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▼王さまのおもちゃ
「ジャーファルさん!」
午後からの仕事を開始しようと執務室へ足を進めていた時に声を掛けられた。振り返れば、嬉しそうに頬を染めたヤムライハの笑顔が飛び込んでくる。手にはふたつの箱を抱えていた。
その日は、雲ひとつない晴れやかな青空で、風も穏やかだった。ここシンドリアは、普段から暖かく過ごしやすい気候であるが、今日は一段と穏やかで、平和な日だった。何の問題も起きそうにない。港には着いたばかりの交易船が何隻か停泊していた。ヤムライハは朝からそわそわと落ち着きがなかった。その様子に、また魔法道具が届くのだろう、と彼女の部屋の有様を思い浮かべてため息を吐き出したことを思い出す。
どうやら彼女の好奇心を満たすに値する物が手に入ったようだ。抱えられているふたつの箱の片方は紐が解かれていて蓋もきちんと閉まっていない。もう片方は届けられたままの姿だった。
「嬉しそうだこと」
「うふふ、ずっと探していたんです。反する属性の魔法を備えた道具があるって。これはちょっとしたおもちゃみたいなもので、特別なことはできないようなんですけど、一体どうやって動いてるのか気になってて!」
「そちらは?」
長々と話し始めそうなヤムライハの言葉を遮り、開けた様子のない箱へ視線を送る。
「あ、こちらは王への贈り物のようです。……魔法道具のようなのですが」
目がきらきらと輝いて、何度もシン宛だという箱へ視線が注がれた。中身が気になって仕方ないようだ。
差し出された箱は、紫紺の紐で厳重に括られ、右上には誇らしげに印章が押されている。普段ならば、届けられた荷物は検閲するが、印章のある荷物は別だ。その印章は王が信頼する者にしか渡さない特別なもので、その印があればどんな荷物だろうが一直線に王へ届けられても許される。魔法を掛けてあるために、複製もできない。箱を受け取り、差出人の名前を確認する。知らぬ名前だった。響きから男の名前であると判断を付ける。
「ありがとうございます。では、シンに届けてきましょう」
「あ、あの」
「ええ、ちゃんと分かっていますよ。私からシンへお願いしておきますから」
「ありがとうございます!」
ヤムライハは何度も頭を下げると、跳ねるような足取りで去って行った。楽しそうなのはなによりだが、しばらくは自室か研究塔へ引きこもるのだろう。ピスティに頼んで、さりげなく部屋の外へ連れ出すようにしてもらわなくては。彼女はひとつのことに掛かり切りになると、食事を忘れ、眠ることも忘れる。それでは体に悪い。
そんなことを考えながら、白羊塔の扉を開けた。更に奥へ進み、シンが仕事をしている部屋へと向かう。シンは、王のためにと設えられた重厚な机を前に、真面目に筆を動かしていた。なによりだ。
「シン、あなたへお届け物です」
抱えていた箱を机の上へ置けば、筆を置き、すぐに手を伸ばしてきた。視線を走らせて差出人を確かめると、顔を崩して笑う。愛おしげに箱の表面を撫で、今にも頬ずりしそうな有様だ。中身はなんだろう。
「久方ぶりですね」
「何がだ」
「あなたへの特別な荷物」
「確か最後に届いたのは、……ああ、そうだ。北方の国の王がわざわざ酒を贈ってくれたのだったな。今年の酒は出来がとても良く、その中でも一等よく出来た酒をどうぞ、と。あの酒は美味かった」
酒の味を思い出したのか、うっとりと目を細める。反対に私は眉を寄せた。あの時は、酒に酔ったシンが、人に踊り子の衣装を着せようと駄々を捏ねたのだった。そんなことは忘れているのか、もう一度飲みたいなあ、としみじみ呟き、箱を大事そうに引き出しにしまった。
シンにしてはめずらしい行動だった。いつも荷物が届けば、子供のような顔ですぐさま紐を解き、中身を確かめるのを楽しみにしている人だというのに。
「中をご覧にならずともよろしいのですか」
「後からのお楽しみ、ってこともあるだろう」
「そうですが、いつもなら」
「いつもの俺とは違うのだよ、ジャーファル君」
ふふん、と鼻を鳴らすシンは楽しげだ。
「魔法道具だそうですね」
「開けてもないのによくわかったな」
「ヤムライハがそう言ってましたから」
「そうか、そうか。……困ったな」
「なにがです」
「中身を知りたがったろう」
「ええ。問題が?」
「うむ、大ありだ」
ろくでもない物だろうと見当をつけて、肩を落とす。
「ヤムライハには私から適当に説明をして、断りを入れておきます」
「頼んだ」
