テーブルの上に二つ三つの空き缶があった。開けていない缶もある。テーブルの向こう側には赤らんだ頬のシン先輩がいた。缶を手に持っている。同じものを俺も持っていて、同じように頬を赤くしていた。他愛のない会話を繰り返し、どうでもいい冗談を連発しては、ふたりして大笑いする。素面ならば到底笑えない冗談も、おかしくてたまらなかった。
何がきっかけでそうなったのかはよく覚えていない。
折角の連休だ、遊ぶついでに泊っていけ、という話になって、どうせなら羽目を外そうとか、そういうことになったのだと思う。シン先輩は体格も良いし、普段行かないコンビニに、私服で行けば学生とバレる確率は少なかった。実際、何度か買ったこともある、と言った。だが、ジャーファルさんに見つかり、これ以上ないというぐらい怒られてからはやめたそうだ。
「だいじょうぶですかねェ」
「なにがだ?」
「だって、ジャーファル先輩、お隣なんでしょう?」
「バレたら首を絞められる。だから、夜になってからこっそり……と思っていたのに、開けちゃったなぁ」
にこにこしながら言う。俺も首を絞められるんだろうか。怒られる度合いとしてはシン先輩の方が大きいだろうからいいや、とひとくち飲む。ふわふわしていい気分だった。楽しい。思考力が麻痺しているのが自分でも分かる。だけど、いいや、と更に飲む。
「……怒った時のジャーファルはかわいい。いや、怒った時もかわいい」
とろんとした目付きで、唐突に言い始める。
シン先輩はジャーファルさんのことが好きだ。ジャーファルさんについて語る時の表情でどれだけ大切に思っているのかよく分かる。俺もジャーファルさんのことが好きだ。一応は恋のライバルになるのだろうが、あまりギスギスした感情はない。それは、ジャーファルさんが恋愛ごとに疎過ぎるのもひとつの原因で、シン先輩なら諦めがつくなァと思っているのも理由のひとつだ。
「俺は、怒られるのヤですけど」
「眉間がきゅーっと寄って、下から睨みつけられると、この辺りがきゅうっとする」
と、握り拳で胸をとんとんと叩く。シン先輩がジャーファルさんに怒られているのを時たま目撃するが、その度にニコニコと笑っている理由が分かった。ちゃんと反省してるんですかっ、と問いかけられて、うんうんしてる、とにこやかに言える理由も分かった。つまり反省していない。反省しなければ、また怒られる。怒られるとかわいいジャーファルさんを見ることが出来る。その繰り返しだ。同情を禁じ得ない。
「俺は、きょとんってした顔が、好き、ですかねェ」
突拍子もないことを言うと、目を見開き、二三度瞬きをしてじっと見つめ返してくる顔が好きだ。その後、呆れてため息を吐くのも含めて好きだ。胸のところがくすぐったくなる。
シン先輩は、うんうん、と同意するように頷いている。どこが好きか、どこがかわいいか、言い合い、頷く、を繰り返していた時、部屋のドアが開いた。視線の先にいるのは、ジャーファルさんだ。制服を着ている。図書館に行き、いま帰ってきたところだろう。
「……あなたたち」
テーブルの上の空き缶に眉を寄せた後、シン先輩と俺の顔を交互に見つめた。頬が引きつっている。
「なにやってるんですか」
シン先輩に視線を留め、キッと睨みつける。素早く手に持っていた缶を取り上げ、きつい口調で叱りつけた。
「後輩にまで飲ませるなんて!」
「……ごめんなさい」
「謝ればいいってもんじゃありません」
「ごめんなさい」
「もう!」
真面目に聞いていないと判断したのだろう、軽く頭を叩く。ぺしっ、と音がしたが、さほど強くない。シン先輩はへらへら笑っていた。怒られて幸せそうだ。ジャーファルさんはテーブルの傍らに膝を付き、俺の方へ向き直る。
「きみも」
深い溜息を吐き出す。同じようにへらへらと笑っている顔に怒る気力も失せたのだと思う。
「……ちゃんと断りなさい」
今度は俺の持っていた缶を取り上げ、テーブルの上に置く。
「はぁい」
ごめんなさい、と深々と頭を下げると、反省しているのかな、と呆れまじり呟く。多分、酔いが醒めたらしこたま怒られる。確実に怒られる。でも、いまはさほど怒られない。いまは怒っても無駄だと分かっているからだろう。
「いま、お水もってきますから」
と、立ち上がりかけたジャーファルさんの手首をシン先輩が掴んだ。
「ジャーファル」
「なんですか」
「おまえは、本当にかわいいなぁ」
「は?」
言うが早いか、引き寄せ、膝の上に坐らせた。いきなりのことで対応出来なかったのか、すとんと膝の上に収まったジャーファルさんは目を白黒させてシン先輩を見る。
「な、な、な、なにを!」
「んー?」
子供みたいな仕草で首を傾げた後、胸元に頬を擦り寄せた。すりすりすり、とシャツの感触を楽しんでいる。正しく言うならば、シャツの下にあるやわらかな膨らみの感触を。
