木陰(シャルジャ)

 

「……ジャーファル、さん?」

陽射しの暖かい午後のことだった。もっとも夢の国と称されるここシンドリア国は一年を通して暖かい。だが、その日はいつにもまして穏やかで暖かだった。木々が作る陰で二三匹の小動物が丸まって眠っている。野生の動物としていかがなものか、疑問に思いつつも愛らしさに頬が緩む。確かに昼寝をするにこれ以上ないほどに最適だった。それは普段は姿勢正しく背筋を伸ばし、仕事に励む政務官にとっても例外ではなかったらしい。

この人は非番だった筈、と呆れ混じりの笑みを浮かべ、普段通り官服に身を包んで眠るジャーファルさんを見つめる。ぴったりとくっついた目蓋を縁取る睫毛はそう長くない。おそらく王の方が長く濃いだろう。鼻梁はすっと通ってはいるが、鼻の高さはどちらかといえば低い。ぺちゃりとしている。唇は薄く、ちいさい。陽に焼けていない白い頬に浮かぶのは薄茶色のそばかすで、なんとなしにその数をかぞえてみる。顔立ちは地味で、特に目を引くということはない。それなのにどうしてこんなにも心をくすぐるのだろう。黒めがちな目は確かに魅力的だ。まるっこくて愛らしい。怒られるのは嫌いだけど、責めるような視線を向けられるとなんだか胸の奥が痺れるような気になる。手を伸ばし、そばかすを撫でるように頬に触れる。木陰にいるせいだろう、肌の感触はひんやりと心地良かった。起きる気配はない。そろっと唇に触れる。指先に触れるやわらかさに居たたまれなくなって慌てて引っ込める。だが、すぐにもう一度触れたくなって手を伸ばした。人差し指で下唇を押さえると、ぺろり、と指先を舐められた。

「……っ、わ!」

ひどく驚いて、思ったより大きな声が出た。

「くすぐったいと思ったら、きみね」

責めるような口調で言うくせに、その目は笑っている。欠伸を右手で隠し、二三度瞬きを繰り返した。気まずさと恥ずかしさで唇を尖らせると、ふふっ、とちいさく笑う。

「人の寝込みを襲うなんてきみには失望するなぁ」

寝起きのせいか、どこかふわふわした調子で呟く。失望なんてしていないことは見ただけで分かる。気を取り直して、

「ジャーファルさんがこんなところで無防備に寝てるから」

「人のせいにするの?」

「……」

どうにも上手く言い返せない。いっそのこと口づけなりしておけばこちらのペースに巻き込めたかもしれない。そんな後悔をしていると、坐りなよ、と促す。隣に腰を下ろすと、ちいさく欠伸を零した。その仕草は小動物みたいな印象を与える。

「きみ、仕事は」

「いまは休息の時間です。ジャーファルさんは」

「私?私はねぇ、シンから追い出されたところ」

休みの筈なのになんでいるんださっさと休め、と部屋の外に放り出されたそうだ。あまりにも簡単に情景が思い浮かび、肩を震わせる。笑う俺に、でもねシンだってしばらく私が非番だって気付かなかったんですから別に放り出さなくたっていいと思いませんか、とわずかに頬を膨らませた。次の瞬間には息を吐き出して、途方に暮れた口調で言葉を続ける。

「これからどうしようかなぁってここに坐って考えていたらいつの間にか眠ってたみたいで」

「で、どうするんですか」

「折角だから、街の様子でも見てこようかな。いつも宮中に引きこもって仕事ばかりしているから、気付かないこともあると思うんだよね。なにか不足があるかもしれないし」

それは仕事とどう違うのか。

「他には?」

「そうだなぁ。後は市場を冷やかして、甘い物でも買ってこようかな」

「……もちろん自分で食べるんですよね?」

「え?」

不思議そうな顔で見返すジャーファルさんに思わずため息が零れた。

「どうしてため息なんか吐くの」

「そりゃ、もう、王サマだって呆れます」

どうしてそこでシンが出てくるかな、と不服そうに呟く顔が妙におかしい。

「ね、ジャーファルさん」

「なに」

「俺、仕事終わったらすぐに街に行きますから、一緒にいろいろ見て回りましょうよ。荷物持ちぐらいはしますし、禁酒している王サマにも甘い物を買って、アンタも好きなもの買って、一緒にご飯食べて。悪くないでしょう?」

「悪くない、です」

でしょう、と頬を綻ばせれば、子供みたい、と白い指で軽く頬を摘まれた。その指の感触は甘い余韻を頬に残す。頬に口づけされるよりずっとくすぐったい。もちろん口づけも望むところだけど。

「それで、俺の部屋でいろんなことをしましょう」

「……一瞬でもきみを可愛いと思った私が馬鹿だったよ」

甘さを含む雰囲気の中で言えば許されるだろうと、調子に乗ってみると、今度は思いきり頬を抓られた。

memo
2011.0525 / 木陰
ほのぼの?ジャーファルさんにお休みってあるの…