おいかけっこ

 

 

「ま、待てっ!」

 

短く叫ぶと、ずんずんと迫り寄ってきていた大きな体が動きを止めた。呼吸が触れ合うほど近くにマスルールの顔がある。マスルールが身じろぎをすると寝台が軋んで、静かな夜の部屋に音を響かせた。

 

一時の安心を得たと一息吐き出すが、安全は保証されていない。おとなしく動きを止めていたのは数分のことで、大きな体躯がそわそわと揺れ始めた。

 

「……もうすこし、待って」

 

優しく言い聞かすと、ちいさく頷く。揺れていた体が落ち着いた。わずかに後ずさり距離を取る。乱れた服を整えながら必死に考えを巡らせた。一体どうすればこの状況から逃げ出せるのか。そもそもどうしてこんなことになったのか。

 

 

一週間前のことだ。あまりにも寝坊の多いマスルールに、「一週間、遅刻せずに朝議に出席したらご褒美をあげる」とそんなことを言った。つまりマスルールは今ご褒美を貰おうとしてる訳である。ご褒美などと軽率に口にした自分を呪う。そもそもご褒美はちゃんと用意した。以前好きだと言っていた魚料理に、おいしい酒、つい先日シンドリアにやってきた商人から買っためずらしい菓子。用意したそれらはマスルールの腹の中に全て収まり、新しい私服だってシンと共に選んで贈ったのだ。これからも寝坊しないようにするんだよ、と言ったら素直に頷いたじゃないか。……確かに「ご褒美だよ」とご馳走と服を贈った時の妙な間は気になったけれど。

 

「あのね、マスルール。……即物的すぎやしないかい?」

「はあ」

「それにね、言っちゃあ悪いけど寝坊して遅刻するのはきみぐらいなんだよ?確かに遅刻しなかったらご褒美をあげるって言ったけれど、そもそも遅刻しないのが当たり前であって」

「もういいっすか」

「……人の話、聞いてた?」

「はい。でも、俺、一週間前から決めてたんで」

 

軽々しくご褒美なんて言うべきではない。それにしても心づくしのもてなしより、寝る方がいいだなんて不服だ。

 

「ご飯、美味しかった?」

「はい」

「お菓子は?服、嬉しくなかった?」

「うまかったです。大事にします」

「……ご褒美にはならなかったかな」

 

問いかけると黙り込んで、眉間に皺を寄せた。言葉を探しているのはわかったから、静かに返事を待つ。

 

「ジャーファルさんが、してくれることはなんでも嬉しいです」

「じゃあ、十分じゃないか」

「……俺のこと好きっすか」

「好きだよ。そうじゃなきゃ寝ないし」

「その割には逃げますよね」

「余裕がある時じゃないと難しいってだけだよ」

「その余裕っていつ出来るんすか」

「休日、とか?」

 

答えるとマスルールの眉間の皺が深くなる。私の休日は年に数回であり、数ヶ月休みなしで働き続けることもめずらしくはなかった。これじゃあ遠回しな拒絶だと気づいて、忙しくない時も大丈夫だよ、と付け加える。

 

「……俺、あんたに迷惑かけたくないっすけど、我慢し続けるのはつらいです」

 

切なげな顔でそう言われると、拒絶なんてできるはずもなかった。深く息を吐き出して、マスルールの頬を撫でる。マスルールは気持良さげに目を細めて、ほんのすこし口角を持ち上げた。

 

「そうだよねえ。前にしたのっていつだっけ」

「二十八日前」

「そ、そう……」

 

明確な日数が返ってくるとは思わなくて、続ける言葉を失ったが、気を取り直してマスルールの頬に口づける。眉間の皺が解けて、そわそわと体が揺れはじめた。まるで犬だなあ、と笑みを零すと、唇に触れるだけの口づけをされた。唇の下の装飾具がひやりと触れる。マスルールとの口づけはいつもそうだ。感覚を思い出すと、緊張と照れで心臓がどきどきし始める。