「この、酔っ払い!」
顔を赤くしたジャーファルさんが、シン先輩の頭を両手で押し返そうとするが、力では敵わないらしく、余計強く抱き寄せられている。いいなァ。ぼんやり見ていると、不意に顔を引き剥がし、じっとジャーファルさんを見つめた。ジャーファルさんはすこし安堵した表情で、それでも言葉厳しく「はやく離してください」と訴える。
「おまえはかわいい」
「はいはい、あなたもかわいいですよ。だからいい加減離して」
適当に返事をし、今度は腰に巻きついた腕を引き剥がそうと画策していた。そちらに気を取られて、シン先輩が顔を近づけていることに気付いていない。
「そうか、俺もかわいいか」
にこにこと嬉しそうに笑い、そのまま頬に唇を押しつけた。驚いて何か言いかけたジャーファルさんの唇にも唇を押しつける。先輩は酔うとキス魔になるんだなァ、と感心したように思い、何をするでもなくぼんやりと見つめた。
深くなる口付けを見つめ、ジャーファルさんの唇はやわらかいのだろうか、なんてことを考える。ようやくのこと解放されたジャーファルさんの頬は赤い。罵倒なりしたいのだろうけど、唇をぱくぱくさせるばかりで何の言葉も吐き出されなかった。
俺の視線に気付いたのか、シン先輩が手招きする。のこのこと近づけば、首の後ろに手を回され、引き寄せられて俺の唇も塞がれた。厚みのある唇が押しつけられ、遠慮なく舌が入り込んで、口の中を探る。敏感なところを舌先で弄ばれ、頬が熱くなった。唇が離れた後、慌てて押さえる。シン先輩はご満悦そのものの顔で笑っていた。
「仲間はずれはさびしいだろう」
そんなことは一言も言っていない。ジャーファルさんは心底呆れた顔をして、頭を押さえた。
「……なんて質の悪い」
同意せざるを得ない。
「口付けぐらい大したことではないだろう?」
得意げに言い、またしてもジャーファルさんの唇を塞ごうとする。今度は、白い手のひらによって阻止された。
「いい加減にしてください」
握り拳が作られている。言葉での警告が無駄ならば、実力行使、という訳だ。正直な話、今の状態のシン先輩には無意味だ、と思う。にこにことした笑顔はさっきから変わっておらず、腰を抱き寄せていない方の腕が不穏な動きをしている。膝の辺りを撫で擦り、少しずつ上の方へ移動していた。もちろんそのことには気付いていて、身じろぎをして、手の動きを制する。
「この……っ」
限界を迎えたのか、握り拳を振り上げ、しかしその手はあっさりと封じられた。両手首を掴み、万歳の形にする。触る腕はなくなったが、身動きが取れなくなった。目の前にあるジャーファルさんの背中を見つめながら、いまなら触っても殴られないなァ、とふと気付く。後から怒られるだろうことは覚悟の上で、手を伸ばした。うなじの辺りから腰まで人差し指で撫で下ろす。背中が仰け反る。
「……ッ」
両手首を掴まれたまま、振り返り、何してるの、と怒った声が響く。
「大丈夫ですよォ。背中、さわるだけですから!」
安心させるように笑顔で言うと、睨まれた。かなり怖い。今度は両手のひらで脇腹で撫で擦る。
「くすぐったい……!」
無防備な脇から脇腹を、指一本でそろそろと撫でると、やめてってば!と怒られた。よほどくすぐったいのか、目が潤んでいる。おかげで先ほどより怖くない。意を決して、手をお腹の方へ回す。
「な、なに」
「先輩、俺、へそが見たいんです」
背を向けているから見ることは難しいが、触ることは出来る。へその辺りのボタンを探り、ひとつ外す。もうひとつ外そうか考えていると、
「この状態では、へそは見れんだろう」
ジャーファルさんの手首を解放したかと思えば、逃げる隙も与えず、体を反転させ、膝の上に坐らせた。右手は腰に回し、左手は手首を掴んでいる。あまりの早業に、目が合ったジャーファルさんも、俺も、きょとんとしていた。すごいなこの人、と感心しながら、視線を落とす。肌色が覗くわずかな隙間に指を引っかける。シン先輩の腕がちょっと邪魔だったけれど、へそを見るだけならば、なんの支障もない。白いお腹に、丸くへこんでいる部分がある。そろそろと指を伸ばし、まずはへその回りに輪を描く。へこんだ部分に指を押しつけ、軽くぐりぐりする。
「や、やめなさい!」
同時に左頬に衝撃が走った。目の前に星が回る。左手首はシン先輩に掴まれているけれど、右手は掴まれていなかった。
「さっきからなんなの。人が下手に出ていれば調子に乗って!」
全然下手ではなかったと思う。が、頬を張られたことで少し酔いが醒めた。改めて考えてみてもこれは強制セクハラだ。訴えられたら確実に負ける。
「す、すみません」
左頬を押さえながら謝れば、はぁ、と息を吐き出す。
「きみだけでも正気に戻ったんならいいよ。問題は」
