後日談(R18)

※素股

 

「ジャーファルさん」

呼ばれて振り返ったジャーファルは、一瞬、体をびくっと跳ねさせ、それからにっこりと笑った。

ここはジャーファルの部屋だ。机の上には書類や、巻物が整頓され積み重なっている。終業時間はとうに過ぎたというのに、残った仕事を自室で片付けていたのだろう。手に持った巻物を、机の上に置きながら口を開く。

「なんだい?」

少し近いね、と呟き、一歩下がる。マスルールとジャーファルの間には、わずかな隙間しかない。開いた距離を縮めるように一歩足を進める。更に下がる。近づく。やがて机にぶつかり、それ以上下がることは出来なくなった。必要以上に近づくのを留めるように両手のひらを胸のところに置く。気にせず、ぐぐっと上半身を傾けた。ジャーファルは中腰になりながらも笑顔は浮かべたままだ。

「それで、なんの用かな」

「……触らせて欲しいんすけど」

率直に伝えれば、笑顔のまま、頬が染まる。

「ああ、うん、えーっと、どこを?」

「全部」

全部としか言いようがなかった。

やわらかい頬、銀色の髪、ちいさな鼻、薄い唇、白く細い首、真っ平らな胸、たおやかな腕、優しい手のひら、力を込めて抱きしめれば折れてしまいそうな腰、肉付きの薄い尻、普段は見ることが出来ないすらりと伸びた足、全て。

一度、体を重ねたとはいえジャーファルの身持ちの固さに変わりはなかった。いや、むしろ体を重ねる前より触れにくくなった。理由は分かっている。ふたりが体を重ねるには、少々ジャーファルの負担が大きい。出来る限り苦しくないように、と時間を掛けて丹念に指で解したが、それでもつらかったらしい。何よりその丹念さが、恥ずかしくて恥ずかしくてしんでしまいそうだった、と枕に顔を埋めたまま呟いたことを覚えている。ようやくのことジャーファルの中に納めたはいいが、軽く揺すっただけでぼろぼろと泣き出し、少しばかり激しくすれば、子供のように泣きじゃくりマスルールを困らせた。

困ったのは、どう慰めていいか分からなかったからではない。普段は保護者のように振る舞い、可愛がり、見守ってくれるジャーファルが、己の体の下で子供っぽい姿を晒しているのは、どうしようもなく欲を煽った。

今まで、ただの一度もそんな感情が浮かんだことはない。それでも、確かにはっきりと思ったのだ。――この人をいじめたい、もっと泣かせたい、と。

その気持を押し殺せたことは褒められてもいいと思う。泣きじゃくるジャーファルの頬を撫で、出来る限り優しくした。翌朝、ごめんね、と恥ずかしそうに呟いたジャーファルは普段の態度を取り戻していた。その日はそれでよかった。ただ、体を重ねて以降、ジャーファルは性的な雰囲気に過敏になったし、マスルールの中には、あの夜に生まれた感情が巣食っている。

「ぜんぶ」

マスルールの言葉を反芻したジャーファルは、固まり、それからぎくしゃくと視線を反らした。

「私、忙しくて。そう、仕事が、シンに頼まれていたものもあるし」

「……はあ」

「だから、退いてくれるかな?」

笑顔を向けるが、どこかぎこちない。確かに終業時間を過ぎたからといって、ジャーファルが仕事から解放されることは稀だ。夜遅くまで机に齧りついてる方が多い。それを知っているから、無理にふたりの時間を作ろうとしたこともなければ、思ったこともない。それでも、たった一度の記憶を何度も何度も繰り返し思い浮かべ、自分を慰めるには限度がある。つまり退くつもりは毛頭ない。

仕事があるというが、今日の仕事はほとんど終わっている筈だし、シンドバッドに頼まれたものというのは最初からない。ジャーファルが思う以上に、マスルールはジャーファルを見ているし、ある程度の把握はしている。部屋に赴く前に、シンドバッドに会い、さりげなく探りも入れている。シンドバッドには筒抜けらしく「とくに予定はない筈だ。なんなら明日は非番にしてやろうか」とにやにやしながら言われた。有り難い申し出ではあったが断った。ジャーファルに負担をかけることをマスルールは望んでいない。

