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▼ きみはかわいいわたしのこいびと / シャルジャ

シン様とジャーファルさんの関係にもやもやして勝手に勘違いしてぐずぐずするシャルの話。シン様の出番多め。シャルとマスルールは相変わらず。サンプルは中盤です。

 

 

 荷物は運び終わったが、大鐘は鳴る様子を見せない。

 だが、そろそろ午後の就業時間が始まる頃だろう。折角だからちょっとふたりきりになりたいなァ、と思っていた俺の目論みは叶いそうにない。私仕事があるから、と新たな巻物を抱えてジャーファルさんはさっさと行ってしまった。マスルールとふたりきり残される。

「……残念っしたね」

 ぼそっと呟き、マスルールは背を向けてジャーファルさんと同じ方向へ消えて行った。なんなんだあいつ、と歯軋りをして背中を睨みつけていたが、やがて空しくなって肩を落とし、息を吐き出す。

 ジャーファルさんもジャーファルさんだ。荷物運びぐらい俺を頼ってくれてもいいのに。頼まれれば素っ飛んでいくのに。お礼に口づけのひとつなりしてくれればなんだってするというのに、と不貞腐れた気持になって下唇を突き出す。

 王サマならばともかく、マスルールを優先することを俺はとても不満に思っている。嫌だという言葉では片付けられないくらい嫌だ。そうは思っていても、何かあったらマスルールを優先させるだろうと予想がつくことが悲しい。

 俺ってどのくらいの地位を占めているのかなァ、と呟く声は、大鐘の響きに掻き消された。

 鳴り止んだ大鐘の方向を見つめ、ため息ひとつ仕事場に戻ろうとした瞬間、背後から物音が聞こえた。

 先ほどジャーファルさんにくっついて巻物を所定の位置に戻していた時に人の気配はなかった。振り返り、目を凝らす。帯刀した剣の柄を握りしめた。鼠だろうか、それとも侵入者。ぴり、と神経が尖る。姿を表したのは見慣れた人物だった。柄を握る手から力が抜ける。

「まさかここに来るとは思わなかった」

「……何やってるんですか、王サマ」

「こんなにも良い天気に部屋に籠り、机仕事などつまらないと思わないか、シャルルカン」

「でも、それが王サマの仕事でしょう?」

 俺もいまから仕事に戻りますし、と言えば、盛大に息を吐き出した。

「そんな遊び心のない人間に育てた覚えはない」

「育てられた覚えがないです」

 救われた覚えはあるけれど、それは黙っておく。言い返された王サマは楽しそうに笑い声を上げ、すぐさま口を押さえた。

「……あれに見つかっては元も子もない」

 王サマは時々政務室から抜け出す。その度にジャーファルさんが王宮中を駆け回るのは、見慣れた日常風景のひとつだ。

 「現状を把握した上で抜け出すのだから腹立たしい」とはいつかの夜、ジャーファルさんが呟いた台詞である。ジャーファルさんはいつだって王サマの話をする。俺といる時だってお構いなし。

 ジャーファルさん曰く、仕事に余裕ができた時や、ジャーファルさんがいれば事足りると判断した時などに抜け出すらしい。だからそこまで必死になって連れ戻す必要はないのだけれど、示しがつかないし、たまにはみんなも息抜きしたいだろうしねえ、と笑っていた。

 つまりはそういうことだ。信頼の上に成り立ったふたりの他愛のない日常のやりとりなのだ。胸がざわつき始めたのを自覚しながら、努めて笑顔を浮かべた。

「ジャーファルさんに、迷惑かけちゃダメですよォ」

 俺の言葉に王サマは目を細めて口角を吊り上げる。

「俺だからいい」

 あっさりと言い切る、信頼の上に成り立った自信に溢れた物言いは、いつもの王サマのものだ。それなのに、今日に限ってもやもやとした嫌な気持が沸き上がってくる。胸のざわつきが大きくなる。