ちらりと振り向く。振り向いた先にいるシン先輩はやっぱり笑顔で、シャルルカンがかわいそうだろう、と呑気に呟いている。
「シン先輩、しっかりしてくださいよォ。ジャーファル先輩、困ってます」
「困っているのか」
「ええ、困っています」
「それは、悪かったなぁ……」
「分かったんなら、離し、て……ッ!」
急に大きく目を見開いたジャーファルさんが、体をくの字に折り曲げた。
「ど、どうしたんですか」
床に額を押しつけたまま、首を振るう。耳が赤い。うなじまで真っ赤に染まっている。おろおろしていると、搾り出すような声で訴えた。
「……シャルルカン」
「は、はい!」
「この、バカ、……っ、張り倒して……!」
「へ?」
このバカと称されたシン先輩の顔はさきほどと変わらず、一体何が起こっているのか分からない。ジャーファルさんの方へ視線を移せば、体を丸めて、必死に声を殺しているようだった。よくよく見れば、腰に回していた腕が、スカートの中に潜り込んでいるような……。腕を引き剥がそうとするジャーファルさんの爪が喰い込んで、引っ掻き傷さえ作っているのに、やっぱり笑顔は変わらないままだ。
「……先輩、それは完全にアウトです」
幸せそうな顔して何してるんだこの人。どうにかして引き剥がさないといけないとはいえ、相手は尊敬する先輩だ。頬を引っぱたくのは抵抗がある。まずはスカートの中に潜り込んだ腕をどうにかするべきだろうと、手をかける。ぐっ、と力を込めて剥がそうとするが、全然動かない。腕力はさして変わらないと思っていたけれど、そうではなかったようだ。諦めず、腕を引っ張る。
「やっ、や、だめ……っ」
「え、でも」
「だめ……!」
首を振るい、必死に制止を求める。本当に何をしているんだろう、とシン先輩を見れば、笑顔は笑顔だったが、さきほどの笑顔とは違い、目を細めて、微笑んでいる風だった。……ちょっとうらやましい。ここまで酒癖が悪ければいっそ幸せだったのに、と羨む気持が出てきて、慌てて振り払う。抵抗がある、などと言っている場合ではない。ジャーファルさんの貞操を守るため、シン先輩が犯罪者になるのを防ぐため(もう遅い気はしたけど)、手を振り上げる。とはいえ、思いきりという訳にはいかないから、ペシッと音を立てる程度の強さで頬を何度か叩いた。
「もぉー、しっかりしてくださいってば!」
「しっかりしているが」
真顔で言い切った。しっかりしているならこんなことしないでしょうに……、呆れながら再度頬を叩く。痛覚が鈍っているのか、頬を叩いても反応が薄い。もう少し強く、と手を振り上げた時に、シン先輩が口を開いた。
「へそは見たのか」
唐突な質問に虚をつかれ、手が止まる。
「は、はい。見ましたし、触りました」
「良かったなぁ」
「ええ、まァ……」
見れたし、触れたし、それで満足といえば満足だけれど、その後すぐに頬を張られた衝撃で詳しい感触は思い出せない。
「……呑気に、会話、ッ、なんかして……!」
呻き声が聞こえて我に返る。そうだった。はやく助けないと。ジャーファルさんの肩はちいさく震えている。時々鼻を啜る音が聞こえて、泣いているんだと察せられた。噛み殺しきれなかった声が零れている。銀色の髪が絡む首はいつもと違い真っ赤で、見ていると居たたまれない。その癖、目を離すことが出来ない。やわらかそうなうぶ毛が目に入る。無意識のうちに、指を伸ばし、そろりと撫でた。
「っ、は、……ッあ」
大きく体が揺れる。好奇心が疼いて、抑えられなくなる。赤く染まったうなじに指を置いて、軽く爪先で皮膚を引っ掻く。髪の根元を撫でる。
「やめ……っ」
切羽詰まった声は、体の奥に火を点ける。顔を近づけ、うなじに唇を押しつけた。うっすらと汗が浮かぶ皮膚を舌先で突き、その後吸い上げる。
「もう、やだ……」
ほとんど泣き声で、胸に罪悪感が落ちてくる。落ちてきた罪悪感は背徳感にすり替わり、もっと意地悪なことをしてみたいという欲に変わった。唾液を塗り込めるように舌を這わせる。震えが伝わって、ぞくぞくした快感が体中を駆け巡る。
どんな顔をしているのか見たい。スカートの中に手を入れられ、肌を舐められて、泣いて制止を求めるとき、どんな表情をしているのか。
唇を離すと、安堵のためか、わずかに弛緩する。だが、肩に手をかけるとぎくりと体を強張らせた。意図を察したのだろう、嫌々をするように頭を振るうが、碌な抵抗も出来ず、上半身を抱き起こされる。
「あ……」
潤んだ目が向けられた。頬も鼻先も真っ赤で、唇は唾液で濡れている。震えが全身を走った。この顔を見たかった。怯えと、快感で震える顔を。口の端に唾液が零れているのを見て取り、唇に笑みが浮かぶ。手を伸ばし、唾液を拭い取る。
「……先輩」
