いっしょにねようよ(マスルール編)

幼い頃の話だ。彼がまだちっちゃくて、私よりずっとちいさかった頃の話。夜、自室の寝台で眠っていると人の気配に目覚めることがよくあった。瞼を開き、気配のする方へ視線を向ければ、幼い子供が立っている。「どうしたの」と問いかけても何も答えない。ぱちぱちと眠たげに瞬きを繰り返し、何も言わず寝台に潜り込んでくる。私の腰に腕を回すと、胸元に頭をくっつけて目を閉じた。しばらくすれば、すーすーと規則正しい穏やかな寝息が聞こえてくる。まるで子猫みたいだ、と愛らしくって愛らしくって髪を撫でれば、くすぐったそうに軽く頭をふるふるさせたけれど、起きる気配はなかった。そうして朝まで起きることはない。大体は私の方が先に起きて、肩を揺すって起こすのだ。けれど、一度では起きない。いやいやをするように首を振るい、平たい私の胸に頭を擦りつけて、眠りから覚醒することを拒絶する。そんな仕草を見ていると、胸の奥がくすぐったくなって、ついつい「後すこしだけね」と甘やかしてしまうのだった。あの頃の私は、朝の会議に遅れそうになることがよくあった。今は寝台に潜り込んでくる子供はいない。おかげで余裕を持って支度できるけれど、ほんのすこし物寂しい。

 

 

そんなことを今朝方考えたせいなのだろうか。今夜の私の寝台には、私とマスルールがいた。大きな体を寝台の中に潜り込ませ、私の背後にぴったりとくっついてくる。随分と体も大きくなって、二十歳を迎えたというのに、と思えば、愛らしいやらおかしいやらで思わず体を揺らして笑っていた。マスルールは気を悪くした風もなく、腕を伸ばし、体を抱き込める。これも昔からの癖だろう。あの頃とは違う、たくましい腕は、私の体全体を抱き込んでもまだ余った。昔は、胴体に回すのが精一杯だったというのに。

大きく育った体躯は到底可愛いという言葉が似合わない。それでも、私にとっては可愛い子供のままだ。おそらく体の問題ではないのだ。素直なこと、気遣いをしてくれること、真面目なこと。そういう内面的なものが愛らしくてたまらない。ならば、いくつになってもマスルールは私にとって愛おしい、守るべき子供だ。

あたたかい体がぴったりとくっついていることで霧散していた眠気が戻ってきた。ちいさく欠伸をこぼし、身じろぎをしてから目蓋を閉じる。マスルールは動物の子供が親に擦り寄るように、肩の辺りにすりすりと顔を埋めている。頭を撫でてあげたかったけれど、腕ごと抱き込まれているせいでできなかった。撫でることは諦めて、「おやすみ」と声を掛ければ、応えるように腕の力が増した。すこしだけ苦しいけれど、我慢できないほどではない。

そうして、私もマスルールも眠りにつく。……はずだった。私が違和感に気づいたのは、しばらく経ってからだ。腰、いや臀部の辺りに、何かが触れ、いや当たって、違う、当てられている。男性器であると理解するのに時間は掛からなかった。だからといって、状況は理解できない。

何故私の臀部に男性器を当てているのか、その意味が分からない。意味はわからないし、当たられている男性器が、硬度を持ち、猛っているのか、その理由も掴めない。マスルールは何を言うでもなく、昔みたいに私に抱きついていて、呼吸だって穏やかなものだ。その部分だけが違和感を持って存在している。ちいさく唸った後、結論づける。

マスルールも男の子なのだ、と。一緒に寝ようとやってきて、昔のように潜り込んで横になったはいいが、うっかり性的な妄想をして反応してしまったのだろうと。いつまでも猛っているでもなし、と気づかない振りをしてあげることにした。性的なことは自分で制御するのは難しい面もあるし、指摘されては気まずいだろうと判断してのことだ。――マスルールが私に対して性的な欲求を抱いている、そんな可能性は一切考えなかった。