そう頷いた後、急に真面目な顔で、「この間部屋に持ってこさせた治水工事に関しての資料なのだが、もう不要だから、後で取りに来てくれないか」と言った。
「……わかりました」
部屋に呼ばれるのは久々だった。今宵はどんな香を炊いていくべきか。衣装はどれが良いのか。頭の隅で考え、すぐさま振り払う。後で考えればいい。
シンに頭を下げて、自分の席へと戻り、筆を手に取った。あの箱の中身はなんだったのだろう、と疑問が浮かんだが、文官に話しかけられてすぐに頭の隅へと追いやられた。
夜になり、紫獅塔は静寂に包まれている。王宮の者たちはそれぞれの部屋に寄り合い、談笑や酒盛りをしているようで、時々こちらにまで笑い声が響いた。だが、その笑い声も遠く、空間は切り離されている。
静かな夜の廊下を歩き、目的の部屋を目指す。身を清め、香も焚きしめた。足を進める度に、ほのかに香が鼻腔をくすぐる。夜伽の時に香を焚くのは、関係を誤摩化すためだった。匂いの記憶はそれなりに強い。だからこそ、香を焚き、匂いをつける。それに、抱くのならば良い匂いがする方が良いだろう。衣装は普段通りの官服にした。まだ人目がある。
シンと私は王と部下であるし、体の繋がりがあるということはなるべくならば隠したかった。体を使って王に取り入ったと思われるのは嫌だったし、なにより部下の女にも見境なく手を出すだらしのない王であると、シンが言われるのは避けたかった。酔っては見境なく女に手を出す王だと実際に思われていて、ほぼ事実だとしても、だ。
私たちの関係を知っているのは、ずっと一緒に冒険し、過ごして来たヒナホホ、ドラコーン、マスルールだけだ。他の者は知らない。
シンが私に手を出したのは、私が十六の頃だった。旅先の宿屋で、酔って帰ってきたシンに押し倒されて、そのまま襲われた。
可愛い、ジャーファルは可愛い、俺の可愛いジャーファル、とひたすらに「可愛い」という単語を繰り返し、制止を求める私の体をまさぐり、突き入れ、揺さぶった。そうやって私の純潔は散らされたのだ。
大事に持っていた訳ではないし、初体験に過剰な思い入れもなかったから、犬に噛まれたと思って忘れようと考えた。誰よりも大切な、ただひとりの王であるシンを犬扱いするのはどうかと多少躊躇いはしたが、あんなもん犬だ、犬。酔っぱらって見境なく手を出すのだから、獣と同じ。そうやって自身を納得させた次の夜にもシンは同じことをした。何が問題かといえば、その時のシンは酔っていなかった。
「まだ我慢するつもりだったんだ……」
シンは言った。私に覆い被さりながら、もうすこし手足が伸びてから手を出そうと、と眉尻を下げて呟いた。昨晩が発情期の犬ならば、その夜のシンは捨てられそうになっている犬だった。もうすこしってなんだ。いつから手を出す気だったのか。なんで今日も覆い被さっているんだ。反省した顔してしてないでしょう。ありとあらゆる言葉が脳裡に浮かびながらも、結局私が口に出したのは「どうぞあなたのお好きなように」と許す言葉だった。
(中略)
昔を思い出すとため息が零れる。それでも体の繋がりを持ったことを、私は後悔していない。初めては無理強いのようなものだったが、あれが切っ掛けだったのだから、無理矢理奪われたことすら良かったと思えた。無理強いしなければ、私はシンに体を許しはしなかった。異性として好いている、その気持は確かにあった。けれど、それ以上に敬意や忠誠心の方がずっと強く、そうである限り、私は王と体の繋がりを持つことを良しとしなかったろう。だから、シンは正しかったのだ。
そんなことを思いながら扉を開け、寝室へ向かうと、シンが寝台の上でニヤニヤ笑いながら待っていた。膝の上には昼間届いた荷物がある。嫌な予感がした。シンがあんな笑い方をしている時は、ろくな目に合わない。膝の上の荷物も嫌な予感を増長させた。
「まあ、まずは座れ」
と、寝台を叩いて呼ばれたが、隣りに座る気にはなれなかった。寝台まで歩み寄ると、隅っこへちょこんと腰を掛ける。
「もっとこっちに来い」
「いいえ、私はここで」
「…………、良かろう。ジャーファル、お前、覚えているか」
シンが語り出した。
あれは確か、新しく同盟を結んだ国からシンドリアへ帰る途中に立ち寄った街だったな。ちいさな街の割に、貴重な魔導書が充実していて数人の魔法使いが滞在していた。一般人の目に触れないようにひっそりとではあったが、魔法道具を扱う店もあった。気色の変わった魔法道具なんかも売っていて、ヤムライハへ土産でも買っていってやろうと物色していたときのことだ。すこしでも変わった物を、と探していたら、いつの間にか薄暗い路地へと入り込んでいた。……ん? 危ないだろうって? 大丈夫だ。危ないと思えばすぐにその場を離れるさ。信用ならないとはまったく疑り深い奴だ。もっと俺を信じろ。信じられるもんですかって、お前は本当に減らず口だな……。もういい、先に進めるぞ。