顔を反らそうとするのを阻止するように、頬に手を沿え、こちらへ向かせる。震える唇が、見ないで、と訴えた。願いを聞き届けようにも、自分の意志では反らせない。そのくらい羞恥に赤らんだ表情は魅惑的だった。
赤く熟れた唇が誘う。噛みつくように唇を合わせる。ジャーファルさんの唇はやわらかかった。貪るように口付けをすれば、僅かな隙間を縫って、吐息が零れる。舌を挿し入れ、縮こまっている舌を絡めとる。唾液を流し込み、同時に舌先で唾液を掬い取り、交換する。唇を離せば、空気を取り込むように肩で息をした。
「お願い、もう」
新しい涙が頬を流れて、胸が締めつけられる。やめようと思う。いまだってもう十分に傷つけているし、これからもいままでのように、なんて無理だ。でも、いまならギリギリで後戻り出来る。そう分かっているのに、体中に欲望が渦巻いていて苦しい。これ以上のことをされたら、どんな表情になるのか知りたい。
その思いを振り切るように、テーブルの上に置いてあった飲みかけの缶を手に取り、一気に煽った。ぬるくなって、炭酸が抜けた液体が胃の中に落ちる。ジャーファルさんが目を見開き、
「バカじゃないの……!」
と、言った。ですよねェ、と笑ってみせる。ジャーファルさんえろいで頭の中が占められていて、さっきまで飲んでいたのが酒であるということをすっかり忘れていた。わざとじゃない。本当にわざとじゃない。真面目な顔で、ジャーファルさんに向き直ると、びくっと肩が揺れた。
「もう一回、ちゅー」
再度、唇を塞ぎ、舌を弄ぶ。生暖かくてやわらかい舌は生き物のようだ。逃げようとする舌を追いかけて、吸い上げる。いつまでもこうしていたい。唇の合間から水音が聞こえて、欲を煽る。押しのけるように肩に手を置かれた。掴まれていない右手で必死に押しやる。
「……ッ、ぁああ!」
肩に爪が喰い込み、痛みに眉を寄せた。シン先輩の指が更に奥へ滑り込んだのだろう。
「やめてって、言って、るのに……!」
「……どちらに言ってる」
シン先輩が耳元で囁く。低く、甘やかすような、それでいて命令するような強さを含んだ声で。こちらまでぞくぞくする声だった。ジャーファルさんは、耳元で囁かれる声から逃げるように身を捩り、「ふたりとも、です……っ」と言葉を搾り出す。
「そうか」
シン先輩はあっさりと腕を引き、近くに置いてあったティッシュの箱に手を伸ばす。指先には粘液が纏わりついて、光ってみえた。指を引き抜かれて心底安堵したのだろう、力が抜けた体をシン先輩に預け切っている。さっきまで肩に置かれていた腕も力なく項垂れている。同じ姿勢でいることがきつかったのか、おそるおそる足を崩した。深く息を吐き出す。
胸が締め付けられる。かわいそうに思ってのことじゃない。目の前で、他の男に寄り添っている姿に胸が痛み出したのだった。先輩になら、なんて思っていた筈なのに、実際目の当たりにすると苦しかった。
「……手、はなしてください」
ジャーファルさんがぽつりと呟く。シン先輩は「……ん」と答えただけで、手首を離す気配はない。
「おまえはかわいい」
そう言い、首に唇を押しつける。同時に手を伸ばし、ネクタイを緩めた。油断しきっていたためか、逃げ出すことも出来ず、引き抜かれたネクタイであっという間に後ろ手で縛られる。それはこれから起こるだろうことを示すには十分だった。みるみるうちに顔が青ざめ、体を固くする。ひとつひとつシャツのボタンが外されていく。
「やだ、やだ、もう嫌っ!いい加減にして!どうしてこんなことするの!きみも、見てないで止めて!」
睨みつけられて、体が跳ねる。慌てて、ボタンを外すシン先輩の両手に手を重ね合わせた。シン先輩の手は大きくて触れられると気持良さそうだった。
「えーっと、その」
何を言えばいいのかわからない。目の前にさらけ出されたジャーファルさんの白いお腹と、幸せそうに微笑むシン先輩の顔を見比べ、頭の中がぐるぐるする。さっき飲んだ酒のせいもある。必死に探って出て来た言葉は、
「先輩って、好きな人いるんですか」
「はあ?!」
あまりにも場違いな質問だった。困惑も露に、まじまじと俺の顔を見つめる。
「俺も、知りたい」
シン先輩の手は止まっている。
「……言いたくありません」
素っ気なく吐き出された言葉に、シン先輩の手が動き始める。俺の手は上に乗っかっているだけなので、大した制止力はなかった。
「い、いません!好きな、人なんてっ」
もぞもぞと動き始めた手に慌てて答える。手が止まる。
「本当に?」
表情から言葉の真偽を確かめようと顔を覗き込むと、視線から逃げるように顔を反らした。
「……いたと、しても、きみたちじゃ、ない」
「誰ですか」
好きな人、と更に顔を近づけた。ジャーファルさんはそっぽを向いたまま、拗ねたように答える。