 ――嫌だ。王サマに対してこんな気持を抱くなんて間違っている。

 そんな気持に気づかない王サマは言葉を続ける。

「お前だってよく怒られているだろう」

「そうですけど」

「それにジャーファルだって大声を出し、俺たちを怒ることで精神的な負荷を発散しているに違いないのだ」

「……怒られますよ」

「怒った顔も可愛かろう」

 それには同意できない。ジャーファルさんは怒ると、とても怖い。寿命が縮む思いすらする。到底可愛いなんて言葉は似合わない。俺はそう思うのに、王サマは「可愛い」と言ってのけた。

「怒るのはお前のことを思ってなんだぞ?」

 はあ、と曖昧に返事をする俺の頭をわしわしと撫でて、王サマは笑う。

 気づいてないのだろうか。王サマが怒られる理由と、俺が怒られる理由は違う。俺が怒られるのは、仕事の邪魔をしてしまったり、後輩に絡んだり(これについては議論の余地がある)、それらが原因であり俺のためじゃない。

 けれど、王サマの時は違う。酒の上の失態だって、王としての威厳を考えてのことだし、女に関しても、世継ぎの問題が持ち上がれば、面倒事が起こる。それらの面倒は王サマに降り掛かるのだ。ジャーファルさんはそれを避けたくて口うるさく言う。

 口を噤んでしまった俺の顔を不思議そうに覗き込む王サマの視線に、慌てて顔を上げた。

「……王サマは、心が広いなァって」

「そうだろう。ジャーファルにも伝えておいてくれ。こんなに良い王はいないと」

「そこまでは言ってませんってば」

「だが、思っているだろう」

「そりゃあ、まァ、ちょっとは」

「俺はお前をとても素直で良い子だと思っているぞ。ああほら、幼い頃はジャーファルの怒りを和らげてくれて本当に助かったなあ。心から感謝している」

 遠い目をしながらそんなことを語る王サマに肩を竦める。そんなことでしか感謝されていないとしたら切ない。もちろん冗談だとわかっているけど。

「昔と違って、今はもう可愛くないですからねェ」

 今の俺にジャーファルさんの怒りを和らげる力はない。幼い頃の、甘やかされていた記憶は思い出すと切なくて、くすぐったい。もう一度甘やかされてみたい気はするけれど、失ったものだから愛おしいのだと理解もしていた。

 だって、甘やかされなくなったのは、あの頃より大人になった証しだ。少なくとも俺はそう解釈している。それに甘やかされるよりも、怒られて、殴られて、それから口づけを許されている方がずっと良い。

「ジャーファルが言ったのか? 可愛くない、と」

「そうですよォ。あ、王サマより良い王はどこを探してもいないって言うんで、俺ほど可愛くてイイ男はいないって言ってくださいよ」

 ちょうどいい、と笑えば、首を傾げる。

「わざわざ言う必要はないだろう。……おっと、そろそろ移動しなければ見つかるな」

 周りを見回した後、「言うなよ」と口止めされた。

「そのぐらいならおやすいご用です」

「良い子だなあ」

 その呟きがあまりにもしみじみとしていたものだから、思わず苦笑が零れてしまった。胸を覆っていた嫌な気持は薄らいでいる。建物の陰から人の気配を探る王サマの背中が妙におかしくてたまらない。

