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▼ あなたのいるせかいはうつくしい / シンジャ

シン→ジャからのシンジャ。ジャーファルさんに口づけしてしまったシン様の話。しんみりめ。過去捏造と女性絡み有り。サンプルは中盤です。

 

 

 つい最近、国営商館の一角に建てられた酒場は賑やかだ。吊り下げられた洋燈が、場を煌々と照らしている。柱や壁に凝った装飾が施されているが、目を止めるのは酒場に足を踏み入れた時だけだろう。酒が進み、酔いが回る頃には、物珍しい酒の種類や、見目麗しい女給や踊り子たちにばかり目を奪われる。

 他国の使いの者や、裕福な商人などが集まる酒場はそれほど騒がしくない。賑やかなざわめきと笑い声。国民たちが集まる酒場の喧噪や活気も好きだが、王と八人将の一部ではあまりに目立つ。あっという間に囲まれてしまうに違いない。ここでは声を掛ける人物はいるが、軽い挨拶だけで自分たちの席へと帰ってゆく。

 シャルルカンが用意していた席は店の奥の方で、ゆったりと酒を味わえそうな席だった。

「今晩のために予約しておいたんですッ!」

 得意げに胸を張るシャルルカンの頭を撫でながら「えらいぞ」と言ってやれば、嬉しそうに破顔する。

「さ、王サマは一等いい席にどうぞ」

 上席に通され、腰を下ろす。上等の物を揃えたのだろう、座り心地の良い椅子に感心し、つるりとした机の表面も撫でる。

「たまにはいいな」

「たまにはいいでしょ。街の酒場も騒がしくって楽しいですけど」

 着飾った女給が杯に酒を注ぐ。葡萄色の液体が杯の中へなみなみと注がれ、はやく飲んでくれと誘う。軽く乾杯をした後、一気に飲み干せば喉を滑り落ち、食道を通り、胃へと落ちた。息が零れる。やはり酒は美味い。二杯目の酒を呷りながらジャーファルの顔を思い出す。

 あの後、慌てた様子で駆け寄ってきたジャーファルは、「申し訳ありません。ぼんやりしていて」と何度も頭を下げた。気にするな、と言っても眉を寄せたままだった。生真面目すぎると思わず口角が持ち上がった。

 ジャーファルが珍しくぼんやりしてしまった理由は口づけのせいだろう。そうとしか思えなかった。そのことに喜びと痛みを感じる。

 決して煩わせたかった訳ではない。ただすこしだけ胸に波風を立ててみたくなったのだ。ほんのわずか、口づけの瞬間だけ。

 口づけの後、微かにでも眉を寄せてくれたなら、目を見開き見つめてくれたならば、それだけで満足だったろう。お前があまりにもつまらなそうな顔をしているから悪ふざけだ、と意地悪く笑ってみせることだってできた。

 ジャーファルの変わらぬ表情は何を示していたのだろう。理解ができずなかったものとしたのか、それとも、逃げ道を探しながら口づけした俺の気持を理解していて、卑怯だと思ったのかもしれない。穏やかな日々に変化が欲しいなど、体のいい言い訳だ。

 いつでも撤回できるように、と言い訳を準備しての口づけなど情けないにも程がある。それでも、俺のことを考えて欲しいと思ってしまった。情けなくとも、みっともなくとも、この気持を知ってくれ、と。しかし、ジャーファルが俺のことを考えない日はないのだ。

 後ろを振り返れば、静かな黒い目が見つめ返してくれる。だが、その目には王としての俺しか写っていない。喜びと痛み。ジャーファルについて考える時、それらはいつも寄り添って胸を締めつける。

「あんまり飲ませちゃうと、後が怖いんで」

 シャルルカンが杯に酒を注ぐ。見慣れぬ酒瓶はつい先日船で届いたものだという。北の方から仕入れた酒は、寒さを凌ぐための知恵か、咽を灼くほどに強い。加減をしなければすぐに潰れてしまうだろう。一口飲み、「酔い潰れるとまた怒られるな」と苦笑を零す。

