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若シン子ジャ

吸う話の続き

 

 

「どうして吸わないんですか」

寝る間際、部屋にやってきたのは思いつめた表情のジャーファルだった。一瞬、何を言われたのか分からず、シンドバッドは首を傾げた。

「なんの話だ」

「ですから、何故……私を吸わなくなったのかと聞いたんです」

確かにあの夜以来、皆と飲んでいてもジャーファルを吸わなくなった。理由はシンドバッド自身にあり、到底口に出せる理由ではない。——頰や額だけではなく、唇を吸いたいだなんて言える訳がなかった。

けれど、ジャーファルの眉間にできたちいさな皺を見ていると、今までしていたことを急にやめるのは不自然だったかとシンドバッドは反省する。

「恥ずかしいと言っていただろう。すこし反省したんだ。それだけだ」

「本当に?本当にそれだけですか」

「ああ。……気にしていたのか」

「そりゃ、私があなたに尽くしていることを、あなたが認めてくれているから吸うのだと思ったのに、吸わなくなったってことは、私の頑張りが足りないのかと……思って……」

俯いて、もごもごと言葉を濁すジャーファルは不安げだ。

「馬鹿だなあ。そんな訳ないだろう。変わらず感謝しているよ」

「なら、いいのですが。…………吸う?」

不安を残した上目遣いで問われて、シンドバッドは硬直した。吸いたい。めちゃくちゃ吸いたい。けれど、この「吸いたい」という気持ちは部下への親愛の情ばかりではない。だから、吸えない。しかもふたりきりなのだ。絶対に吸えない。

「嫌なんですか」

「いや、違う。そうじゃない。……ふたりきりの時だと気恥ずかしいと言ったじゃないか」

「気恥ずかしいだけで、吸いたい気持ちはあるんですか?」

どうしてこうも直球で聞いてくるのだろう。

「……ある」

「じゃあ吸ってください。ふたりきりの時だと気恥ずかしいなんて、あなたらしくありません」

「お前は俺をどう見ているんだ。大体お前そんなに俺に吸われたいのか。嫌がっていたろう」

「……結局吸わないんですね」

ジャーファルの眉間の皺が深くなってゆく。と同時に丸い目が潤み始めた。

「私は、私がシンの右腕だから、私にだけああするんだって、思っていたのに、それなのに」

唇を噛み締めて涙を堪えようとして、結局一筋流れた涙を乱暴に拭った。

「今はそうじゃない」

ジャーファルにとって吸われたい吸われたくないの問題ではないと気付いたのはその時だ。やめるのならば、代わりの行為で親愛の情を示すべきだった。深く反省すると同時に、シンドバッドの胸には嵐が吹き荒れていた。

——可愛い。可愛いが過ぎる。

ジャーファルは、シンドバッドの為に尽くすと同時に、シンドバッドから与えられるものをなにひとつ取り逃がしたくないのだろう。目の前に差し出された感情が、シンドバッドの胸を締めつける。無自覚でしていた行為がこんな結果をもたらすとは考えもつかなかった。

この気持ちを言葉に出すのは難しい。親愛の情だけではなくなってしまった行為は果たしてジャーファルに受け入れてもらえるのだろうか。気持ちを落ち着け、言葉を選ぶ。

「違うんだ。……吸いたい気持ちが大きくなりすぎたから、自重しているだけなんだ」

「そう、なんですか?今までも存分に吸ってきたんだから、好きなだけ吸えばいいのに」

シンドバッドは言葉を失う。

「私は気にしませんよ。どうぞ好きなだけ」

不安げだった表情はどこへやら、嬉しそうに頰を緩ませている。可愛いな、と思う気持ちが溢れて、また身動きが取れなくなった。この「可愛いな」と思う感情も厄介なのだ。歯止めが効かなくなりそうで怖い。

「……ん」

どうぞ、と言わんばかりに顔を寄せてくる。

「何故、目を瞑るんだ……」

「だってまぶたに唇を押しつけることもあるでしょう?だから」

身の危険など一切感じ取っていない言動に頭を抱えたくなる。嬉しそうに口角の持ち上がった唇が愛らしくて憎たらしい。目を反らせなくなる。薄くてちいさな口に吸いついてしまいたい。先ほどから、唇吸いたいとジャーファル可愛いの単語が頭の中をぐるぐる回って離れない。

じれったくなったのか、ジャーファルが口を開く。

「言っておきますが、前みたいにしてくれない限り部屋から出て行きませんからね」

何故か得意げに言う。右腕として愛されているという安堵感がそう言わせるのか。なんだか「もういいんじゃないか」という気持ちになってきた。吸って欲しいんだろうし、めちゃくちゃ吸いたいんだし。

「わかった」

「じゃあ、どうぞ」

目を閉じたジャーファルの頰を両手のひらで包み込む。やわらかくてすべすべした頰は手のひらで触れても心地よい。無防備なままでシンドバッドの唇を待っているジャーファルに顔を近づけて、ちゅう、と唇を吸った。触れた唇はやはり薄くてちいさくてやわらかい。

「…………あの」

「お前が吸っていいと言ったんだ」

「ですが、その、これは、部下への行為とは、すこし」

「お前が好きなだけどうぞと言ったのにだめなのか」

「ま、待ってください。私、いま、混乱して」

「これだって親愛の情だよ、ジャーファル」

再度唇を押しつける。やっぱりやわらかい。混乱しているというジャーファルは、本当に混乱しているのだろう身動きひとつ取らない。唇の隙間を縫い、舌を滑り込ませる。歯列を舌先でなぞり、こじ開け、ちいさな舌を絡め取った。なんて愛らしい舌か!想像していた形がそこにあった。縮こまる舌を捉え、表面を舐める。びくん、とちいさな体が跳ねた。

「んん、……っん」

溢れる吐息すら愛らしく感じて、到底唇を離せそうにない。ジャーファルの言葉通り好きなだけ唇や舌を吸った後、身を離せば、その場にへたり込んだ。

「大丈夫か?」

「腰が、抜けて……」

立てません、と呟くジャーファルは首まで赤く染まっている。

「ならば、今日は俺の部屋に泊まっていけばいい。寝台はすぐそこだしな」

「い、いえ、だ、だいじょうぶです」

「そう言うな」

へたり込んだままのジャーファルを横抱きにし、頰に唇を押しつける。

「まだ足りないんだ。しばらく自重していた分、思う存分吸いたい」

「……ッ!」

「安心しろよ、ジャーファル。服の下は吸わないでいてやるから」

「待ってください!……私の考えていた展開とは、違っていて、何故こんな……。大体、服の下ってなんですか!」

「考えていた展開が違うのは俺も一緒だ。でも、いいんだ。お前が吸って欲しいと言ったんだから、俺は気が済むまでお前のことを吸う」

にっこりと笑って伝えれば、逃げられないと悟ったのか口を噤む。いまジャーファルの頭の中では様々なことが駆け巡っているだろう。悩め悩め、とシンドバッドは思う。そうやって俺のことばかり考えていればいい。そうしてまた感情を差し出してくれ。そうすれば同じだけの気持ちを必ず返してやるから、と。

 

:絶対食われる

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