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▼ひかり召しませ くものいと
(プロローグ)
「シンドバッド様はつれないお方」
寝台の上、女が笑う。宴の席にいた踊り子だ。彼女が踊るたびにひらひらした布が舞い、夜闇の中白い腕が浮かび上がって、しなやかな動きで皆の目を楽しませた。
踊り終えた女たちが我先にと寄ってきて、踊りを、私を見てくださいましたか? と頬を染め、宴の席はより一層華やかになった。他の踊り子たちと共に、きゃあきゃあとはしゃぐ彼女の笑顔は愛らしかった。じっと俺を見上げて、細い手を俺の手に重ねる仕草も。彼女の手を取り、こっそりと宴を抜け出したのはつい先ほどの出来事だ。
「ジャーファル様に悪戯するためだけにお呼びになるなんて」
彼女の手を取り、柱の影で告げた言葉は、あれの慌てる顔を見たくないか、だった。指差した先には、忙しく動き回るジャーファルの姿があった。
「期待していたのに」
わざとらしく唇を尖らせる彼女の手を取り、甲に口づける。頬に赤みが差す。
「それで、どんな悪戯をなさるの?」
口づけられた手を大事そうに握り締め、彼女が尋ねた。
「折角の楽しい宴だというのに、酒を飲み過ぎるなとうるさいものだから、ちょっとした仕返しなんだ。今頃、俺の姿がないことに慌てているに違いない」
「余計にうるさくなりませんの」
「大丈夫、慣れているからね。それに怒るのもあれの仕事なんだ」
「到底そうは見えません。ジャーファル様はそんなに怒りっぽいお方なんですか?」
いつも物静かでよく働いていらっしゃるわ、と女が笑う。
「騙されてはいけない。外面が異様に良いんだ」
王の部下としての姿勢も考える男だ。部下に尊重されない王と、あなたがそう見られるのは不快だと呟いたことがある。俺は気にしないと言ったが、私が気にしますと撥ね除けられた。
その辺りのジャーファルの考えは、人前では俺のことを「シン様」と呼ぶところにも表れている。だから、彼女がジャーファルを物静かな男であると思うのは当たり前のことだった。
白羊塔ではその姿勢を保つのは難しいが、宴の席でしかジャーファルを見ない者は、物静かな男だと皆思う。脳裡に怒声が浮かんだ。どこが物静かな男か。毎日飽きもせず怒っている。おかしくなって、笑みを零す。
「シンドバッド様はジャーファル様のことがお好きでたまらないご様子」
俺の笑みを見つけた女は、からかうような笑い声を響かせた。
「そんなことはない。今は君のことしか考えていないよ」
そう呟き、扉の方を指差す。部屋の外に人の気配があった。ジャーファルだろう。いつもは気配を消すのに、今晩は消していない。わざとに違いない。扉の向こう、眉間に皺を寄せているジャーファルを思い浮かべる。すぐに思い浮かべることができた。
女を抱き締め、寝台へと転がすと、楽しげな高い声を上げた。どことなく艶が含まれている。黒い目には悪戯な色が浮かんでいた。しばらく縺れ合い、じゃれ合っていると、スッと気配が消えた。宴はまだ続いている。片付けを済ませた後に、また来るつもりだろう。
「反応が楽しみだ」
解放された女は残念そうな表情を浮かべながらも、身を起こし、乱れた衣服を整えた。
「本当につれないお方。……また悪戯する時はお呼びくださいませね」
笑いながら、部屋を出て行く。部屋には甘い匂いが残っている。折角だから、楽しんでもよかったかと思いながらも、女を追いかけることはない。
さて、ジャーファルはどんな反応をしてくれるだろうか。
(中略)
それから数日後のことだ。仕事を終えて自室へ戻ると、中から人の気配がした。私の部屋に出入りできる者はほんのわずかな人間だけだ。八人将の面々はそれぞれ、飲みに行っているか、家族と共に過ごしている。部下とは先ほど別れたばかりだ。侍女には、私の部屋にはなるべく入らないでくれるよう頼んでいる。シンは、まだ酒盛りをしている筈だった。
神経が尖る。扉へ身をくっつけ、耳を澄ます。聞こえてくるのは、女の声と、それから男の声だ。
「…………」
女の方はともかく、男の声は聞き慣れたものだった。こめかみが引きつる。
「あのバカ……!」
今度こそ怒鳴り込みに行きたかった。怒りで我を忘れそうになるのを耐え、無理矢理に息を吐き出す。扉から離れ、近くの柱に寄りかかって座り込む。扉の向こうからは密やかな笑い声が響いてくる。
