可愛い恋人についてのひとつの質問(シャルジャ)

 

シーツを替えられたばかりの寝台の上に思いきり体を伸ばす。さきほどまで敷かれていた体液の染み込んだシーツはくるくると丸められ、ジャーファルさんの腕の中にあった。さっきまで腕の中にいた筈なのに、と思いながら、きちんと整えられた服を見る。頭巾はない。普段は隠されている銀色の髪が惜しげもなく晒されている。同じ銀髪の筈なのにわずかに違う髪色について時々考える。考えるだけで、何かあるという訳ではない。

「泊っていけばいいじゃないですか」

ニヤニヤ笑いながら誘いかければ、そういうだらしないことはしたくありません、とにべも無く断られた。たまには一緒に朝まで寝ましょうよ、諦めず誘うが答えはない。呆れたような視線が一瞬注がれただけだ。

「ねぇ」

寝台の上をごろごろと転がりながら、甘ったれた声を出す。なんだい、と寝台の縁に坐ったジャーファルさんの目には呆れと共に優しい色が浮かんでいる。かわいい年上の恋人。つれないところはあるけれど、充分に幸せだ。

「俺のどこが好きですか?」

笑顔で問いかければ、きょとんと目を見開いた。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ちいさく首を捻る。なんですかその反応。首を捻った後、沈黙。ちょっと待ってくださいって本当に。

「えっ、と」

「…………」

「ちょっと待ってね」

顎に手を当て、うぅん、と唸る。おかしい。情事の後の甘い時間にこの反応はおかしい。あの、あまり真剣に悩まれるとさすがに傷付くんですけれど。

「どこだろうね?」

からかうような色もなく、真っすぐに目を見つめて言われたものだから、さっきまでの幸せな気分はどこかに飛んでいった。ジャーファルさんひどい。寝台に突っ伏して肩を震わせる俺の姿に気まずくなったのか、ええっと明日の朝起こしにくるからね、と部屋から出て行ってしまった。やっぱりひどい。ここは慰めるためにも朝まで一緒に寝るべきじゃないですか。

 

次の朝、約束通り起こしに来たジャーファルさんは夜のことなど忘れたかのようなさわやかな顔をしていた。やっぱりひどい、と頬を膨らませてみても、不思議そうに、どうしたの?と訊ねるだけだ。年下のかわいい恋人の心を無惨に傷つけて後は忘れてしまうなんてひどい。ありえない。もしかしたら、俺のことなんて好きじゃない?いや、好きでもない相手に体を開くとは考えられないから、好きではあるのだろう。いや、もしかしたら体目当てなんてことが。いや、そんなことある訳がない。そりゃ俺は男前だし、鍛えたいい体もしてるけど。大体、体目当てなら、王サマやマスルールを選ぶだろう。だから体目当てではない、との結論を出してはみたものの、不安はまだあり、思わず疑問を口に出していた。

「俺の体、好きですか」

「…………」

冷たい目をしている。

「いや、俺の体が目当てでお付き合いしてたら嫌だなぁと思ったりなんかしちゃって冗談ですすみませんでした」

朝から殴られたくはないから謝った。息継ぎなしに謝ると、ちいさく笑う声があって、続けて「そんなことある訳ないでしょう」と優しく言葉が落ちてきた。

ですよねぇ、と一旦納得はしたけれど、好きなところに関しては依然スルーされている。そこで誰かに相談することにした。出来ればジャーファルさんと付き合いが長くて、全てではないにしろ、よく理解しているだろう人。そして、口が固い人。思い浮かぶのはもちろん王サマで、でも王サマに相談することだけは避けたかった。他のことならいい。他のことならなんだって相談するだろうし、したい。けれど、ジャーファルさんのことだけは駄目だ。王サマのことは好きだし、尊敬もしている。だからといって、あれほどの感情を傾けていることに何も感じない訳ではない。だから王サマは駄目。ならば、と、あとひとりを思い浮かべ、足を踏み出した。

 

 

「別れりゃいいんじゃないっすか」

「お前は真顔で何を言っている」

「別れりゃいいと思います」

「よし、上等だ。表出ろ」

「嫌っス。というか表です」

事細かに事情を説明してみれば、この返答だ。可愛くないにもほどがある。話だけでも聞いてもらえればラクになるだろうし、あの人が好きでなければ付き合ったり肌を重ねたりしないという確認を得られればと思ったのだが間違いだったようだ。

「お前はもっと親身になって相談に乗るってことを知らないのか」

問いかければ、はあ、とわずかに首を傾げ、

「他の人の相談なら」

と言いやがった。

「じゃあ、ジャーファルさんが俺と同じ相談を持ちかけたら、どう答える」

「別れた方があなたの為だと思います」

「よし、表出ろ」

もう表です、と無表情で繰り返すマスルールの胸元を掴み、がくんがくんと揺さぶっていると、遠くから「こら!」と叫ぶ愛らしい声が聞こえた。聞き慣れた声であり、言葉だ。案の定、俺が怒られた。俺が怒られるのはおかしい。いまのはコイツが悪いんですってば!と言い募るが「だからといって暴力はだめ」と眉を持ち上げる。