「関係ない、でしょう」
「あります」
「……どうして?」
言葉に詰まって、黙り込む。黒めがちな瞳がまっすぐに見つめてくるのが気まずくて、視線を落とす。視線の先には白いお腹があった。
「ジャーファル先輩のへそってかわいいですよね」
指を伸ばし、へこんだ部分に突っ込み、くりっと撫でる。
「ひゃ……っ」
その声が可愛くて、更にくりくりと指先で撫でた。
「そんなとこさわらないで!」
「……へそじゃなければさわっていいのか」
シン先輩の指が、お腹の辺りから胸の方へ動く。
「だめに決まっているでしょう!」
「じゃあ、どこならいい」
「全部だめです!」
「そんなこと言われると、全部さわりたくなるなぁ」
大きな手のひらが肌を撫でる。唇を首に押しつけながら、手のひらはお腹や脇腹を探った。その度にびくびくと震える。逃げ出すことも出来ず、蹂躙されるままだ。見ているだけでは詰まらないので、足を撫でることにする。指先で太ももをなぞり、少しだけスカートの中に滑り込ませてみる。さすがにシン先輩のようにがっつりと手を差し入れる勇気はなかった。
「……もう、好きにしてください」
散々撫で回され、抵抗を諦めたのか、ぐったりした様子で言葉を落とした。
「いいのか?」
「だって、やめてって言っても、やめてくれないんでしょう……」
弱々しく呟いて、鼻を啜る。
「ああ、やめないな」
迷いなく肯定し、頬に唇を押しつけた。お腹や、脇腹、脇下を撫で回していた手のひらが胸の方へ移動し、下着ごとささやかな膨らみを包み込み、やわやわと揉みしだく。ぎゅっと目を閉じ、唇を噛み締め、堪えている。白い肌は薄桃色に染まり、うっすらと汗が浮かんでいた。
「……かわいいなぁ」
「うるさい」
小ささをからかわれたと思ったのだろう、忌々しそうに呟く。
「俺は、たまらなく好きだが」
そう言い、下着を上にずらし、直接撫で回し始めた。日に焼けた指が白い乳房に食い込む。指を動かすたびに、乳房は形を変える。その様子をじっと見つめていると、シン先輩と目が合った。お前は、と問いかけるような視線に顔を伏せる。そのまま顔を下ろし、お腹に口付ける。びくっ、と体が跳ねた。舌先でへその回りを舐め回し、音を立てて口付ける。
「……なんなの、きみは」
呆れまじりの声が聞こえた。へそのまわりは唾液に塗れ、いやらしく光っている。それを満足げに見つめ、次に足の方へ視線を移した。スカートと黒いハイソックスの間の白い肌に手のひらを置く。すべすべした手触りが気持良くて、何度も何度も撫で擦る。さっきは勇気の出なかったスカートの中に思い切って滑り込ませると、体が強張った。ちらり、と視線を向けると、怯えた目とかち合う。物言いたげに開いた唇が開いては閉じる。何を言ったところで無駄だと思っているのか、諦めて、目を閉じた。
指先に布が触れる。足の付け根の沿うようにして指を移動させた。布の上から秘部をなぞる。湿っているのが分かる。そろそろと下着の中に指を滑り込ませる。粘液が指に纏わりついて、不思議な気持になった。散々嫌だと言ってるにもかかわらず、体は反応を示している。どの辺りで受け入れるのだろうと弄っていると、不意に指が埋まった。
「……ッ!」
きゅうっと指を締めつけられた。視線を上げ、この辺りが良いのだろうかと指を抜き差ししてみたり、中を探ってみたりする。
「あっ、あ、いや!」
潤んだ目が制止を求めた。白い肌が上気する様子や、まるっこく愛らしいへそ、すらりと伸びた足は確かに魅力的なのだが、なによりも欲を煽るのは目だ、と思った。指を抜き取り、代わりに下着に引っかけ、すこしずつずり下げていく。太ももの辺りまで下げると後は簡単だった。剥ぎ取った下着は床に放り、向き直る。前をくつろげた後、足の間に体を割り込ませ、起ち上がった性器を取り出す。先端は先走りでぬるぬるしていた。
「……先輩」
体を進めようとしたら、押し止められた。右肩に足が置かれている。見れば、必死に首を振るい、
「それはだめ……!」
と訴えた。だめ、出来ない、怖い、と言葉を続ける。
「でも」
「おねがい、……許して」
震える声が許しを乞う。足を上げたことで、スカートが大きく捲れ上がり、太ももが露になっている。ごくりと咽が鳴る。理性を引き千切るには十分な光景だ。それでもなんとか繋ぎ止め、視線を戻す。動きを止めたことで、すこし表情が和らぐ。
「好きにしていいと言ったのはおまえだろう」
「……っ!」
胸の先端を指先で捏ねくり回すようにしながら、シン先輩が耳元で囁く。身を捩らせるけれど、逃げることは出来ず、更にスカートが捲れる。肩に置かれていた足が落ちる。しばらくそうして楽しそうに弄んだ後、ジャーファルさんの肩を掴んで、俺の方へ押し寄せた。受け取って抱き寄せる。熱い息が首筋にかかり、背筋が震えた。