薄暗い路地に入り込み、おもしろいものはないかと探していた時、おかしな形の物に目が止まった。足を止めて中を覗き込めば、深く布を被った男がいた。男の前には変な形をした魔法道具がいくつか並んでいた。太い細いの差はあれど、大体同じような形で、男の陰茎のようだった。実際そうだったんだがな。ただの張形ならば興味は持たん。道具から魔法の力を感じた。だから興味を引かれ、どうやって使うのか、どんな効果があるのか、色々と話を聞いたんだ。実に興味深かった。話しているうちに盛り上がって、その男が滞在しているという宿屋に邪魔をすることになった。
男は言ったよ。女とはやわらかく優しく、魔法のように私の興味をそそって止まない、と。俺は頷いた。ふっくらした乳房や、細い腰、きめ細やかな肌は酒のように俺を酔わせる。潤んだ瞳で見つめられるとどうにか助けてやりたいと思うし、か細く伝えられる恋い慕う声は心を奮わせる。……多少下世話な話もしたが、それは、まあ、気にするな。
とにかく男との会話は楽しかった。ただ、その男はまだ女を知らぬらしく、折角の魔法道具も実際に使ったことがないという。……おい、ジャーファル。どこへ行くつもりだ。まだ話は終わっていない。最後まで聞かずに席を立つのは失礼に当たるぞ。なんだ、また痩せたのか? 抱き心地が良くない。じゃあ触るなって、そんなつれないことを言うな。今日は甘い匂いがするな。好きな匂いだ。
それで男は、こうやって売っていれば、誰かが買い、使ってくれるだろうと、露店を開いているのだが一向に買い手が付かんという。可哀想だろう。使われるために作られた道具が使われないのも、男の苦心が報われないのも。男は続けた。
売れないのも困るが、売れたとしても実際の効果がどうなのか、自分で確かめられないのはもっと困る。誰でもいいから、これを使って、効果を報告してくれる者はいないか、と。
自分で使えればいいのだが、女を前にするとどうにも口下手になっていけない。娼館に行くには勇気が足りない。何せ、一度も女と通じたことがない。男を相手に商売している彼女たちに、笑われたらどうしよう、という訳だ。そんなことで彼女たちは笑わんだろうと思いはしたが、恐れる気持はわかる。……俺だってお前に手を出す時は怖かったからな。嫌われたらどうしようか、と。本当だ。真っすぐに見つめてくる目に嫌悪が浮かんだら立ち直れんと思っていたからなあ。酒の勢いを借りるなど、随分と俺も純情だったろう。ん? 物言いたげだな、ジャーファル。
ともかく自分で使う予定がない以上、他人に縋るしかない。だが、魔力を持たない者に魔法道具を渡すのは危険だし、ただの張形として使われるだけなんて寂しい。
頼れるのは魔法使いだけだが、魔法使いは魔法のことばかりで、色恋沙汰に不器用なものが多い。買われたところで使われずに研究だけされる可能性もある。それでは意味がない。実際に使い、どんな効果をもたらすのか、知りたい。そこに通りがかったのが俺だ。もちろん申し出た。こんなに研究熱心な男の願いを叶えてやりたいと思うのは、人として当然だと思わないか。……なんだ、離せと言って離す男だと思うのか。
男はこうも言った。白い肌の、恥じらいのある可愛らしい女性ならば更に良い。それこそ丁度良い。俺の恋人は肌が白く、真面目で恥じらいのある、可愛い女なのだから。
「さあ、これがそれだ!」
シンが器用にも片手で紐を解き、箱を開ける。見たくないし、いますぐ部屋から出て行きたいのに、片腕でがっちり抱き込まれていて逃げようにも逃げられなかった。
「ほら、ジャーファル。良くできているだろう」
目の前に差し出されたのは、黒々とした陰茎の形をした物だった。黒光りした幹の先には、丸みを帯びた、茸のような頭がくっついている。幹の部分に、金色の装飾が施されていた。装飾は繊細で、そこだけ見れば芸術品のようだった。こんな卑猥な形の物を人目に晒す訳にはいかないが。一番の問題は、その大きさや形が、明らかに見慣れた、親しいといってもかまわないような、大きさと形をしていたことだ。
「と、そういう訳で」
「お断りします」
「まだ何も言ってないぞ」
「手間が掛からず、良い部下でしょう?」