やがて声が止み、静かな空気が場を満たした。静まった空間の中でひとり座り込んでいると、情けない気持になる。バカみたいだ、思わず呟いた。自分の部屋に戻れず、廊下で、王の閨事が終わるのを待っているだなんて。普段は酒など嗜まないし、酒への執着もない。だが、今晩は違った。酔うまで酒を浴びたい気分だ。もっとも酔うには、大量の酒を必要とするから、そんなことに金を使いたくないし、酔って醜態を晒してしまったら自己嫌悪に陥るのが目に見えている。だから結局、私は酒に手を出すことはないのだった。
夜風と美しい星空に、わずか頭が冷える。怒りは依然として存在しているから許すことはないのだけれど、一応言い分くらいは聞いてやろうという気持になってきた。
一体、どのくらいそうしていただろう。扉の前に人の気配を感じて、立ち上がった。深く息を吐き出して、冷静を装う。扉が開き、顔を覗かせたのは王だ。私を見つけたシンの表情が固まる。
「おお……」
声を漏らし、部屋へと戻ろうとする。逃げんな。扉を掴み開くと、シンの腕を取り、部屋の外へと引っぱり出した。扉を閉め、シンと向かい合う。
「……自室には連れ込まなかったぞ?」
「そういう問題じゃない」
棘を含ませた小声で言えば、眉尻を下げてじっと私を見た後、気まずそうに顔を逸らした。部屋にはまだ今晩の相手がいて、眠っているかもしれない。ならば大声を出し、起こすのは忍びない。
向かい合ったシンは視線を泳がせて、私と目を合わせようとしなかった。怒られるのはわかっていたらしい。
ならば何故した、人の寝台で何してる、そう叫びたくなる。同時に、王の私室に連れ込まなければ悩みがひとつ解消する、と言ったのは私だと思い返して反省した。王の私室へ連れ込まなければいいという問題ではないのだが。
頭を巡る言葉をひとつひとつ殺し、息を吐き出す。
「私はどこで眠ればいいんですか」
部屋で眠る女を叩き起こして追い出す訳にもいかない。私の言葉を聞いたシンは、顔を緩ませた。
「おお、ジャーファル。俺の部屋で眠ればよかろう」
「……恩売った顔すんな」
元はといえばあんたのせいだ。
「今日は一段と刺々しいな、ジャーファル」
「当たり前です」
反省の色がまったく窺えない。
シンの部屋は広く、寝室には寝台の他に長椅子があった。掛布を一枚借り、長椅子へ腰を下ろす。足を伸ばし、横たわると、シンがこちらを見ていることに気づいた。
「なんですか」
「一緒に寝ればよかろうに」
そう言い、寝台を軽く叩く。
「嫌です」
寝ている間に服を脱ぐ癖のある男の横で眠るなんて、相手がシンでも嫌だ。なにより王と部下だ。もう冒険を共にするだけの仲間ではない。
「…………チッ」
「なんです」
「なんでもない」
不貞腐れたように背を向けるシンの後ろ姿に眉を寄せる。時折、シンは子供っぽい。
やがて寝息を立て始めたシンの後頭部を見つめながら息を吐く。怒りはまだ胸奥に燻っていて、眠れそうになかった。
以前から女に手を出すことは多かった。世継ぎの問題に頭を悩ませるのは今に始まったことではない。だが、最近は妙に多い。……溜まっているのだろうか。女を寝室に連れ込むのだからそうなのだろう。シンならば、手を出そうと思えば相手は掃いて捨てるほどいて、一晩限りでも構わないと言う女だっていて、望めばすぐに快楽を得られた。そう、シンが望むからこんなことになる。
何故望むのだろう。気持良いから、女が好きだからと言われればそれまでだが、最近の自制のなさには多少なりとも理由がある筈だ。冒険に出ることもできず、机仕事ばかりで飽き飽きしているのだろうか。その可能性はあった。本来ならば、ずっと冒険者でいたかった人だ。そう思うと、切なさが勝り、怒るばかりではなく、話し合い、解決方法を探そうという気持になる。そう決めると、肩の力が抜けた。
浅い眠りから目覚めると、朝だった。シンは半脱ぎ状態で、気持良さげに寝息を立てている。呑気なものだ。幸せそうな寝顔を見ていると、腹立たしくなってくる。いつまでも見ていても仕方ないと立ち上がり、部屋を出る。
自室の扉を開け、中を窺うと、人の気配がした。
「おはようございます」
驚かさないよう、静かに声を掛ける。部屋の中には気まずそうに立っている女がいた。身支度を終えたばかりなのだろう、衣服は整えられているが、髪に寝癖が残っている。
