いっしょにねようよ(マスジャ編)

 

ジャーファルはひどい。

何がひどいかといえば、マスルールに対する態度がひどい。すくなくともマスルールはそう思っている。例え、そんなことはないと誰に否定されようが、マスルール本人がひどいと感じているのだからひどいのだ。

最初は、幼い頃はそんなこと欠片も思わなかった。だが、思春期を迎え、体が成長し始めた頃からそう思うようになった。はっきり言おう。マスルールの初恋はジャーファルだ。その上、いまだに継続している。

「方法ってものがあるでしょう?」

ようやくマスルールの恋愛感情を認めたジャーファルは、眉を顰めてそんなことを言う。仕事が終わったジャーファルを部屋の前で捕まえた時のことだ。夜の廊下は静かで、しん、としている。世界にふたりきりのような気になる。

方法、と口の中で呟き、マスルールは押し黙る。一体、どんな方法があったというのだろう。そっと手を握りしめてみれば「なあに、寂しいの?」と嬉しそうに笑い、抱きしめてみれば「子供みたい」と体を揺らしてやっぱり笑った。思い切って、好きです、と伝えたこともある。返答はもちろん「私も好きだよ」だった。さすがにあの時は、欠片も気持が伝わらないことに絶望を覚え、初恋を捨ててしまおうと思ったものだ。思っただけで実行はしなかった。もといできなかった。傍にいれば気持がふわふわしたし、目の端に姿を捉えただけで浮き足立った。

そのジャーファルを捕まえ、壁に両手をついて閉じ込めている。体と体には距離があったし、肌はどこも触れ合っていない。けれども、鼓動が早まり、体温が上がる、その変化で自分が浮かれていることをマスルールは自覚する。壁に追いつめられたジャーファルは、視線を泳がせた後、ちらりとマスルールを見上げた。どこから逃げ出そうか考え、それから自分を閉じ込める男に隙ができやしないか確かめているようだ。もちろん逃がすつもりはない。逃がすつもりはないが、何をしたいという要望がある訳でもないので、数十分身動きもせず、壁にジャーファルを追いつめているだけだ。落ち着き悪くおろおろとし始めたジャーファルを見つめながら、数日前のことを思い返す。

 

 

夜も更けた時刻、マスルールはジャーファルの部屋の前にいた。扉を開ける。眠りの浅いジャーファルならば、扉を開けるわずかな物音で目が覚めるに違いない。実際、扉を開けて部屋の様子を窺えば、寝台の上に体を起こし、首を傾げているジャーファルの姿が見えた。点けたばかりの洋燈がジャーファルを照らしている。

「……マスルール?」

どうしたの、と尋ねてくる声を無視して、寝台に潜り込む。横になれば、しばらくマスルールを見つめていたが、頬を緩ませて同じように横になった。洋燈が消され、部屋は暗闇に戻る。おそらく、昔の、幼い頃の思い出を引っ張り出し、重ねているのだろう。ジャーファルの考えていることは手に取るようにわかった。

ため息を吐き出したくなるのを堪え、腕を伸ばす。いまはもう腕の中にすっぽりと収まる体を抱き寄せる。どちらかといえば体温が低いジャーファルだが、それでもあたたかい。心臓が鼓動を早める。不埒な妄想が浮かんで、体が熱くなる。抱き寄せ、首の辺りに顔を埋めた。布が擦れ合う音が鼓膜を震わせる。布越しとはいえ、官服より薄い寝間着は体の輪郭を生々しく腕に伝えた。暗闇の中、白く細い首を思い出し、欲が疼く。歯を突き立て、肌に跡を残したい。噛みつきたい、その欲を抑える為に、頬で肌の感触を味わう。

「おやすみ」

欲に塗れた行動だが、案の定ジャーファルは気づかない。一体どうすれば伝わるのか。またしてもため息が零れそうになる。腕に力を込め、更に体を抱き寄せた。自身の性器が高ぶっているのは自覚している。躊躇いながらも、腰を擦り寄せた。これで伝わらなければ、後はもう押し倒すしかない。一瞬、びくりと体が跳ねた。押し当てられていることに気づいたのだろう。緊張で口の中が乾く。努めて呼吸を整える。反応を待つ。待った。ジャーファルが何か言うなり、体を押し退けるなりするのを、マスルールはおとなしく待った。

数分おとなしく待ち続けた後に、返ってきたのは寝息だった。寝た。……寝た。性器はまだ高ぶっている。ぐい、と強めに押しつけてみた。反応はない。聞こえるのは規則正しい寝息ばかり。信じられず、そろりと舌を伸ばし、首を舐めてみた。やはり反応はない。

「……ジャーファルさん」

もちろん返事はなかった。さすがに、いっそもうこのまま襲ってやろうか、と乱暴なことを思った。ジャーファルは腕の中で安心しきって眠っている。その時、決意した。気づくまで続けよう、と。とりあえずその夜はマスルールの完全敗北だ。

 

 

次の夜も同じことをした。昨晩よりは緊張が続き、なかなか寝付かれないようで、身じろぎを繰り返した。それでも何も言わないところを見れば、やはり見当違いなことを考えているに違いない。この夜は五分五分といったところか。

三日目の夜のことだ。

「言いにくいんだけど、その、ええと、……すこしだけ離れてくれる?寝苦しい、かな」

おそるおそる伝えられた言葉に、勝った、と目を細めた。この夜に関して言えば、半ばやけくそに近かった。あまりの伝わらなさに、自分で思うよりずっと苛立っていたのだろう。嫌われたってかまわない。もう二度と可愛いと甘やかされなくたっていい。何の反応も得られなければ、首筋に齧りついて、服の中に手を突っ込み、どんな目で見ているのか理解せざるを得ないほどに乱暴に扱ってやろうと思った。実際にそうできるかどうかは問題ではない。大事なのは、そこまで追いつめられていたという事実だけだ。