 

優しくしてね、と口を開きかけた私の前に、瓶が差し出された。茶色い小瓶の中では液体が揺れている。興が削がれた気分で口を開く。

 

「なに、これ」

「この前、街を冷やかしに行った時に売ってたんです」

「へえ。で、なにこれ」

「媚薬」

「……ふぅん、随分、変なものを、買ったね」

「おもしろそうだから買えって先輩に囃し立てられて、まあ」

「無駄遣いしちゃだめでしょ」

「最初は買うつもりなかったんすけど、物は試しかと思って」

 

誰で試す気かなんて愚問だろう。真っすぐに見つめてくる視線から逃げるように顔を反らす。

 

「媚薬なんて眉唾物だよ。流通しているものの大半は効き目なんてないし、効き目があると言われている薬だって媚薬を飲んだって思い込みで興奮してるだけ。それに性的興奮を薬なんかに頼ろうだなんて情けない話だと思わないかい?」

「そうですね。どっちが飲みますか」

「だから、効き目なんてないったら!」

「ないんなら、飲んでも問題ないですよね」

「……ぐぅ」

 

でも胡散臭い薬を飲むなんて危ないし、お腹が痛くなるかも、もしかしたら毒かもしれないし、そんなことを必死に言い募るもマスルールは聞いちゃいない。

 

「ジャーファルさんは飲む気がないんすよね」

「飲みたくは、ないかな……」

 

効能を信じている訳ではない。適当な薬草や香料を混ぜ合わせ、媚薬と偽って売りつけていると推測もしている。そんな胡散臭い薬を飲むなんて危ないと考えるのは当然だ。だが、物事には万が一がある。大半のものは偽物であるが、本物が紛れている可能性も捨て切れない。媚薬なんて飲んだことはないから、本物を飲んだ時にどういった変化が起こるのかはわからない。わからないけれど、面倒になることだけは目に見えている。

 

マスルールと抱き合うことは嫌じゃない。気持良いし、繋がったままで一生懸命口づけしてくる様子はとても愛らしい。快楽に目を細め、どこか苦しげとも言える表情を見れるのも性交の時だけだ。そのことを嬉しいと感じるし、可愛くも思う。けれど、マスルールはしつこい。膣内に精を吐き出す前に性器を抜き、臀部に吐精したかと思えば、すぐさま中に潜り込んでくる。達したばかりで過敏になっているというのに、遠慮なく抽送を開始し、腰を打ちつける。一度火の点いた欲望は止められないのか、いくら制止を求めてもやめてくれない。

 

そういう事情もあり、更には最近忙しかったのもあって、一ヶ月近く体を重ねていなかったのは事実だ。思い返せば、ご褒美と聞いて期待してしまうのも仕方ない。だが、その期待こそが怖じ気づく要因だ。あの期待に満ちた目、最低三回は犯される。その上媚薬が本物だとしたら一体どんな目に合わされるものか。いくら可愛くてたまらない相手だとしても阻止しなければならない。固く決意した私が見たのは、一息に媚薬を呷るマスルールの姿だった。

 

「あ、あああああっ、こら!そんな訳のわからないもの飲むんじゃないッ!吐き出しなさい、ほら、ペッてして!」

 

マスルールの口元に両手のひらを差し出す。慌てふためく私とは正反対にマスルールは平然とした顔をしている。先ほどまで頭を悩ませていた杞憂は彼方へ飛んでいって、毒じゃなかったか、お腹痛くならないか、そんな心配ばかりに支配された。

 

「…………」

「大丈夫?ねえ、マスルール、お腹痛くなってない?具合悪くない?」

 

マスルールは何も答えてくれない。ただじっと私の顔を見つめるばかりだ。何も答えてくれないと不安がますます大きくなる。

 

「待っててね、私、医者を叩き起こしてくる!」

 

慌てて駆け出そうとする私の腕をマスルールが掴み、わずかに引き寄せた。

 

「……逃げるつもりっすか」

 

