔を上げて、俺を見つめる。俺はとびきりの笑顔を返し、口を開く。

「お前が仕切らずに誰が仕切るというのだ。ほら、マスルールが指示を待っているぞ!」

「……、はいっ!」

 気を引き締めたジャーファルの表情に活力が戻る。

「ありがとう、シン。いってきます」

「ああ、楽しみにしている」

 走り出したジャーファルの背を見て、安堵の息をひとつ落とした。本当ならば真っ先に体の心配をしたかった。体は痛まないか、どこか怪我をしてはいないか。そんなことをすれば、余計な心配をかけたと気に病んでしまうのがジャーファルだ。面倒な男だ、と苦笑を零しながら働く姿を追う。

 その日の宴は普段より豪勢なものになった。獲物は大きく、国民や観光客に振る舞ってもまだ余るほどだった。残った肉は塩漬けなり薫製なりになる。皮や骨も余すところなく加工され、工芸品になった。出来の良いものは他国へと輸出されるのだろう。すこしでも潤えばいいのだが、金策に頭を悩ませるジャーファルを思い出しながらそんなことを思う。

 

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