「……おはようございます、ジャーファル様」
「もうお帰りになって大丈夫ですよ。シン様がご迷惑をお掛けしまして、申し訳ございません」
深々と頭を下げると、慌てた様子で「いえ……っ」と同じように頭を下げた。女を王宮の外まで案内した後、自室へと戻る。朝議まではまだ時間がある。寝台を見れば、敷布に皺ができていた。新しい布に替え、ぴしりと整える。敷布と部屋には甘い香りが残っていた。だが、匂いはそれぐらいで、体液の匂いがすこしもしなかった。首を傾げる。昨晩は長い間、睦み合っていたようだったが。体は重ねず、じゃれ合っていただけなのかもしれない。さすがに人の寝台でそこまではしなかったか。
「シン」
その夜、酒を飲む前に話がある、とシンを捕まえた。シンを椅子へ座らせ、私は立ったまま向かい合う。今日はまだ連れ込んでないぞ、とどこか拗ねたようにシンが言った。その言葉を無視し、真剣な眼差しで見つめる。
「シンの下半身は衰えないのですか」
「……」
「衰えないのならば、今から躾けることはできないのですか?」
シンは黙り込んだまま答えようとしない。
「お酒をやめてくださるなら、それでかまわないのですが」
「よし、禁酒以外の方法をふたりで考えようじゃないか!」
「…………」
本当に酒が好きなお方だ。ともかく解決しようとする意思を確認できて安堵する。まず初めに話し合ったのは、何故女に手を出すのか、だった。
「人肌が恋しくなるのだ」
「性欲ではないのですか」
「それも、あることはあるが、寂しいの方が強いなあ」
さびしい、口の中で呟くと、私まで寂しい気持になった。私たちでは、その寂しさは埋められないのか。寂しさを埋められるのは女の肌だけなのか。
「添い寝だけではだめなのですか」
すこし考える仕草を見せるが、
「それでも構わない夜もあるにはあるが、酒を飲むと理性が緩む。女の体がどれほど気持良いのかを知っているからなあ。やわらかくて、あったかくて気持良い。寂しさも消え去る」
それでは一体どうすればいいのか。やはり酒を止めるのが一番良い方法なのではないだろうか。眉間を寄せた私の表情をどう受け取ったのか、シンが口を開く。
「子は、出来ぬよう気を付けてはいるが」
「ええ、わかっています。けれど、……理性が緩むのでしょう?」
「……そうだな」
「万が一ということもあります。孕まぬ女ならば、良いかもしれませんが」
嫌なことを言っているな、と顔を顰める。
「ジャーファル」
「なんですか」
「それだ」
「……それ、とは?」
「だから」
「孕む心配のない女を探す、と?」
「違う違う。男ならば孕まない」
どうだ良い考えだろう、と顔を輝かせて笑うシンに目を見開く。
「シンは」
「おう」
「男でも、いいんですか」
「できれば女がいい。でも、お前がそこまで言うのだから仕方あるまい」
私は、一体どこまで言ったのだろう。そもそも誰かに手を出すのは前提なのか。酒を止める選択肢もなければ、連れ込まないようする選択肢もないのか。
「あなたがよろしいのであれば、私は何も言いません。けれど、その、男との性交の経験は」
「ない」
「……大変不躾なのですが、勃つんですか?」
シンは黙り込んで、自分の股間に目を遣った。釣られて私も見る。
「男を相手にするとして、反応しなかったら気まずいのでは? 相手の方にも失礼でしょうし」
「そうだなあ」
うーん、と唸るシンを見つめ、別の方法を考えるべきだと思考を巡らせる。
淫具の類いはどうだろう。すぐに却下する。人肌恋しいのならば、道具などでは寂しさは埋められない。シンが酔ったら、八人将の数人と共に眠るよう勧めてみようか。もちろんヤムライハやピスティは除外するとして、男同士雑魚寝なりすれば寂しさは感じない。むさくっるしいのは我慢してもらおう。昔、冒険していた頃のようで楽しいかもしれない。幸いにもシンの寝台は広い。男三人くらいならば一緒に寝ても、多少窮屈なだけで寝苦しいということもない。多分。ヒナホホとドラコーンは難しいとしても、シャルルカンとスパルトスならば大丈夫だ。マスルールも平気だろう。
「先に男相手でも反応するのか、確かめられれば良いと思うのだが」
新しい方法を考えていたところに飛び込んできた言葉に顔を上げると、シンが私をじっと見つめていた。その視線の意味に気づかぬほど、鈍くはない。
「…………本気ですか」