低い声が這うように耳に忍び込んでくる。

 

「逃げるって、私はただ」

「そのつもりなら追いかけて捕まえるだけっすけど」

「……」

 

マスルールの目は据わっている。視線は私という一点だけに固定され、外されることはない。視線を離したら最後、私が逃げ出すと信じているようであった。逃げるつもりなど毛頭なかったが、今にも食い掛かってきそうな視線に晒され続けていると逃げ出したくなる。

 

心配して医者の元へ駆け出そうとしたが、真に心配すべきは己の貞操であった。手首を掴んでいた手がじわじわと肘へと移動し、二の腕を撫でると、ぶるりっと体が震えた。

 

「あのね……」

「逃がすつもりはないです」

「違うよ。あのね、その、服を脱ぐから、離してくれるかなって」

 

恥じらいを滲ませながら囁くと、軽く目を見開いた後、惜しむようにではあったが、手を離した。

 

「それから恥ずかしいから、ちょっとだけあっち向いてて」

 

もじもじしながらお願いすると、素直に背を向けてくれた。胸に罪悪感が生まれたが、今はこの場を逃げ出すことが先決だ。寝台から降りて、音を立てぬように靴を履く。頭飾りを外し、被り布を落とす。衣擦れの音に期待を昂らせてるマスルールには悪いが、窓辺に足を掛けてそのまま飛び降りた。

 

屋根から屋根を飛び伝い、張り出した露台に着地する。一度だけ振り返った部屋の窓には赤い髪色が見えた。同じように窓から追いかけてくるだろうか。言葉通り追いかけて捕まえるつもりならそうするだろう。出方を窺っている暇はない。

 

どこかに隠れるべきか、それとも明るくなるまで走り回っているべきか、音もなく走り続けながら考える。ファナリスであるマスルール相手に体力勝負は分が悪い。けれど、隠密行動は私の方が得意だ。普通の人間を相手にするならば、マスルールはすぐに対象を捕まえることができる。ファナリスの鼻はとても良く、対象者の匂いを辿ることは難しくない。けれど私は匂いを消しているから、匂いで辿られることはない。マスルールが指針にするのは勘だけだ。

 

その勘が怖いんだよなあ、ひとりごちて周りを窺う。夜も遅く、大抵は寝静まっている。こんな夜中に追いかけっこをしているとは誰も思わない。しかも国を支える八人将が。改めて考えると頭を抱えたくなる。

 

闇雲に走り回るより、シンに泣きつくのはどうだろう。見つからずに辿り着けるならこれ以上安全な場所はない。シンの言葉はマスルールに絶大な効果を持つ。マスルールは決してシンの言葉に逆らわないし、不本意なことであっても大人しく従う。本来ならば私の言葉にも素直に従ってくれるのだが、今夜は難しい。

 

一筋の希望に心が軽くなるが、すぐに振り払った。私がそう考えると判断して待ち伏せている可能性もある。そんなことをつらつら考えながら移動していると、大きな扉が目に入った。通い慣れた扉の向こうには膨大な書が収めてあり、日中は魔導士や文官が行き来している。中は広く、ずらりと並ぶ書架は天井まで続いていた。隠れる場所はたっぷりある。なによりマスルールは滅多に来ない。室内の構造にも慣れていない。一時隠れるには充分だ、と書庫へ忍び込み、一息つく。扉に寄りかかったまま、部屋の外の気配を窺うが、近くに人の気配はなかった。

 

部屋から出たマスルールはどこへ向かうだろう。政務室、空き部屋、書庫、私がよくいるところを探すか。いや、何も考えずに勘だけで探すか。多少思考を使って探してくれるならいいのだが、勘に頼られると困る。書架の隙間に身を隠しながら、あれこれと考えるが、想像の域をでなかった。

 

ともかく見つかってはいけない。見つかって追いかけられた場合、逃げ切れない。朝まで書庫に隠れていてもいいが、探しまわってることを考えると同じところに留まっているのは不安だ。そろそろ移動するべきだろう。