「なにか、言ってくれない?」

黙り込んだまま見下ろしていたら、不安げに口を開いた。

「……俺」

「うん」

「二十歳なんです」

「うん、知ってる」

「あなたのことが好きで」

「……知ってる」

「あなたも」

「私も、きみのことが好き、だよ」

ほんのりと頬が赤らむ。恋愛ごとに不慣れなジャーファルは、こういう時すぐに頬が赤くなった。マスルールも不慣れではあるが、元々感情が表情に反映されないため赤くなることは滅多にない。すぐに赤くなる頬を指先で撫で、「それで」と口を開く。

「あなたに、触れられないと、……つらいです」

可能な限り感情を伝えようと丁寧に言葉を発した。感情は伝わったのか、ジャーファルはじっとマスルールを見上げ、ふっと体の力を抜く。

「そうだよねぇ」

呟き、ちいさく微笑む。

「私ったら、自分のことばっかりで」

「……いえ」

「いいよ。きみの好きなように触って」

いつも通りの笑顔で人の理性を試すようなことを言う。いつものことだ。にこにこと笑う顔に、色っぽい雰囲気はない。ため息を吐き出したくなるのを堪え、顔を近づける。降りてきた唇を受け止めたジャーファルは、唇が離れると同時にくすくすと笑いを零す。

「前もね、思ったんだけど、きみの唇はやわらかいね」

気持いい、と囁く唇を再度塞ぐ。出来れば余計なことを言わずにいて欲しい。どれだけの忍耐力で理性を押し止めているか、知らないからこそ言えるのだろう。啄むような口付けを繰り返していると、首に腕が巻きついた。釣られるように背中に腕を回し、抱き寄せる。隙間なく体がくっつくことで、焦燥感がわずかに癒された。

思う存分唇を貪り、腕を離せば、うっとり息を吐き出し、焦点の合わない目を向けた。落ち着かなくなる。体を這う欲望が顔が出す。口付けをしただけなのに、すでに張りつめて苦しい。体を反転させ、机に俯せにさせた。

「……まだ」

早い、と体を強張らせるジャーファルに覆い被さり、机の上に置かれた手に右手を重ねた。それだけで、口を噤み、体の力を抜く。

卓上のインク瓶や書類を移動させた後、左手で腰布を捲り上げ、太腿を撫で擦る。しなやかな筋肉の備わった足はすんなりと伸びて細い。用意していた潤滑油の入った瓶を開け、手のひらに零し、臀部の辺りから太腿の内側まで撫でる。先日の夜とは違い、中に塗り込めることはしない。臀部の辺りは触りたかったから触っただけだ。

手早く下だけを脱ぎ捨て、腰を擦り合わせた。そろそろと足を広げようとするのを制するように両手で太腿を掴み、ぴちりと合わせる。

「マスルール?」

不思議そうに名前を呼ぶジャーファルに何も答えず、隙間なく閉じられた太腿の合間に性器を捩じ込む。

「ふぁっ!?」

驚いた声を上げるジャーファルに頬が緩んだ。混乱しているのか、背が仰け反ったまま硬直している。

「……これなら、負担少ないんじゃないかって」

「ああ、うん、そうっ、だね!」

声が上擦っているのが可笑しい。ジャーファルの太腿の内側はすべすべとして気持がいい。足を掴んでいた両手を離し、覆い被さる。浮き上がった両手に手を重ね、机の上に置く。

「足は、閉じておいた方が、いいんだよね……?」

「そうっすね」

頭巾を押しのけ、首に顔を埋める。口を開き、甘噛みすれば、体が震えた。首から肩までをかぷかぷと甘噛みしながら、少しずつ服を剥いていく。同時に太腿に擦り付けるようにして、性器を押し込める。

「……んん、……っは、ぁ」

くぐもった声が零れた。

「声、聞きたいんすけど」

「……だめ」

恥ずかしいから、とちいさく囁く。

「でも、この間は」

「…………知らない」

つい、とそっぽを向いて、拗ねたように言葉を落とした。知らないと言いながらも、その耳は赤い。赤くなった耳を食む。腕の中の体が跳ねる。唇で触れる、舌で触れる、甘く噛む、指で探る。どの動作に対しても素直に反応を示すのがたまらなく心を掻き立てる。

きつきつと締め上げられるのも良かったが、太腿の感触も悪くはなかった。肉の壁が性器に快感を与え、抜き差しを繰り返す度に潤滑油がくちゅくちゅと音を立てる。問題はジャーファルが気持良いかどうかだ。