「胸元を揺さぶるぐらい暴力に入りませんよ!なあ?」

「……苦しかったっす」

「お前な」

そんなに俺のことが嫌いか!と叫ぶより先に、腰に手を当てたジャーファルさんが「ほら!」と俺を責めた。

「きみは先輩なんだから、後輩には優しくしなきゃ」

「でも俺の先輩であるジャーファルさんは後輩の俺に優しくしてくれない」

「それは……、きみが悪いことしなきゃ優しくしてあげられるけど」

「どういう風に」

「どういう風に、って言われても、急には難しいよ」

「いいことしたら頭撫でてくれますか」

「……いいことしたらね」

「俺が良い子にしてて、落ち込んでいたら慰めてくれますか」

「落ち込んでいたら、そりゃ慰めるよ。私で力になれるなら」

「じゃあ、いま慰めてください」

「ええ?!ど、どういう風に」

「そうですね、あ、膝枕とか!それで頭撫でてください!」

考えるだけで楽しい。ジャーファルさんは困惑しつつも、すっかりペースに巻き込まれている。あと一押しで「後でなら」と言ってくれそうな雰囲気だ。

「……俺、頭撫でられたことないっす」

だからなんだという話だ。しかし、ジャーファルさんにとってはだからなんだという話ではないらしく「そうだっけ」と首を傾げて、マスルールに向かい合っている。あまつさえ「昔はともかく今の私の身長じゃあ難しいね」なんて言いながら腕を伸ばし、頭を軽くぽんぽんと撫でるように叩く。俺だって頭をぽんぽんされたことないのに!そう思うと切なくなって、思わず背を向け駆け出していた。背後で、あっ、とちいさな声が聞こえたけれどそれだけだった。

 

 

自室の寝台に寝転び、頬を膨らませる。あの後、物陰で追いかけてくるのを待っていたのに、一向に追いかけてくる気配はなかった。そろっと様子を窺うとなにやら楽しそうに談笑さえしていた。追いかけるつもりは一切ないらしい。だから、夕食の後、何も言わずに自室に閉じこもって落ち込める限り落ち込んでいる訳だ。 深い溜息ひとつ吐き出して、枕を引き寄せる。こんな些細なことで落ち込むなんて馬鹿げている。自分だけに許されていることは幾つかあって、それらが叶えば他のことなどいらないと思うこともあった。だが、実際その権利を得てしまうともっと欲しくなる。

――もっと特別扱いして欲しい。

髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜ、再度溜息を吐き出す。と、耳に扉を叩く音が聞こえた。心臓が跳ねる。心のどこかで来てくれることを期待はしていたけど、実際扉を叩かれると妙に緊張する。にやにやする頬を引き締めながら扉を開け、

「俺もちょっと大人げなかっ……」

「そうっすね」

「なんの用だよ!」

心底可愛くねぇ後輩が扉の前に突っ立っていた俺の気持を考えてみても欲しい。本来ならば、扉を開けて目の前にいるのは、俺よりちっちゃい銀色の髪をした先輩の筈だったのに、実際は馬鹿でかい無表情のむさっくるしい後輩。高揚した気持はどこへやら、すっかり萎んでしまって、投げやりな態度にもなろうというものだ。

「別に用はないんすけど、俺、別に先輩のこと嫌いじゃないっすから」

それだけです、と言い、さっさと帰っていく。なんだ、ちょっとは可愛いところあるじゃねぇか、と多少綻んだところで、ジャーファルさんが来ないという事実に変わりはない。ふて寝をしようと寝台に横になったところでまたしても扉を叩く音が聞こえた。さきほどよりちいさい音だ。まだなにか言い忘れたことでもあるのか、と思いはしたが、面倒で放っておく。どうしても伝えたいことがあるなら勝手に入ってくるだろう。再度、とんとん、と音が鳴る。ちいさく息を吐き出し、

「勝手に入ってこいよ」

と、寝台の上から声を掛ける。意外と律儀なとこもあるもんだ、と姿勢を崩すことなくぼんやりしてると、

「拗ねてるの?」

後輩の声とは似ても似つかないやわらかい声が耳に飛び込んできた。驚いた勢いで起きあがり、振り返る。あまりの勢いにびっくりしたのか、きょとんと目を見開いて扉の内側に立っているジャーファルさんがそこにはいた。