 

はあ、とため息を吐き出して立ち上がる。扉の傍に寄り、外の気配を窺う。夜の静寂しか感じ取れない。わずかに開けた扉から外を窺うがやはり誰もいない。音を立てないように廊下へ体を移動させ、扉を閉め、鍵を掛ける。と、すたんっ、と離れたところに何か落ちる音がした。おそるおそる視線を向けると、中庭にマスルールが膝をついていた。上の階から飛び降り、今まさに着地したのだろう。幸いにもこちらに背を向けていて、まだ私の存在には気づいていなかった。背後とマスルールの様子を確かめながら、ゆっくりと後ずさる。ここで物音を立てたら終わりだ。

 

マスルールは体が本調子ではないのか、いつもより動きが緩慢としていた。ふらり、とよろめいて、二、三度頭を振るう。心配になったが、今心配すべきなのは己の貞操だ。壁が終わり、角まで辿り着くとすぐさま身を隠す。短く息を吐き出し、体の力を抜いた。油断はできないが、見つからずに済んだのは僥倖だった。

 

幸運に感謝しながら、中庭の様子を見ようとおそるおそる顔を覗かせると、……目が合った。ぎらりと目が光り(それは私の錯覚かもしれなかった)、体をこちらに向ける。

 

「……う」

 

思わず声が漏れた。それを合図に駆け出すのを見た。一呼吸遅れたが、私も身を翻して走り出す。全力で走り、走って、角に当たる度曲がって、走って、建物と建物を繋ぐ廊下の手摺へ武器を投げつけた。一気に壁を駆け上がり、武器を外し、また駆け出す。後ろを追いかけてくる足音は耳に届いていたし、背中に熱く焼けるほどの視線を感じる。呼吸が荒れ、息が苦しい。はっ、はっ、と吐き出す呼吸が不安を煽り立てる。

 

捕まったらその場で犯される、それは確信に近い。押さえつけられ、後ろから貫かれる。一度で終わる訳はなく、二度、三度、それ以上犯され、許しを求めても許されることはない。普段もそうだといえばそうなのだが、普段以上に容赦のない責めが待ってると誰だって予想できる。いつも以上……、そう思うと恐ろしさに体が震えた。

 

もうこんなことは終わらせたかった。終わらせることができる人物はただひとり。後ろを追いかけているということはつまり待ち伏せされる心配はないということだ。マスルールより先にシンの部屋に辿り着けば全てが終わる。真夜中に叩き起こされるのは可哀想だと思うが、泣いて縋りついたら「かわいそうだからやめてあげなさい」と言ってくれるに違いない。なんだったらゼパルの能力で眠らせてもらったっていい。仕事に穴を開けるくらいならば魔装のひとつやふたつ了承してくれるはずだ。そうしてくれるなら口うるさく禁酒を言い出さないし、小言も控える。半ば泣き出しそうになりながら、シンの部屋を目指して走り出す。

 

紫獅塔に辿り着き、シンの部屋の扉が視界に入った時は冗談じゃなくて本気で泣きそうだった。安堵が体中を満たし、気が緩む。

 

「あー……もう、こんなこと二度とやだ……」

 

愚痴を零し、シンに泣きつこうと扉に手を掛けた瞬間、背後から伸びて来た手に口を塞がれた。

 

「もごっ、ん、んんーッ?!」

「……うるさくするとシンさんが起きます」

「んんんッ!?」

「追いかけるより待ち伏せしてた方が確実かと思って」

「んんっ、!」

「上」

「……んん?」

「天井に張りついて待ってました」

 

マスルールならば天井裏に張りついて待機するくらい容易い。後ろにいると信じ込んでいたものだから、完全に油断していた。足音に気を配れなかった自分を呪いながら、体を捩って抜け出そうとすると、腕が腰に巻きついて動きを制された。同時に口を塞いでいた指が動き、唇に触れた。人差し指が唇を撫で、割り込んで、口腔へと忍び込む。