次の日もマスルールは寝台に潜り込んできた。最初の夜と同じように、何も言わず後ろから私を抱き込んで。……男性器はやはり猛っていたし、押し当てられてもいた。さすがに、うっかり、で片づけることはできなかった。なにか訴えたいのだろうか。遠回しに女性を紹介しろ、と言われているのではないかとも考えたが、マスルールに限ってそれはない。そもそも紹介できる女性の知り合いなど私にいる訳がない。混乱しつつも、知らぬ振りをした。理由を問うのが怖かったからだ。問いかけたら最後、取り返しのつかないことになる、そんな予感がしていた。

そして次の日もマスルールは同じ言動を繰り返した。問いかけたら最後、と思っていた筈の私は、背後からの重圧に耐えきれず口を開いていた。

「……あのね、マスルール」

「はい」

「言いにくいんだけど、その、ええと、……すこしだけ離れてくれる?」

寝苦しいから、と言い訳のように言葉を続けるも、マスルールは微動だにしない。さすがに、性器を押し当てているのは何故ですか、と直接的に問いかける勇気はなかった。マスルールは動かない。腕の力がわずかに強められ、体の隙間が消される。ぴたり、と寄り添った男性器の脈動が伝わるような気さえして、全身がぞわぞわした。その時になってようやく私は理解する。――ああこれわざとだ。

故意的に、私の臀部に、男性器を押しつけている。改めて状況を言葉として整理し、次に理由を探った。男性器が勃起する理由としては、朝の生理的なもの、性的な接触をされた場合、性的な妄想をした場合などがある。これはどれに当たるのだろう。接触はしているけれど、最初から猛っていたし、私からの接触はない。マスルールが自ら触った気配もない。つまりは、性的な妄想なり思考なりをしたからであり、その結果を私に押しつけているということは、つまりそういうことなのだろう。

マスルールは、私に対して性的な妄想をし、勃起した男性器を押し当てている。では、次に考えることは、何故私に性的な欲求を抱いているのか、という点だ。私は見た通りの、二十歳も半ばの、女性的なやわらかさなど欠片も持ち合わせていない地味な男だ。同じ年頃の男と比べると、多少顔立ちは情けないが、それでもどこからどう見ても男だ。体の輪郭を覆い隠す官服のせいで、すこしばかり華奢に見えなくもないかもしれないが、やっぱり男以外にあり得ない。……そりゃマスルールに比べたら男性的な要素は少ないけれど。

ともかく、そういうことなのだろう。幼い頃からずっと一緒にいたのに気づかなかった。もっと早くに気づいてあげられたらよかった、そう反省しながら、口を開く。

「……国営商館にね、娼館があるでしょう?確か、そこで男娼も、……痛ッ」

いきなり首を噛まれた。

「な、なんで噛むの?!」

がじがじと続けて首の皮膚を齧られる。苛立たしさを伝えるかのように噛みつかれて、いまのはすこし無神経だったのだろうかと思い直す。 

「ええと、好きな子はいないの……って痛い!痛いってば!」

今度は力を込めて、ぎーっと噛みつかれた。確実に跡がついている。抱き込んでいた腕の片方が動いて、腰に回された。そして、力を込めて抱き寄せる。その上で、ぐいぐいと押しつけられた。萎えることなく、固く猛った男性器の存在に、全身がぞわっと震える。マスルールの意志は最初から明確だった。私が見当違いなことばかり考えていただけだ。

「…………ごめんね、ひとりで、寝てくれる……?」

知らず声が震えた。マスルールは何故だか安堵したように短く息を吐き出し、腕の力を抜く。

「はい」

素直に頷き、拍子抜けするほどあっさりと寝台から出て行く。部屋から出て行くマスルールの後ろ姿を見送り、扉が閉まったのを確認した後、寝台に突っ伏した。押し当てられていた感覚を思い返し、今更ながら頬が熱くなる。明日からどんな顔をすればいいのかわからない。

