旅先にて

過去捏造。子マス×子ジャ

 

「あれ?」

何気なく隣に立ったマスルールに視線を向けたジャーファルは、不意に声を上げた。声に吊られ、ジャーファルを見たマスルールはといえば特に何を言うわけでもなく言葉を待つ。

「またおっきくなったね」

頭の位置まで右手を持ち上げてそう言えば、はあ、と曖昧に返答した。

「ついこの間まで私の方が身長高かったのに、もう同じ目線。追い抜かされるのも時間の問題かな」

淋しげに呟くものだから、しばし思案し、

「でも、まだ」

同じですし、と言葉を繋げる。思いがけぬ返答にぱちりぱちりと瞬きをした後、

「そうだね。今日は同じ目線」

と笑う。淋しげな色が消えたことで安堵したのか、マスルールはわずかに目を細めた。それが笑顔の代わりだ。

ファナリスであるマスルールは体が大きい。街にいる同年代の少年の誰よりも大きいだろう。その上、目を見張る速さでどんどん成長してゆく。決して小柄ではないジャーファルすら簡単に追い越してゆくだろう。けれども、ジャーファルの中では出会った頃の、ちいさくて可愛い男の子としての印象が強い。だから、同じ目線になっても、優しい言葉遣いで話しかけてしまうし、態度すら甘くなってしまう。それはこれからも変わらないだろう。

出会った頃の印象のせいばかりではない。人の言うことはきちんと聞くし、頼み事をすれば文句も言わず遂行してくれる。なにより、無口ではあるが、慕ってくれていることが分かる。だからこそ可愛いと思ってしまう。

「じゃあ、行こうか」

胸元に納めた財布を服の上から叩くようにして確かめ、足を踏み出す。これから街に買い出しにゆくのだ。本来ならばシンドバッドも行く筈だったのだが、宿屋の寝台で寝転がっている。原因は昨晩浴びるように呑んだ酒のせいだ。さして強くないというのに、呑むのは大好きなものだから質が悪い。とはいえ、次の日まで引きずることは滅多にないから、昨晩はよっほど酒が進んだらしい。無事に宿屋に帰ってきただけでも奇跡か、とため息を吐き出す。

今日の目的は、迷宮攻略に必要なものを買っておくことだ。シンドバッドならば、散歩にゆく感覚で攻略出来てしまうだろうが、それでも怪我はするし、長引けば腹は減る、消耗だってする。洋燈の燃料、食料、その他細々したものを揃えるのは攻略前の仕事だった。忘れてはならないのは迷宮内の動植物を写生する紙だ。珍しい動植物の形、特徴を書き付けたそれらは迷宮攻略後に必要になる。

シンドバッドの冒険書と呼ばれる物語は大切な収入源だ。多少の脚色を加えられ、はたしてこんなモンスターと戦っただろうか……と首を捻ることもあるとはいえ、迷宮内の動植物について書き付けた紙は執筆の際に貴重な資料となる。新たな迷宮を攻略する際にも役に立つ。

「自分の目で見なければならない、って言ってたのはシンなのにねぇ」

ぼそり、と呟けば、同意するようにマスルールが頷いた。

「冒険に行く前の街の雰囲気も、読者の気分を盛り上げる大切な要素だ、だっけ」

「その割には、夜の酒場ばっかりっすよね」

「確かに」

街の酒場で聞いた話ではあの迷宮は何人もの男たちが挑戦したが誰も帰ってこなかった、夜になると迷宮の方から帰ってこれない者たちの呻き声が聞こえてくる、そんな迷宮に挑むなんて命知らずだ、やめた方がいい、そう言われても俺は向かうだろう、というようなことが書いてあった。何巻か出された冒険書の大半に酒場という単語が出てくる、と気付いた時は頭を抱えた。都合良くその後の醜態を省いている辺りにもため息が零れた。だが、書かれていたら更に頭が痛くなるに違いないから省かれているのは幸いなのだろう。

「まったく、ねえ」

「でも、おもしろいっすよ」

「ふふっ、そうだね。新しいのが書かれたらまた読んであげる」

「はい」

「自分で読めるようになるのが一番だけど」

読み書きを修得中のマスルールは、まだすらすらと書物を読むことが出来ない。だから、寝る前に物語を読み聞かせるのはジャーファルの仕事だ。大きな寝台に寝転がり、枕元に巻物を広げ、指でなぞりながら読み進めてゆく。最初は真剣な表情で聞き入っていたマスルールがいつの間にか寝息を立てているのを確認した後、巻物を備え付けの机の上に置き、ジャーファルもそのまま眠ってしまう。

「少しは読めるようになった?」

ジャーファルの質問に、はあ、と答えて口を噤む。まだ難しいようだ、とわずかに安堵して、微笑んだ。読み書き出来るようになるのが一番良いと思っていても、眠る前に物語を読み聞かせる仕事をジャーファルは気に入ってる。

マスルールはいつかジャーファルの背を追い越して、読み書きも出来るようになって、立派な青年になる。そのことを喜ばしいと思う感情とは別に淋しいという感情もあった。だからまだ、あと少しだけちいさな男の子でいて欲しい。マスルールは何を考えているのか、ずっと黙り込んだままだ。

店が並ぶ通りが見えてきた。どこの街も売り買いをする場所は賑やかだ。どこからともなく良い匂いがしてきて食欲を刺激し、色とりどりの布がはためき目を楽しませる。笑い声や楽しげな話し声が聞こえてくる。はやく買って帰ろうね、と話しかければ、マスルールはちいさく頷く。この街の通りは賑やかで楽しいところでしたよ、とシンドバッドに報告しなければならない。

「ジャーファルさん」

「なんだい?」

「……読み書きなんて」

出来なくてもいい、という言葉は雑踏に紛れて、ジャーファルの耳には届かなかった。

memo
2011.0727 / 旅先にて
昔は一緒に寝てたらすごい萌える。