「ジャーファルさん、おっかないから気ィつけないと!」

 わざとらしく体を震わせながら自分の杯に酒を注いだ後は、お前は自分でやれ、と酒の残る瓶をマスルールに押しつけていた。 くだらない会話を楽しみながら杯を傾けていたが、いつの間にか大分瓶を開けていて頭が上手く働かない。卓上の空になった酒瓶に目を遣り、次に開けていない瓶に手を伸ばした。酒を呷れば呷るほど苦悩も消え去る。

 同じく楽しげに杯を傾けるシャルルカンは、料理を持ってきた女給にちょっかいをかけ、マスルールはといえば黙々と酒を飲んでいる。酔わない体質な上に、表情が変わらないものだから、酒を飲んでいるとは思えない。スパルトスは静かに杯を重ねながら、隣ではしゃぐシャルルカンに苦笑を零していた。

「可愛い子、多いでしょお?」

 シャルルカンがこちらを振り返り、にやついた顔で口を開いた。酔いのせいか、舌が上手く回らないようで、子供じみた口調になっている。

 机の間を慣れた動作で擦り抜け、給仕する女を見れば、なるほど誰も彼も整った顔立ちをしている。きらびやかな舞台の上で優雅に身をくねらせて踊っている踊り子たちも同様に見目麗しく、酒に酔う男たちの目を楽しませていた。薄衣が腕の動きに合わせて翻る。

「女はいいですよねェ。やわらかくって、やさしい。かわいい」

 やさしくねー女もいるけど、とへらへら笑いながら言葉を紡ぐ。隣に坐るスパルトスが眉を顰める。背伸びした台詞に頬を緩ませながら「そうだなあ」と頷く。

 女は可愛い。潤んだ目で、情を込めて見つめられると、応えねばならないと思わせてくれる。酒に酔うと、あのやわらかい体に抱きしめられたくなる。それは無意識のことで、随分とジャーファルに面倒を掛けた。今のところは小言で済んでいるが、いずれ禁酒なり言いつけられそうだ。酒の残る杯を机に置く。

 シャルルカンは、昔付き合っていたという女の話をしている。身振り手振り、どんな風に口説いたか、その女とどんなことをしたか、誇張を加えながら語っていた。

 席にいるのが男だけということで気が大きくなっているらしかった。言動とは裏腹に純情であることを知っている身としてはおかしくてたまらない。まだまだ子供なのだろうと思えば微笑ましくすらある。

「王サマなら、選び放題ですよねー!」

 急に話を振られ、目を瞬かせる。わざわざ俺の隣に移動してきたシャルルカンは、声を潜め、

「ここの給仕さんの中で選ぶとしたら、誰にしますか」

 酔いでいつも以上にとろんと垂れ下がった目が見つめてきた。苦笑が零れる。

 そうだな、と首を捻り、再度酒場を見回す。着飾った女をひとりひとり見つめ、吟味する。みなそれぞれに魅力があり、愛らしい。ひとりを選ぶのは至難の技だった。この場にジャーファルがいれば窘めるのだろうなあ、と思いながら口を開く。

「……彼女だな」

 一番端の席に酒を持っていった女性を指差す。淡い金色の長い髪を、肩の辺りで結わえている。繊細な細工が施された頭飾りには薄いベールがくっついており、歩く度にさらさらと揺れた。顔立ちはといえば、派手さはないが整った品のある造形をしている。口元に緩く笑みが浮かび、人柄の良さを窺わせた。

「さすが王サマ! そこはかとない色気があって、たおやかで、付き合ったら尽くしてくれそうな人ですねェ」

 話の種になっているとは知らない彼女は、てきぱきと酒場の中を動き回り、休むことなく働いていた。働くのが好きなのだろう。楽しげだった。

「なんか」

 気の抜けた声でシャルルカンが呟く。

「ジャーファルさんに似てますね」

 雰囲気が、と言葉を続けて、次の瞬間には慌てた様子になった。俺の顔を見ながら両手を顔の前で合わせる。

「あ、これ内緒で! 女の人に似てるなんて言ったら怒りますよね」

「怒りは、しないと思うが」

 俺の緊張には気づかず、良かったあ、と笑い、俺はですねー、と呑気に自分好みの女性を探し始めた。

 まったくの無意識だった。言われてみればなるほど、彼女の立ち振る舞いはジャーファルを思い出させた。動揺に息が詰まる。

「あー、やっぱり俺も王サマと一緒だなー!」

 一緒です一緒、と楽しげに報告してくるシャルルカンに笑みを返しながら、動揺を押し殺そうと酒を飲む。

「……先輩って空気読めませんよね」

「なんだよ、急に。お前も誰が好みか選べよ」

「先輩と同じことしたくないんで」

 なんだとてめえ、と立ち上がるシャルルカンを、隣に坐っていたスパルトスが慌てて止める。それはいつもと変わらない宴会の風景だった。

 