 

 「う、ぐ……」

 

入り込んできた二本の指は、舌を捕まえて弄び始めた。溢れる唾液を指にまとわりつかせて、舌を挟み、表面を撫でた。こぼれた唾液が口の端から溢れて落ちる。

 

 「……や、め」

 

 口の中に指があるから、うまく喋ることができない。首筋に唇が押し当てられる。

 

 「もう、逃げませんか」

 

腰に回された腕の力が強くなった。逃げないという意思を伝えるために何度か頷いたが、腕の力が緩むことはない。舌を弄ぶ指は動きを止めず、何度も首筋に口づけを繰り返す唇は時折肌を吸った。舌が首筋を這い、歯が耳たぶを噛む。屹立した性器が尻の割れ目に食い込み、押しつけられている。

 

 「んん、……だ、め、……っ!」

 

顔を反らして指から逃げ、ようやくのこと訴える。こんなところで犯されたくはなかった。なにせシンの部屋の前だ。気配や声で起きるともしれない。シンの睡眠を邪魔することもそうだが、部下の性交など見たくはないだろうし、私も見られるのは嫌だ。

 

 「逃げないなら」

 「逃げ、ないったら……」

 

ふっと腕の力が緩み、わずかに浮いていた体が落ち着く。拘束の力が緩んで安堵したのもつかの間、横抱きにされて体が浮いた。

 

 「わ……っ」

 「逃げようとしたらこの場で犯す」

 

薄々感づいてはいたが、今のマスルールは苛立っている。逃げたい気持はあったが、気配を見せただけでその場で犯されることは疑いようもなく、おとなしくしているしかなかった。ううっ怖い、心の中で唸り、どうしたら手加減してもらえるか考えてしまう。

 

 「……ごめんね」

 

まずは謝るべきだと判断して呟くも、返事はない。

 

 「きみとするのは気持良いし、好きなんだけど、ほら、きみのって大きいし、何回もされると疲れるから、する前は怖じ気づいちゃってね、だから」

 「しゃべんない方が身のためっすよ」

 

そう言われると黙り込むしかない。おとなしく黙り込んで抱き抱えられていると、余計なことを考えてしまう。向かう先は私の部屋のようだが、部屋の中に入り、寝台に放り投げられて襲われるのだろうか。一体何回するつもりだろうか。優しくしてくれるだろうか。そんなことばかりが頭を過ぎる。

 

しゃべらない方が身のためと言うが、できればすこしでもマスルールの苛立ちを和らげたい。それが私のためにもなる。言葉が無意味ならば行動で示せばいいのかもしれない。私から口づけをして、服を脱がし、口淫なりすれば苛立がすこしは和らぐのではないか。

 

思案に耽っている間にも部屋にたどり着き、扉の前で降ろされた。中に入るよう促される。素直に足を進め、後について入ってきたマスルールと向かいあう。

 

 「あの、さ」

 

言葉を綴る前にマスルールの両腕が伸びて来て、服の襟を掴んだ。そのまま一気に腕を開く。布を引き裂く音が響くも、一瞬のことで呆然と突っ立っていることしかできない。

 

 「……っ!」

 

 思考が戻ると同時にさらけ出された胸を隠す。

 

 「な、なに、なんで!」

 「その恰好なら外には逃げられないんで」

 

確かにそうだが、やり方が乱暴すぎる。抗議の声を上げようと口を開くが、すぐに塞がれた。肉厚な舌が口腔へ入り込んで呼吸を奪う。顔を背けようにも、後頭部の髪を掴まれているためできない。腰に回された手はもぞもぞと尻を撫で回している。

 

 「んん、っ、ン!」

 

苦しさを訴えるために肩や腕を叩くが、びくともしない。舌が歯列をなめ回し、口腔の粘膜を擦り、時折唾液を掻き回した。押し戻そうとする私の舌は絡め取られて、混ざり合った唾液が音を立てる。

 