 早く逃げないと見つかりますよ、と軽口を叩けば、手を上げて応えた。楽しげだ。

「では、消えるとしよう」

 去っていく背中に手を振れば、おおそうだ、と立ち止まり振り返った。

「今晩もジャーファルを借りるぞ」

 言い放ち、返事も聞かずに消えてゆく。呆然と立ちすくんでいた俺を我に返らせたのは、ジャーファルさんだ。

「まだいたの?」

 呆れたように呟いた後、シンを見なかったかい、と眉間に皺を作る。

「いつまで経っても戻ってこないんです。まったくあの人は」

 天気が良いとこれだから、と肩を落とした。

 王サマとこの人を会わせたくない。その気持を自覚しながら首を振るう。この程度の嘘ならば今までにも吐いてきたのに、今日は胸が苦しかった。

「……見てません」

「そう。見かけたら、戻るように言ってくれる?」

「ええ、もちろん」

「……」

 ジャーファルさんは俺の顔を見つめ、首を傾げる。

「なにか、あった?」

 心臓がびくりと跳ね、それでも何事もなかったように笑みを浮かべた。

「ないですよォ。強いていうなら、荷物運び手伝ったんだから、お礼に口づけなりしてくれたらいいのにってがっかりしてるだけです」

「本当に?」

 こくこく頷くと、疑いつつも納得してくれた。くだらないこと言うな、と叱られるのを期待していた俺はすこし拍子抜けする。

「じゃあ、私は仕事に戻ることにします」

 立ち去ろうとするジャーファルさんに声を掛ける。

「あの、昨日の約束……」

「もちろん覚えてるけど」

「……絶対、絶対ですよ?」

「ええ」

 約束ですからとジャーファルさんは笑う。けれど、その約束は守られることはない。知っていてなお、わずかな願いを込めて「絶対」と念を押した。あまりに念を押すものだから、ジャーファルさんは呆気に取られた顔をして、うん、と頷く。しばらく俺の顔を見つめた後、手を伸ばし、頭を撫でた。

「髪、乱れてる」

 珍しいね、と髪を整え、手を引く。さっき王サマがわしわしと撫でたせいで乱れたのだろう。ジャーファルさんは呆れたようにちいさく微笑んだだけで何も言わなかった。

 

 それが昼間に起こった出来事で、結局、俺との約束は反古にされた。わざわざ俺の部屋まで足を運んで、しょんぼりとした様子で謝られては許さざるを得ない。

「仕方ない、ですよォ」

 俺は聞き分けよく了承したし、ジャーファルさんはありがとうと笑った。

 それで丸く収めるつもりだったのに、寂しくなって、背を向けたジャーファルさんの手首を掴んで引き寄せ、思いきり抱きしめる。昔は俺より大きかった体が、今はすっぽりと腕の中に収まる。

 すぐさまパッと離し「これで我慢しますねっ」と言えば、驚きで見開かれた目を何度かぱちりぱちりと瞬かせた。素直に寂しいと言い出すのは、気恥ずかしかったし、みっともない。

「ほらァ、早く行かないと。王サマが待ってるんでしょう? いつまでもここにいたら、俺、また抱きしめて今度は離しませんからね!」 ジャーファルさんの肩に手を置き、そのまま強く押す。戸惑いながらも足が進んで、やがて手が肩から離れた。ほらほら早く、とせっつけば、何度かこちらを振り返りながらもジャーファルさんは歩いて行ってしまう。

 背中が見えなくなった後、座り込んで息を吐き出す。

 寂しい、それが率直な気持だ。もし、「きみとの約束が先だったろう?」と戻ってきてくれたならどんなにか嬉しいだろう。そうしたら「ダメでしょ。お仕事なんだから」と笑って言えるはずなのに。

 そんなことは有り得ない。わかっている。それでも、寂しさや嫌な気分から抜け出せず、嫌な夢を見た。

 王サマとジャーファルさんが向かい合って、にこにこと楽しげに笑いながら話をしている。俺はすぐそばにいて、ただふたりの会話を聞いていた。

「あなたはいつも私に迷惑ばかりかけるんですから」

「なんだ、お前がそんなつまらないことを気にするとは思わなかった。そう言いながら、楽しいのだろう? ジャーファル、お前は俺のことが好きだからな」

「あなたの気のせいでは?」

「おお、可愛くない奴だ」

「嘘おっしゃい。私のことが可愛くてたまらないくせに」

「当たり前だ。お前ほど俺を優先し、好いてくれる者はいない。……可愛いに決まっている」

 口ではなんとでも、と言い返すジャーファルさんは、王サマの言葉を肯定する笑みを浮かべている。王サマも理解した上で、舌に言葉を乗せる。ふたりはこちらを見向きもしない。俺なんていないように、見つめ合って、笑って、会話を楽しんでいる。

 息苦しくて目覚めると、外はまだ暗かった。

 些細なことだ、つまらないことだ、そう思えば思うほど、その思考は頭を支配する。深く息を吐いて、きつく目を閉じる。――ジャーファルさんは俺のことが好きだ、自分に言い聞かせ、眠りについた。