シン先輩は立ち上がり、机の引き出しを開け、なにやらごそごそしている。何かを手に持ち、坐ると、手を伸ばし、ジャーファルさんを引き戻した。その後、俺の方へ手を差し出す。手に握られているのはコンドームだ。
もしかしたらとっくの昔に酔いなんか醒めているんじゃないかと思ったのはその時だ。だからといって、この状況で止めるなんて不可能で、コンドームを受け取り、多少もたつきながら装着する。今更ながら心臓がどきどきしてきた。
両足を抱え、体を進めた。ジャーファルさんは、いやだ、とは言わなかった。諦めたように目を閉じ、俯いている。
「……あの」
なに、と顔を上げて、俺を見る。
「あの、俺、初めてで、うまく出来なかったら、すみません」
「……嘘」
拗ねた声で呟く。
「いや、本当に、初めてで」
頬が熱い。俺がいままで何人かの女の子と付き合ってきたことをジャーファルさんは知っている。それはとっかえひっかえと言われてもおかしくない人数で、それなのに経験がないなどと言っても、誰も信じてはくれないだろう。けれど、本当に初めてだ。そういう雰囲気になったことは何度もあるが、邪魔が入ったり、俺が怖じ気づいたり、相手が怖じ気づいたり、とことごとく機会がなかった。
「だから、初めてがジャーファル先輩で嬉しい、です」
しばらく俺の顔を見つめた後、視線を反らした。
「……わたしは、うれしくない」
「先輩、は」
そっぽを向いたままの横顔を見つめ、短く息を吐き出してから訊ねる。
「初めて、ですか」
多分そうだろうとは思うけれど、確認しておきたかった。
「そうだよ、悪い!?」
怒鳴られ、慌てる。
「初めてなら、俺より、シン先輩が先の方が……」
「この状況で、どっちが先だってかまわないよ!どうせ、どうせふたりとも、するんでしょう」
最後の方は消え入るような声だった。ぐす、と鼻を啜り、唇を突き出す。
「でも、痛いかも……」
「じゃあ、やめて」
「それは、あの、結構、ぎりぎりで」
「……じゃあ早く終わらせて」
今更ながら怖じ気づいて、迷い始める。俺は初めてがジャーファルさんで嬉しいけれど、初めてが俺なんかでいいのだろうか。ジャーファルさんは、好きな人はきみたちじゃない、と言ったけれど、その言葉は嘘で、本当はシン先輩が好きなんじゃなかろうか。そうだとしたら、せめて、こんな状況だとしても、初めてはシン先輩の方がいいんじゃないか。そんな考えでぐるぐるし始めた。
「シャルルカン」
シン先輩の声に顔を上げる。至って真面目な顔で口を開く。
「怖いのなら、俺が先にしよう。ただ、さっきから我慢しているからな。ジャーファルの体を気遣う暇はない。いくら痛いと言われようとも、やめてと言われてようとも、欲望のままに突き入れ、腰を掴んで揺さぶる。泣いてもやめない」
きっぱりと言い切った。ジャーファルさんの表情は強張り、青ざめている。
「……おまえの方がまだマシだろう」
笑い、頭をくしゃくしゃと撫でる。本当にそれでいいのだろうか。ジャーファルさんの方を見遣ると、やはり青ざめた表情のままで、おそるおそる口を開く。
「きみ、が」
いい、と震える声が囁いた。全身が熱くなる。迷いや怯えは一瞬で消え去り、残るのは情欲だけだった。どちらがマシか、そんな選択肢だ。それでも、俺を選んだ。俺がいい、とそう言った。
「もう一度」
「……きみが、いい」
たまらない気持になって唇を塞ぐ。先端が肉に埋まる。
「んんっ、……は、あっ……」
異物を受けつけまいとする肉の壁をすこしずつ、けれど確実に押し開いていく。ジャーファルさんの中はあたたかくて締めつけてくる。散々指で弄られたせいか、思っていたよりは抵抗が少ない。すこしずつ、すこしずつ、押し込め、中を抉る。ジャーファルさんは唇を噛み締め、必死に声を殺していた。なんて可愛い顔をするんだろう。
「先輩、ジャーファル先輩……っ」
手を伸ばし、頬を包み込む。唇を押しつけ、呼吸ごと奪う。
「ふ……っ、ぁあ、っ!」
深く突き入れられ、体を反らせるが、後ろ手で縛られている上、背中をシン先輩が支えているため逃げ道がない。ただ性器を飲む込むしかない。大部分を納めてから、動きを止める。きつく締めつけてくる肉の感触に頭がぼんやりとして、何も考えられない。出来る限り優しくと思っていたけれど、難しいことだった。たまらなく気持良い。
「……だい、じょうぶですか」
肩で息をしながら、問いかける。ジャーファルさんはただ頭を振るい、ぼろぼろと涙を零した。
「痛く、ないですか」
泣き止むのを待ち、呼吸が落ち着いてきたところで再度問いかける。擦れた声で、すこし、と答えた。
「ん……っ」
シン先輩の手が肌を撫でる。きゅっ、と襞が収縮し、締めつけた。見れば、シン先輩も苦しげに眉を寄せている。