「…………」

「なに?」

物言いたげな空気を察し、視線を向ける。頬は上気し、目が潤んでいる。それでも、達するほどの快楽を覚えている訳ではなさそうだった。右手を下肢へ潜り込ませると、目を見開く。意図を感じ取ったのか、首まで赤くなった。

「……俺だけ、気持いいんじゃないかって」

やんわりと性器を握り込め、優しく刺激を与える。

「だ、大丈夫、だから」

机に額をくっつけ、声を搾り出す。だから離していいよ、と震えながら伝えられたが、離すつもりはなかった。恋愛経験自体ほとんどなかっただろうジャーファルは性的な経験など数えるほどか、もしくは未経験だったか、とにかく性器を人に触られたことなどなかっただろう。ましてや、人の手で快楽を与えられることなど皆無だったに違いない。だからこそ、反応を引き出すのが楽しい。やがて甘い声が零れ始め、手の中の性器が張りつめていくのを感じた。

それはマスルールも同じことで、腰を打ちつけ、与えられる快感を貪ろうとする。ほぼ同時に精を吐き出し、太腿から性器を引き抜いた。粘液が糸引き、精液と潤滑油が纏わりついた白い太腿に目を細める。

「大丈夫すか」

ぐったりと机に体を預けているジャーファルに声を掛けると、うん、と頷いた。手早く服を直し、

「拭くもの、持ってくるから」

と、力ない足で隣の部屋に向かう。ジャーファルの背が見えなくなった後、何気なく手のひらに吐き出された精液を見つめる。それはジャーファルも気持良かったという証しだ。指と指を摺り合わせれば、わずかに音を立てる。意図があってのことではない。顔の高さに持ち上げ、ぺろりと舐めてみる。嫌悪は一切なく、不快感もなかった。

「……っ!」

気配を感じて、視線を向ければ、顔を真っ赤に染めたジャーファルが言葉を失い、立ち尽くしている。何か言おうと口を開き、何も言えず、その場に踞った。手には体を拭くための布を持っている。そのまま何度か深呼吸をし、立ち上がった。なんとか気持を立て直したのか、表情だけは涼しい。頬は赤く染まっていて、あまり意味はなかったが、

「……拭いて」

「ジャーファルさんは」

「私は、もう拭きました」

そう言いながら、右手のひらに布を被せた。精液を拭き取り、服を整える。

「それで」

「……」

「満足しましたか?」

普段通り、落ち着きのある態度に戻り、マスルールを見上げるようにして視線を投げ掛け、問いかける。どう答えようか考えていると、

「ありがとう」

と、囁く。言葉の意味が分からず、首を傾げる。

「……私のこと気遣ってくれたから」

素直に肯定しかねて、黙り込む。確かにジャーファルの体に負担が少ない方法ではあった。だが、それはどうしても触れたいという欲を満たすためであったと思う。だから、感謝するのは間違いだ。ジャーファルは人の気も知らず、照れを滲ませながら嬉しそうに見つめてくる。

この体に巣食う欲望を全てさらけ出せば、ありがとう、なんて言えないだろう。もちろん傷つけたい訳ではないし、嫌われたい訳でもないから、隠し通すつもりではいる。昔から変わらず可愛いと言ってくれることや、優しく撫でてくれること、些細なことで庇ってくれること、それらを手放すつもりもない。だが、少しぐらい伝えてもかまわないだろうと思う。その程度のことで、ジャーファルの、マスルールへの愛情は欠片も失われることはない。マスルールはそのことを知っている。

「本当は」

「うん」

「……本当は、あなたが泣きじゃくるのを、見たいんです」

欲望の一端を滲ませた言葉に、ジャーファルはぱちぱちと瞬きをし、えっと、と視線を泳がせた。

「つまり?」

「…………」

「なにか、言って」

そろそろと視線を合わせるジャーファルは小動物のようだ。無言のまま、じっと見つめていると、わずかに体を引いた。ここで「もう一回」と言えば、無理矢理に用事を捻り出し、慌てて逃げようとするだろう。脳裡に思い浮かべて、目を細める。いまはまだ、言わない。

memo
2011.0812 / 後日談
この人は俺が好き、可愛いと思っている、と自覚しているマスルールが好きです。