 「……っんん、くぅ」

 

溢れた唾液が一筋の糸となって口の端から流れた。長く、長く舌を嬲られて、ようやくのこと解放された時、足腰の力はすっかり抜けて立っていられなくなっていた。その場にへたり込むと、マスルールが膝をついて顔を覗き込んできた。

 

右手が伸びてきて頬を撫でる。頬を撫で、口づけを繰り返しながら、左手で乳房を撫でた。親指の腹で乳首を押し潰し、転がす。かと思えば、引っ張り上げ、軽く揺らしたりもした。その度に体が反応してしまう。びくっ、と体が震えるとマスルールは目を細め、その様子を眺めた。観察されるように見つめられると、羞恥で顔が赤くなる。

 

 「んっ――!」

 

不意に体を引き寄せられたかと思えば、抱き込まれたまま押し倒された。胸を弄くっていた手が下へと伸びて、腰布をめくり上げた。滑り込んだ手のひらは太股を撫で、内側と移動する。迷うことなく足の合間へと辿り着いた指は、なんの遠慮もなく陰唇を開き、膣口を探り、中へ忍び込んだ。痛みに息が詰まる。声を上げたかったが、唇を塞がれているせいでできない。

 

入り込んだ指はぐいぐいと肉を押し、広げる。わずかな湿りはあったが、準備のできていない体には痛みが強かった。喉で唸り、痛みを訴えるが、指の動きは止まることなく蠢き続けている。しつこく弄ばれ続けるうちに、粘液が分泌されて指の滑りが良くなってきた。痛みが弱まり、秘部にじんわりと熱が集まっているのがわかる。

 

けれど、受け入れるには足りない。さきほどから言葉がないし、いつもより乱暴で、甘いやりとりもなかったものだから、体も心も追いついていない。こんな状態で性交などして気持良いものなのだろうか。もっとも私の疑問など今のマスルールには無関係だ。

 

指が引き抜かれ、安堵に体の力が抜けた。だが、休める時間は少ない。足を割り開かれ、その間にマスルールが座り込んだ。腰布が大きくめくられて秘部が晒される。

 

マスルールが懐から小瓶を取り出すのが見えた。今度は青い色をしている。また媚薬の類だろうか、と不安に思っていると、小瓶の蓋を開けて、勃起した己の男性器に垂らした。何度か液体を刷り込んだ後、私の秘部にも垂らす。

 

 「それ、は……?」

 「潤滑油」

 

ひやりとした液体が敏感な部分を撫で、垂れ落ちていく。伸びてきた指は液体を掬い取り、中へと塗り込んだ。ぬちゃり、ぬちゃっ、と卑猥な音が響く。潤滑油のせいであり、私の粘液が音を立てている訳ではないと理解していても恥ずかしくてたまらない。

 

 数回中に塗り込んだだけで、指は抜き取られ、代わりに先端があてがわれた。中に入り込んでくる性器は指とは段違いの質量を持つ。自分の体のことも、その性器がどれほどのものかも私にはわかる。慌ててマスルールの体を押しとどめようと伸ばした手は、すぐに掴まれて床へと押しつけられた。

 

 「待って、まだ、はや……っ、あ、あああッ!」

 

押し入ってくる性器は容赦なく肉を割り広げ、最奥を抉ろうとする。痛みに体が硬直する。ぎち、と膣肉が強ばり、締めつけている。多分、マスルールも痛い。そのはずなのに、引いては押し、引いては押しを繰り返し、無理矢理にでも全てを収めようとする。

 

 「やッ、だめ、……っ、動かないで!痛、い!」

 

眦から涙が零れ落ちた。必死に制止を繰り返し、頭を振るう。浮いた足をばたつかせるも、ただ宙を掻くだけだった。

 

無理矢理に根本まで押し込んだ後、ようやくマスルールは腰の動きを止めた。受け入れた箇所が痛みを発し、熱さが脈を打つ。すこしでも痛みをやわらげようと荒く呼吸を繰り返すも、痛みはまだそこにあって、中にある性器を意識させた。固く、太く、どくどくと脈打つ性器が私の中にあって、欲望を伝える。