 

 

翌日、マスルールは普段と変わらぬ無表情のままで、そのいつもと同じ顔を見ていると昨晩の人物像と結びつかなくて、不思議な感覚に捕われた。やっぱり気のせいだったのではないかと思い始める。あんな即物的なことをマスルールがするとは思えない。ちいさく唸り、昨晩の出来事を思い返した。

思い返してみても、あの大きな体躯はマスルール以外にあり得ない。けれど、言動と人物像が重ならない。マスルールならばきっと、好きな子に気持を伝える時は、その子に似合う可愛らしい花束なり用意して、けれど上手く気持を伝えられず、花束を手渡した後、何も言わずにその場を去るに違いない。急に花束を手渡された子は驚いて、それからマスルールの誠実な気持に気づき、頬を赤らめるのだ。それがしっくりくる。

「……ジャーファルさん」

「は、はい!」

背後から声を掛けられ、驚きで体が跳ねた。いつの間に後ろに立っていたのだろう。振り返り、マスルールの顔を見上げる。やっぱりあんなことをするとは思えない。

「なんですか、マスルール」

「……何、考えてたんすか」

「何って、大したことじゃないけど」

「昨日のこと、覚えてますよね?」

「……うん、一応」

おそるおそる答えると、黙り込んで、じっと私を見下ろす。無言のまま、ただただじーっと見下ろしてくる。やがてちいさく息を吐き出して腕を伸ばした。

「……っ!」

腰を抱き締められ、ぐいっと引き寄せられる。

「マ、マスルール……?」

腰を抱いていた腕がごく自然な手つきで臀部の方へ移動し、片方を掴まれた。臀部に指が食い込んでいるのが分かる。その上で、股間を押しつけられた。触れあった最初は通常だったのか、むくむくと大きく、固くなっていくのが伝わった。あまりにも生々しい感覚に、体が硬直して、頭の中が真っ白になる。うまく呼吸ができない。眼球がぐるぐる回っている気さえした。何も言えず、口をぱくぱくさせていると、呆気なく腕を離してくれた。足から力が抜けて、その場に座り込みそうになった私を支えたのは、もちろんマスルールの腕だ。

「大丈夫っすか」

ふるふると、ふるふると首を振るい、困惑したままマスルールを見る。

「また見当違いなこと、考えてるんじゃないかと思って」

「……そんなこと」

ふぅ、とため息を吐き出された。

「あんた、俺のこと子供扱いだから」

「そんなこと」

「…………」

「……ちょっとしかしてない」

確かに多少子供扱いしているかもしれない。しれないけれど、やり方が乱暴すぎる。大体、子供扱いされたくないなら、昔の、今よりもっと愛らしい子供時代を思い出させるような行動はするべきではない。あんな昔みたいに寝台に潜り込んでこられては、ああまだまだ子供なんだなあっとほほえましい気持になってもおかしくないじゃないか。ずるい。つけ込んでる。そう思われたって仕方ない。

「ジャーファルさん」

「大丈夫、子供扱いなんかしてないっ!」

「…………」

マスルールの目が細められる。息を吐き出した後、手を伸ばしてきた。

「まあ、そういうことなんで」

呟き、顔が近づいてくる。唇にやわらかい感触が触れ、顎の辺りに冷たい硬質な物体が触れた。目を見開く。マスルールの顔が遠のく。理解ができず、次に理解をし、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。口づけされた、と言葉として認識する頃にはマスルールの姿はなくなっていた。……明日からどんな顔をすればいいのだろう。私の頬は燃えるように熱かった。

memo
2011.1223 / いっしょにねようよ(マスルール編)
ジャーファルさんのマスルールは可愛い良い子フィルターは異様に分厚い、という話。
チャットネタです。