追い打ちを掛けるように腕の力を込め、ジャーファルの尻に性器を寄り添わせる。ジャーファルは体を強張らせたまま何も言わない。

「……国営商館にね、娼館があるでしょう?」

沈黙の後、そっと零れた言葉に首を傾げる。何故娼館が出てくるのだろう。

「確か、そこで男娼も」

と言い出したところで理解した。男色家と思われるのはいい。男であるジャーファルに好意を抱いているのだから間違っていない。けれど、男だったら誰でもいいと思われるのは我慢できない。ぐちゃぐちゃになって抱き合いたいのはジャーファルただひとりだ。苛立が先立って、思わず目の前の首に噛みついていた。

「な、なんで噛むの?!」

困惑を露にしたジャーファルが問い返す。そんなの、あんたが見当違いなことばっかり考えるからだ、言葉で伝える代わりにかじかじと続けて首を噛む。跡が残って、誰かに指摘されればいい。

「ええと、好きな子はいないの」

あんただ、あんた、と噛みついた歯に力を込める。白い皮膚には歯形がくっきりと残ったことだろう。そのことにわずかな満足を覚え、次に腕を腰へと移動させた。引き寄せ、同時に性器を押し当てる。布越しとはいえ、ジャーファルの体と触れ合っていると思えば、ますます固さを持ち、熱くなった。

「…………ごめんね、ひとりで、寝てくれる……?」

ジャーファルの声は震えていた。腕の中で縮こまるジャーファルの丸い頭を見つめ、短く息を吐き出す。どこか無防備な背中は、多少乱暴なことをしたって許してくれるのではないかと思わせる。けれど、無理強いなどできる訳がないのだから、欲望が理性に勝る前に反応があったことに安堵した。素早く寝台から身を下ろし、ジャーファルの部屋を出ていく。

部屋の扉を閉め、深く息を吐き出した。昂った性器を鎮めなければならなかった。ひとり残されたジャーファルはマスルールのことを考えるだろう。それはマスルールも同じだ。ひとりで性欲を処理するのも随分と慣れた。自覚してからいままで、思い浮かべるのはジャーファルの白い肌だけだ。そのことを知った時のジャーファルの反応は、すこし怖いから、しばらく伝えるつもりはない。

 

 

「……私、部屋に帰りたい、んだけど」

数日前の出来事を思い返してたマスルールの鼓膜を控えめな声が叩く。長く無言で追いつめていたせいか、不安げにマスルールを見上げては、視線をさまよわせている。いつも冷静なジャーファルにしてはめずらしく落ち着きがなく、きょろきょろと眼球を動かしている様は小動物を彷彿とさせた。

「じゃあ」

口を開くと、安心したように表情を緩めた。

「一緒に寝ますか」

緩んだ表情のまま硬直する。ぶんぶん、と頭を振るう様子がおかしくて笑みがこぼれそうになる。

「もう子供じゃないんだから、ひとりで、寝なさい」

視線を合わせないようにして言い聞かす言葉には、親が子供に伝えるような響きがあった。

「……いつも子供扱いじゃないっすか」

都合の良い時ばかり大人扱いされるのは困る、意地悪な気持で思う。ジャーファルが顔を上げ、マスルールの目を見て話していたならば、無表情の中に浮かぶ、からかうような色合いに気づいたかもしれない。だが、ジャーファルは俯いて、ますます縮こまり、困ったように眉尻を下げた。

「そんなことないって、この間、言ったじゃないですか。きみは、立派な青年だし、とても頼りにしているんだから、子供みたいなこと言わないの」

「…………」

今の物言いが子供扱いでなくてなんだというのだろう。ジャーファルもそのことに気づいたらしく、口を噤んだ。長年接してきた態度や言葉使いを昨日今日で直すのは難しい。

「ともかく明日も早いんだから!」

はやく解放しろ、ということなのだろうが、ジャーファルを閉じこめる腕を壁から離すのは惜しかった。できることならば、このままずっと閉じこめておきたい。眉を寄せて困りきった表情を向けるジャーファルの丸い目を見つめながら考える。この人は、いつか同じ気持を返してくれるのだろうか、と。そうであればいいと願う。いまはまだ難しいだろう。

ジャーファルは恋愛感情を向けられるのに慣れていない。慣れていないというより、認識しない。向けられる筈がないと思っている節すらあった。女はみな王であるシンドバッドへと好意を向けるし、ジャーファルに好意を向ける数少ない女は、仕事ばかり王ばかり国のことばかりのジャーファルを前に気持を伝えることを躊躇い、そのうち諦める。気持を受け入れてもらいたいと行動した女がいなかったとは言わない。結果は言うまでもない。ジャーファルに尽くしたところで、シンドリアのために懸命に働いてくれる同士、と認識されてしまう。マスルールだって例外ではない。

ため息を吐き出したくなる。ジャーファルは手強い。それでも簡単に諦める気にはなれない。諦められるならばとっくの昔に諦めている。まずは感情を向けられることに慣れてもらわなくてはならない、と、ジャーファルの頬へ手のひらをくっつけて、唇に吸いついた。ジャーファルは、顔を真っ赤に染め上げた後、ばたばたと自室へ飛び込み、大きな音を立てて扉を閉めた。閉まった扉を前にマスルールは目を細める。普段は物静かで、足音すら立てないジャーファルの気持を掻き乱すのはとても楽しかった。いまはまだそれでいい、と思う。いまは、まだ。 

memo
2012.0225 / いっしょにねようよ(マスジャ編)
獲物は逃がさない系マスルールです。