 

 「お、願い、しばらく……、動か、ないで」

 

一度だけ深く息を吐いたマスルールは、頬にこぼれた涙を舐め取り、唇を舐めた。二、三度唇を舐めた後、大きく口を開いた。口腔には白く艶やかな歯が並んでいて、尖った犬歯も見えた。この歯はいつも肉を噛みちぎり、咀嚼する。その食べ方ときたら見事なもので、大きく口を開き、肉を噛み、細かく擦り潰し、飲み込む。飲み込まれた肉はマスルールの腹を満たす。足りない場合は、また噛みつく。

 

 「もう、逃げない、からぁ……!」

 

 言葉ごと噛みついて声を塞ぐと同時に腰をぐいぐいと押しつけてきた。

 

 「ふ、ぐ……っ、んん」

 

固く滾ったものが幾度も中を抉り、痛みとわずかな快感を与えてくる。ぎゅうっと固く目を閉じ、痛みを散らすことを考えた。けれど整えようとした呼吸はすぐに乱され、他のことを考えるにはあまりにも大きい感覚に、ただひたすら声を上げるしかできない。

 

動きが止まったのはしばらくしてからだった。奥深くに性器を置いたまま動きを止めて、優しく頬を撫でるものだから、ずっと閉じていた目蓋を開いた。涙でぼやけたマスルールの顔にさっきまでの荒々しさはない。

 

 「大丈夫っすか」

 「だ、いじょうぶ、じゃ、ない、ぜんぜん」

 

ひどくした後に優しくするのはずるいと思う。もう、もう!と繰り返すと安堵の涙がこぼれて止まらなくなった。

 

 「……いつもみたいに、する?」

 

問いかけると何も言わずに口づけをした。否定なのか、肯定なのか。忍び込んでくる舌に舌を絡ませ、表面を舐める。甘噛みすると、ふるっとマスルールの体が震えた。その愛らしさに唇が綻ぶ。腕を伸ばして首に巻きつけ、抱き寄せた。汗ばんだ肌がくっついて気持良い。

 

 「痛いのは、いやだよ」

 「でも」

 「痛みに強くたって、いやなものはいや」

 

マスルールは私を気遣ってくれる優しい子だけれども、時折こういうところがある。年下としての甘えがそうさせるのかと思えば許すしかないけれど、私だって痛いのは嫌だし、なんにでも堪えられる訳ではない。

わかった?と問いかけると、はい、と頷く。実に素直でよろしい。

 

「じゃあ一旦抜いて、寝台に連れてって」

 

そうお願いするも、マスルールは挿入したまま私を持ち上げた。

 

「〜〜っ!」

 

奥深くを思い切り揺すられて、声さえでない。思わず抱きつけば、優しく抱きかかえてそのまま寝台へと移動した。

 

「ぬ、抜くくらいできるでしょ!」

「余裕がないんで」

 

確かに余裕はなさそうだった。細められた目の奥は欲望でギラギラと光っている。仕方ないと諦めて、体の力を抜く。それを合図にマスルールはゆるゆると腰を動かし始めた。最初は緩やかだった動きがすこしずつ速くなっていく。

 

 「う、……あ、っあ」

 

揺すられるままに揺すられているのが一番良いとわかっていても、身を捩ってしまう。無意識に腰が引けて逃げようとするのを、力強い手のひらが腰骨を掴んで引き寄せた。奥深くを抉られて、体が引きつる。

 

「あっ、ああ……っ!」

 

身を捩り、寝台に顔を押しつけて、悲鳴を殺す。ぐいぐいと体を押しつけてくるマスルールには、どうしてそうするのかわからないのだろう。自分の喉から発せられる甘ったるい声ときたら、とても聞いていられるものじゃない。年上の矜持などマスルールは気にも止めない。それが彼らしさであり、愛らしいところでもある。