「遅いですって!」

「やることあったから」

ふふっ、とちいさく笑い、寝台の横の床に膝をついた。俺を見上げる形に坐り、口を開く。

「それで、拗ねてるの?それとも落ち込んでる?」

「……どちらもです」

「そっか」

頷いた後、私ね、と静かに続ける。

「きみのどこが好きなのか、自分でもよくわからない」

どうやら止めを刺しに来たようだ。

「こういうことになったのだって、いつの間にかというか、きみの策略の乗せられた、みたいなところがあるし」

それは否定しない。

「大体、きみは軽いし、後輩を苛めるし、些細なことで口喧嘩するし、他にもいっぱい問題があって」

そこで言葉を区切ったジャーファルさんは俯き、

「でも、本当はとても良い子だって思っているし、そういう駄目なところをね、可愛いと思っていたりもするんだよ」

たどたどしく気持を言葉にした。耳がほんのりと赤い。

「それじゃあ、駄目かな?」

無言のままでいると、不安そうに一瞬だけ視線を向けて、すぐに反らした。

「……駄目だったら仕方ないけど」

「駄目じゃ、ないこともないです、けど」

「けど?」

「俺のことちゃんと好きだって思っていいんですよね?」

「それは、もちろん」

照れたように笑うジャーファルさんに頬が緩む。これはかなり嬉しい。

「じゃあ、きみは私のどこが好きなの?」

にやついていると、笑顔で問いかけてきた。答えは決まっている。

「全部です」

得意げに言えば、目を見開いた後、ああそう言えばよかったんだ、とひとり納得したように頷いている。ジャーファルさんの反応は俺が予想した反応とすこし違う、ということが多々あった。いまのがいい例で、そういう時の不思議なくすぐったさが嫌いではない。

「そうだ、膝枕してあげようか?」

唐突な提案に今度は俺が目を見開く。いや、唐突ではないのかもしれない。昼間に膝枕といったことを覚えていたのだと思う。

「いやならいいけど」

首をぶんぶん振るって、是非!と叫ぶように言うと、笑いながら立ち上がり寝台に膝をついた。二人分の重みに寝台が沈む。枕をどかし、正座の形で坐ったジャーファルさんは手早く服の皺を伸ばし、どうぞ、を膝を空けた。出来れば生足が良かったなぁ、と思ったけれど黙っておく。それはまたいつかの機会にお願いしよう、そう心に決めて、頭を膝の上に置く。決してやわらかい訳ではない。でも心地良い。布に包まれた太腿はしなやかな筋肉が備わっていて、内腿は日に当たらないせいで真っ白なことを知っている(白いのは内腿だけではないけど)。思い出すと腰の辺りがもぞもぞし始めて落ち着かない。意識しないように努めて、目を閉じると、頭を撫でられた。ああそういえば頭も撫でて欲しいと確かに言った。ちゃんと覚えててくれたと思えば、自然頬が緩む。同時に、体の奥底に熱が疼くのを感じて慌てて揉み消す。こういう風に穏やかな時間も悪くない。

「やることってなんだったんですか」

「うん?」

「さっき、言ったじゃないですか。やることあったからって」

「ああ。大したことじゃないよ。残ってた書類を片付けて、それから湯浴みに行って、後はきみの部屋に向かうだけ」

それで石鹸の匂いがするのか。鼻腔をくすぐるこの匂いはやばいよなぁ……、軽く唇を噛み締める。ここで調子に乗るのは勿体ないし、もう二度と膝枕(頭なでなでセット)してくれないかもしれない。一時的な快楽と今後の楽しみを天秤に掛ければ、長期的な楽しみを選ぶのが得策だろう。そう言い聞かせて、呼吸を整え、しかし鼻で空気を吸い込む度に石鹸の匂いが脳天を直撃する。全然駄目だ。いっそ呼吸を我慢した方がよさそうだった。そんなことを悶々と考えていると、頭を撫でる手が止まる。何を考えているのか知られたかもしれない、とかすかに頭を動かし、見上げると、ジャーファルさんがちいさく息を呑んだ。

「……ごめん、もう、無理……」

「無理?」

「足、が」

足が?と視線を移動させると、頭を乗せている太腿が揺れる。

「っ、お願いだから、動かないで」

「あの」

「出来るだけ、ゆっくりと頭を、どかして」

真剣な目で訴えられ、ようやく足が痺れたのだと思い至る。悩んでいる時間は思いのほか長かったようだ。慌てて頭を浮かせると、安堵したように息を吐き出すと同時にその場に横になる。姿勢を崩したことで痺れが体全体を震わせたが、それでも楽にはなったのか、さきほどのような切羽詰まった表情はない。

緊張の緩んだ表情で、目を閉じ、静かに痺れが去るのを待っている。しどけなく横たわって。時々、痺れが強くなるのか、眉を顰める顔はひとつの情景を思い出させる。

「ジャーファルさん」

寝台に両手を付いて、顔を覗き込むようにすると、薄らと目を開けた。なに、と目で問いかけてくる。軋みさえ足に響くのか眉根が寄っている。

「……明日いっぱい怒られます」

俺の中に、据え膳を前に何もしないという選択肢はない。 

memo
2011.0330/ 可愛い恋人についてのひとつの質問
初膝枕話、まさかのシャル。