「あー、動きますね」
「だめ……!」
「なんだ、ずっと銜えこんでいたいのか」
からかうような声に頬に朱が走った。そんなこと、と抗議を上げる唇を塞ぐ前に俺に目配せをする。
「ん、んんっ、……ッう」
性器を途中まで抜き、押し込む。何度も何度も腰を打ちつけ、ひたすら快感を貪る。達したが、精液が膣内に吐き出されることはない。深く息を吐き出し、性器を引き抜く。
「噛まれた」
笑いながら呟いたシン先輩の唇に血が滲んでいる。ジャーファルさんはぼんやりした目で、何を考えているのか分からなかった。大丈夫か、と頭を撫でるシン先輩に、頭を振るだけで何も言わない。無理矢理犯されたも同然なのだから仕方ないのだろう。
謝ろうにも言葉が浮かばない。シン先輩は、落ち着きなくそわそわし出した俺に笑みを向け、ジャーファルさんの腰をぐいっと引き寄せ、膝を立たせる。同時に、俺の方へジャーファルさんの上半身を押しつけた。
「ちゃんと支えていろ」
「――ああ……っ!」
スカートを捲り上げ、なんの前置きもなく挿入した。一度受け入れたとはいえ、慣れていないそこは性急な責めには堪えられないのだろう。すぐ耳元で、いやいやと泣きじゃくる声が響く。腰を打ちつける音と、性器が擦れ合い、粘膜が掻き混ぜられる音が聞こえてくる。
犯されている。そうとしか言いようがなかった。俺はどうすることも出来ず、震えるジャーファルさんの肩を抱きしめ、それから宥めるように頭を撫でる。
「や……っ、髪、さわらないで!」
叫ぶように言われ、慌てて手を除ける。シン先輩は、その言葉に動きを止め、目を細めた。
「抜いて、もう、……いやです」
シン先輩の指が伸びる。うなじをゆっくりと撫で上げ、髪の中に手を突っ込み、優しく撫でた。腕の中の体が震える。多分、首の辺り、それから髪を撫でられるのが弱いのだろう。
「……分かるか」
お前の中に全部入った、と髪を撫でながら囁く。その声は欲に塗れて、熱っぽい。俺は、その声に込められた欲を知っている。同じものを抱えている。だから、止めることは出来ない。
悪い、と言葉を落としたシン先輩は腰を動かし始め、ジャーファルさんが泣いて許しを求めてもやめることはなかった。どうしてだろう。悪い、という言葉はジャーファルさんだけでなく、俺にも向けられているような気がした。



「拭いてやれ」
真新しいタオルを受け取り、はい、と頷く。ジャーファルさんはもう泣いていなかった。頬に涙の跡がこびりついている。それを優しく拭き取る。
「……手」
擦れた声でぽつりと呟く。手はまだ縛られたままだ。背に腕を回し、きつく縛られたネクタイを解く。ネクタイは多少暴れても解けないように縛られており、そこに込められた感情にぞわりと体が震えた。
体中の汗や唾液を拭き取る。いつの間に付けたのか、首や肩の辺りに赤い跡が散らばっていた。一瞬躊躇いを覚えたものの、足の間も丁寧に拭き取った。タオルに滲んだのは赤い血だけで、精液はない。
「拭いたか?」
「……はい」
シン先輩はくしゃくしゃになったシャツや下着を手早く剥ぎ取り、大きめのシャツに着替えさせた。おそらくシン先輩のシャツだろう。身を清め、着替えさせても、ジャーファルさんはぼんやりしたままだ。
「あの」
おそるおそる声を掛けると、視線を向けた。
「……あなたたちなんてきらいです」
擦れた声でそれだけ言うと、のそのそと這うようにしてベッドに潜り込んだ。シーツを被って丸まる。きらいです、という言葉は胸に深く突き刺さった。
「ジャーファル、先輩」
「しばらくそのままにしておけ」
持ってきた水をテーブルの上に置き、丸まったままのジャーファルさんに手を掛ける。
「水を置いておく。気が向いたら飲め。俺たちはお前の部屋にいる。なにかあったらメールなりしろ」
そう言い、行くぞ、と目配せをする。部屋を出て行くシン先輩の背についていきながら、何度か振り返ったが、ジャーファルさんに動く気配はなかった。
部屋の外に出ると、夜風が頬を撫でた。ひんやりとして気持いい。ジャーファルさんの部屋と思われる扉の鍵穴に鍵を差し入れているシン先輩の背中に問いかける。
「勝手に入っていいんですか。その、女の子の部屋ですし」
「ああ、大丈夫だ。あと、女の子の部屋を期待するとがっかりするぞ」
躊躇いなくジャーファルさんの部屋に入っていく背に付いていき、言葉の意味を理解する。物が少ない。ぬいぐるみや、可愛らしい雑貨なんかは全くない。必要最低限の物しか存在しないような部屋だ。本の数は多かった。あまりきょろきょろと見回すのは失礼だろうと、窓から外を見る。真っ暗な景色が広がるばかりだ。家の灯りが闇の中にぽつぽつと灯っている。
「何か飲むか」
「……酒以外ならなんでも」
「飲もうにも置いてきた」