 

「……なか、スゲー好きです」

 

うっとりと零された言葉は最初意味がわからなかった。揺すられながら、マスルールの言葉を反芻する。なか、中、体内。すごく。好きだと言った。私の中に挿れているのが好きだと随分とあけすけなことを言われたと気づいたとき、思わず笑ってしまった。

 

「もう、きみね…っ、もっと、言葉をえら、んで」

「そういう余裕はないです」

 

とてもそうは思えない声音で呟く額には確かに汗が浮かんで、頰は紅潮して、息はいつもより荒かった。それは私も同じで、そう思えばなんだかくすぐったくなって、また笑ってしまった。

 

 「……ご機嫌っスね」

 「そう、かな。そうかも……、きみが優しくしてくれるから」

 

くすくす笑って、頰に口づける。たったそれだけのことで体内にある性器が膨張した。ああもう喋る余裕はなくなるな、と思った時には腰の動きが激しくなって、あとはもう何も考えられなくなった。

 

その夜は予想通り三回では済まなかった。二回目は背後から犯され、何度も首や肩を噛まれたし、三回目はまたお互いの顔を見ながら抱き合った。胸元に噛み跡ができて、どう誤魔化すべきかぼんやりと考えているうちに眠ってしまった。眠りに落ちたのは一瞬のことで、意識を取り戻せば、マスルールがじっと顔を覗き込んでいた。

 

 「……まだ?」

 「はい、できれば」

 

しょうがないなあ、と呟いて、口づけを贈ると嬉しそうに目を細めた。そうやってどろどろになるまで抱き合って、気がつけばもう夜明け前だった。

 

 「もう、だめ、ねる」

 

指一本動かせないと訴えれば、「はい」と返事が来た。うつらうつらしていると、冷たい布が体に触れた。わざわざ体を清めてくれるらしい。そんなことをされると、たまらない気持でいっぱいになってしまう。そんなこといいから隣で寝てよ、と言いたいのに唇を動かすことも億劫だった。

 

丁寧に大切に体を拭き清める手の動きは、繊細で優しい。器用な方ではないマスルールのすることに胸が詰まる。ああ私のことを好きなんだなあ、と今更なことを感じてしまう。私も好きだよ、きみのこと。そう胸の中で呟いて、意識を手放した。

 

次に起きた時はマスルールの腕の中だった。大事そうに抱きこまれていては、腕の中から逃げ出すこともできやしない。私がじっとしていられる性分であれば、そのままずっとマスルールが起きるまでぼんやりしていられたのだが、残念ながら寝起きを待っていられる人間ではなかった。

 

「起きて、マスルール」

「…………」

「起きないならせめて、腕の力を緩めて」

「……、おれ、まだ眠いです」

「私は眠くないの。起きて。仕事の準備もしなくちゃ」

「それは大丈夫です。ちゃんとシンさんに許可を、もらったんで。休暇の」

「いつのまにそんな根回しを……。ともかく、私は休みだとしても寝台でじっとしていることができない性分なの!だから、ほら」

「……はあ」

 

いつもの気の無い返事なのか、ため息なのか、息を吐き出したマスルールはゆっくりと腕を持ち上げた。腕の中から抜け出して、服を着る。寝台に腰掛けて、マスルールの髪を撫でた。

 

「きみはまだ寝ていていいからね」

「……はい」

「ところで、媚薬のことなんだけど、大丈夫?体に障りはない?」

「そうっすね、多分。……ジャーファルさんの言った通りです」

「つまり?」

「まずいだけで、効果はない」

「そう……」

 

つまりマスルールにはあれだけ体力と精力があるということであり、なんだったらまだ余裕であるということだ。今まで手加減されていたことを知るとは思わなかった。媚薬の効果だと言われた方がよっぽど安心するな、と心のうちでそっと呟く。願わくば本物の媚薬と出会わないことを祈るばかりだ。

 

 

 

 

 2015.06.12 - 2020.09.26