 

 

 足元がふらつく。目蓋がくっついてしまいそうで、廊下だというのに、外聞も気にせず横になって眠ってしまいたくなった。 シャルルカンやマスルールたちとは先ほど別れたばかりだ。大丈夫ですかァ、と到底大丈夫とは思えない口調で問いかけてきたシャルルカンは、スパルトスを支えに、にこにこと笑っていた。どうか気をつけて部屋に戻ってください、と言ったスパルトスの眉は困ったように寄せられている。その頬も酔いでほんのりと赤い。

 お前もうちょっと砕けろよー、とシャルルカンに酒臭い顔を近づけられ、スパルトスは片手で頭を軽く押し戻す、その後ろでマスルールは何を言うでもなく立っているだけだ。その頬は、いつもとほとんど変わらない。

 部下の顔を一通り眺めた後、大丈夫だ気をつけよう、と言葉を返し、自室へ足を向ける。

 本日の宴会は概ね楽しかったといえよう。存分に飲み、笑い、くだらない会話を楽しんだ。例え、わずかなしこりがあったとしても、それを忘れさせてくれるほどに楽しかった。

 先ほどまでの賑やかな空気を思い返しながら夜の廊下を歩いていると、寂しさを覚えて顔が歪んだ。この寂しさが嫌で、女に手を出すことも多かった。

 酔いはまだ色濃く残っている。しかし、不思議と頭の芯が冷えていた。何かが足りない、と心が訴えている。やわらかい体、あたたかい温もり、それらがあれば癒される寂しさ。それにしたって、女と共に過ごすばかりではなかった。その時、俺はどうやって部屋に戻っていたのだろう。

 酔い潰れ、歩くこともままならない俺を担ぎ上げ、部屋まで運んだのはマスルールだった。指示を出すのはジャーファルだ。呆れ混じりの声音で、仕方のない人と呟き、「運んでくれますか」と優しい声でマスルールに頼む。

 そうやって俺は部屋まで移動でき、後のことはすべて任せて眠りにつけた。安心して酔い潰れることができた。何故この場にジャーファルがいないのか。答えは簡単だ。

 ――俺が、口づけをしたからだ。

 結局俺は、素直に宴会の誘いを受けたことをジャーファルに伝えた。ジャーファルはわずかに眉を顰め、「あまり飲み過ぎないようにしてくださいね」と小言をひとつ零しただけだった。

 私にはまだ仕事がありますから、と言ったジャーファルの言葉は真実であろうが、今まではそんなことはなかった。いや、二三度はあったが、ジャーファルが傍にいないことなど本当に少ない。

 息を吐き出す。視線を夜空へ移せば、瞬く星と大きく太った月があった。やわらかい月明かりが街を、王宮を、行く先を照らす。しかし、俺は一歩も動けず、柱に寄りかかり、そのまま腰を下ろした。

 酔いがまわって歩む気力を削ぎ取っている。しばらくぼんやりと夜空を見上げていると、聞き慣れた衣擦れの音が鼓膜を震わせた。

「こんなところに」

 たっぷりと呆れが含まれた、窘めるような声が頭上から落ちてきた。月を見上げたまま、振り向くことはしない。

「マスルールがわざわざ教えに来てくれたんですよ」

 棘のある声が言う。無口な部下を思い浮かべ、苦笑が零れた。口を噤んでいる間、一体何を考えたものか。それにしてもよく見ている。

「大丈夫ですか」

 傍らに膝をつき、顔を覗き込む。眉を寄せた顔は見慣れたものだ。眉間にひっそりと寄った皺を指先で撫でてみたくなる。あまりにも親しい皺だ。