「いやいや、今正しく手間を掛けているではないか。折角の逸品だぞ? 試さずにどうする」
「嫌です」
「丹精込めて作られた逸品だぞ!」
「知るか! そんな無粋な物を私の中に収めると? 冗談じゃない」
腕を振りほどき、素早く寝台から降りる。すぐに手首を掴まれ、引き寄せられる。
「待ってくれ、ジャーファル。俺の話を聞け」
「もう十分に聞きました」
シンは傍らに張形を置いて、両腕を使って私を抱きとめている。今すぐに卑猥な形をした魔法道具を窓から放り投げたかった。そんなことをして誰かに拾われては事だからしないけれど。確かにこんなものヤムライハには見せられない。他の誰にも触れさせてはいけないと贈り主から言われているようで、と説明した時の彼女の悄気た顔を思い出す。ため息が落ちた。人の気など知らないシンが口を開く。
「これが完成するまで大変だったんだ。その努力の結晶を無下にするなど、作り手に悪いと思わないのか」
「……思いません。全然。一切。欠片たりとも」
「ジャーファル君は冷たい!」
このバカどうしてくれようか、苛立ちが湧き上がる。短く息を吐き出して、冷静さを取り戻す。とりあえず話だけ聞いてみることにした。
「……何が、どう大変だったんですか」
「それはだな!」
待ってましたとばかりに語り出したシンの話に頭を抱えた。聞くんじゃなかった。近年稀に見るくだらなさだった。こんな時間の無駄、初めてだ。
シンは語った。折角ならば俺のを元にして作ってくれないか、そう頼んだところ快く承諾してくれた、と。姿形を素描し、長さや太さを正確に計り、実に忠実に作成してくれた、シンはそう語ったのだった。頭が痛い。
「実際に出来上がった物を見るのは、俺も初めてだが、見ろ、この素晴らしい出来を! 形といい、長さ、太さ、大きさといい、まるっきり俺のと同じだ」
玩具を前にした少年と見間違うかのような笑顔で熱弁を奮うシンの手に握られた物をちらりと見る。確かに大きさや、姿形は、シンの物とよく似ている。ほぼ同じだ。そう、勃起した時の。
「それはつまり、その男の前で、その、隆起、させた……と?」
シンは、うんうん、と満面の笑みで頷いた。
「バカじゃないのか……」
体から力が抜けて項垂れる。脳裡に、股間を隆起させたシンと、見知らぬ男が浮かぶ。
「その方は何も言わなかったんですか」
「うん? 何をだ。男は、確か、泣きながら素描していたが。きっと研究成果が得られるのが嬉しくてたまらなかったのだろう」
男の逸物など詳細に素描したくないと思っての涙ではないのか。シンは「なんとも研究熱心だろう」と何故か得意げだ。
「……よく勃ったな」
なんだか投げやりな気持になってきた。付き合っていられない。
「お前のことを考えれば簡単だ。白い肌が上気して、薄桃色に染まるさまに、熱っぽく俺を見上げる潤んだ黒い目、俺のをきゅうっとやわらかくもきつく締めつけ」
「ともかく!」
言葉を遮る。放っとくと、次から次に情事の様子を語り出すに違いない。
「そんなものを使う気なら、私は帰ります」
「何故だ。俺とするつもりで来たのだろう?」
ぎゅう、と力を込める腕を、指先で抓る。びくりともしない。
「そのつもりでしたが、私はそんなものに興味はありません。実験台も嫌です。わかったのなら、……さっさと離せ」
ぎろり、と殺意に近い感情を込めて睨みつけると、腕の力が緩んだ。腕を振りほどき、寝台から降りる。背後でシンが慌てているようだったが知ったことではない。
「ジャーファル……」
気弱な響きで名前を呼ぶが、それも知ったことではない。部屋から出て行く前に立ち止まり、視線だけを向ける。
「……無理強いしようとすれば、もう二度と、あんたの相手はしません」
きっぱりと言い切れば、シンはそれ以上何も言わなかった。項垂れる情けない姿を見ていると、すこしぐらい、と思いそうになるが、こればかりは譲れない。シンは、捨てられた犬の風情で項垂れていたが、やがて顔を上げて呟いた。
「わかった。使わない」
「本当に?」
「ああ、本当だ。だから、傍に来てくれるな?」
そう言うと、卑猥な形をした魔法道具を引き出しに仕舞い込んだ。きっちりと閉められた引き出しを確認し、寝台へと戻る。
「途中で取り出すのもだめですからね」
念を入れると、神妙な顔つきで頷いた。
「道具は仕舞った。使おうとも思わん。だから、もう逃げないな」
「ええ、逃げません」
笑顔を浮かべれば、安堵したように表情を緩め、両手のひらで頬を包み込んだ。それから嬉しそうに額を擦りつけて、私の体を抱き寄せる。あとはいつもと同じだった。