「どちらに転んでも、お前が相手ならば対処のしようがある」
どうやら本気のようだ。真剣な顔で私を見つめ、逸らすことはない。そこまで本気で問題を解決しようとしてくれるのは有り難い。有り難いが……。
「まさか夜の相手までさせられるとは……」
「無理強いはせんが」
「いいですよ、もう。世継ぎのことで頭を悩ませるのはうんざりです。人の部屋に連れ込まれるのも一度きりで十分です」
本音だ。それに、私の体で欲望を発散できて、寂しさが埋められるのならば願ったり叶ったりではないか。頭を悩ませる問題もいくつか解消する。私に欲情できたなら、という前提ではあるが。どうせ勃起しない。しかし、何事もやってみなければわからないものだし、と自分を納得させた。あくまでも方法のひとつを試すだけで、なによりシンは女好きであるし、男相手に欲情するなど有り得ないと思っていた。
その話し合いは昨晩のことだった。机の上に広げられた道具を見つめ、目を細める。清潔な布が数枚の他には、潤滑油が入っていると思われる瓶、陰茎を模した道具があった。昨日の今日にしては、準備が整いすぎている。女と後孔を使って性交していたのだろうか、それとも男との性交の経験はないという言葉は嘘だったのか。黙り込んで、並べられてゆく道具の数々を見つめていた私に、シンが声を掛けた。
「ああ、これは使わんから安心しろ」
考えを遮るように、張形を手に取り、端に避けた。その点については安堵する。もし使うつもりならば、すぐさまこの実験を取り止めて部屋に帰る予定だ。それにしても、使わないのならば何故用意したのだろう。
私がシンの部屋に呼ばれたのは、準備が必要だと思っていた矢先のことだった。
「善は急げだ。今夜来い」
と、仕事が終わって部屋へ戻ろうとしていた私にシンがこそっと耳打ちをした。話し合ったのは昨晩のことで、準備ができていない、と断れば、心配するなと押し通された。仕方なく身を清め、夜中にシンの部屋へ向かった。心の準備もできていなかったが、待っている、と言われれば向かわざるを得ない。寝室へ行けば、同じく身を清めたシンが寝間着姿で待っていた。
「座れ」
寝台を指差され、言う通り腰掛ける。そして、気のせいか、嬉々として道具を並べ始めたシンを見ている訳だ。そんなシンの姿を見ていると、不安を覚えて落ち着かなくなる。やっぱりやめようか、その考えが浮かぶ。口を開きかけた時、
「ジャーファル」
シンが振り返った。
「……はい」
「なんだ、緊張しているのか」
「すこしだけ」
そうか、とシンが目を細めて笑う。
「さあ、ジャーファル」
優しい声が名前を呼ぶ。今まで通じ合ってきた女にもこんな声を出していたのだろうか。緊張を解く声に、張っていた気が緩む。
「尻を出せ」
「…………」
雰囲気がぶち壊しだ。部下相手に雰囲気など必要ないが、それにしたって、尻を出せ、はない。
「もっと他に言い方ないのか、あんた」
「色気がないぞ、ジャーファル」
「あなたに言われたくありません。なんですか、尻を出せって」
「では言い方を変えよう。四つん這いになって、自分で腰布を捲り上げ、俺の方へ尻を突き出せ」
「変わりませんったら!」
「注文の多い男だな、お前は」
わざとらしく息を吐き出すシンにムッとする。誰のためにここに来てると思っているんだ。……私の精神の安定のためでもあるけれど。
「お、そうか。まずは口づけか」
思い至ったようにそう言い、顔を近づけてくる。私が不機嫌な理由は口づけしてくれないからではない。絶対にない。近づいてくる顔面を手のひらで押さえ、口を開く。
「結構です」
恋仲でもあるまいし、口づけは不要だ。それにしても楽しそうだ。何がそんなに楽しいのだろう。あまりにニコニコしているものだから、からかっているのではないかと疑惑が浮かんだ。困惑する私の姿を見て楽しみ、いざという段階になって、冗談だと撤回するつもりではないか。その可能性が高い気がしてきた。結局、シンは男相手に性交などできない。私が何も言わずに受け入れれば、シンの方が焦り始めるに違いない。その顔を楽しみにしたって構わないだろう。
「わかりました。あなたの言う通りに致しましょう」
寝台に上がり、四つん這いになる。枕に頭を置き、両手を使って裾を捲り上げた。この格好は顔から火が出るほどに恥ずかしいが、努めて涼しい表情を作る。臀部と足に夜の空気が触れる。無防備であることに不安も煽られた。