笑いながら、冷蔵庫の中から麦茶が入ったボトルを取り出した。ふたつのコップもテーブルに置く。ひんやりとした麦茶は体に染み入るようでおいしかった。
「……あの」
「あれは、一度懐に入れた人間にはとことん甘いからなぁ。俺が半殺しにされるだけで、お前は精々首を絞められる程度だろう」
「一生、口を聞いてくれないってことは、ないんですか」
「一週間ぐらいは、可能性があるな」
そのぐらいで済めばいい、と心から思った。考えれば考えるだけ、したことに対する罪悪感が募って、気持が沈む。やるんじゃなかった。止めればよかった。後から後から後悔が沸き出して、いますぐにでも土下座して謝りたくなる。
「気にするな、とは言えんが、あまり深刻に考えるな。考えるならば、明日、あいつの顔を見てからだろう」
「そういう、ものですか」
「ああ」
シン先輩の顔は穏やかだ。いつもの、気のいい優しくて尊敬出来る先輩だ。ずっと好意を抱いていた幼馴染みを犯した人とは思えない。俺は、どんな顔をしているんだろう。好きな先輩を犯して、初めてを奪って。後悔している癖に、初めてが自分だと思うと満たされた気持がある。そんな自分にまた嫌悪を抱く。
「……ジャーファル先輩の、好きな人って誰なんですかね」
初めては好きな人が良かっただろうなぁ、と思い、ぽつりと呟くと、シン先輩が軽く目を見開く。
「お前、気付いてないのか」
「えっ!?先輩は知ってるんですか!」
「…………、いや、知らない」
「ええっ、絶対知ってますよね?!だ、誰ですか」
「知ってどうする」
「それは、謝る……?」
「謝れても困るだろう」
「ですよね……、大体、謝るならジャーファル先輩にですよね」
「そうだな。分かったらもう寝ろ」
就寝時間には早かったが、疲れていたし、眠って、一時的にでも罪悪感から逃れたかった。だが、安眠することは出来なかった。気分が落ち込んでいたこともあるが、俺が怒られるという理由で、ジャーファルさんのベッドを割り当てられたせいだ。女の子らしい甘い匂いがする、なんてことはなかったけれど、いつもここで寝ていると思えばそうそう簡単に眠ることは出来なかった。おかげで、次の朝は、早寝したにも関わらず寝坊した。目覚めて部屋を見回すもシン先輩の姿はなかった。慌てて、部屋を飛び出し、シン先輩の部屋のドアを開ける。
「……先輩!」
「なに」
答えたのはシン先輩ではなく、ジャーファルさんだった。昨日の夜、着せられた大きめのシャツではない。シンプルなTシャツと、下はジャージだ。シン先輩がジャーファルさんの部屋から持ってきたのだろう。
「あ、えと、ごっ、ごめんなさい!」
その場に土下座して、床に頭を擦りつける。こんなことぐらいで許されるとは思わないが、せずにはいられなかった。罵倒されるだろうか。罵られるならいい。何も言われないよりずっといい。目を閉じて、祈るように言葉を待つ。
「……もう、いいです」
落ちてきた言葉は罵倒ではなかった。
「へ?」
「もう、いいです」
顔を上げれば、ジャーファルさんの視線とぶつかる。その表情から感情は読み取れない。強いて言うなら呆れているように思えた。
「さっき」
息を吐き出し、言葉を続ける。
「思う存分シンに当たり散らしてすっきりしましたから」
「でも」
「当の本人がいいって言ってるんですからいいんです。これ以上、昨日のことについて話したくありません」
もうしゃべらないという意志を伝えるように、ぎゅっと唇を閉じる。
「シン先輩は……」
「シンは洗面所です。思いきり頬を引っぱたきましたから」
「じゃあ、俺も、引っぱたいてください」
「どうして」
「……俺も、同じことしたから」
「引っぱたいてもいいけど、私の手が痛いよね?」
「…………」
どうすればいいのだろう。このまま、なんの咎めがないのは苦し過ぎる。自分が楽になるために罰が欲しいのだろうと思う。罰さえ与えられれば、傍にいても許されるなんて思ってはいないけれど、このままでは犯した罪の大きさに潰されてしまいそうだ。
ジャーファルさんはしばらく考えこんだ後、口を開いた。
「それじゃあ、きみは」
「はいっ」
「今後一ヶ月、私に触れないでください」
「……はい?」
「だって、好きな人に触れられないのはつらいでしょう?」
さらり、と言った。頬が赤くなる。好きだなんて言った覚えはない。
「…………シン先輩ですか?」
「それもあるけど、……昨日、初めてが私で嬉しいって、言うから。ああもう!昨日の話はしたくないって言ったのに!」
頬を赤くして、苛立たしげに言う。
「でも、そんなことでいいんですか?」
「そんなことって言うけど、きみ、以前からスキンシップ多いし、結構つらいと思うけど」
確かに、俺のノリなら許されると思って隙あらばべたべたと触っていた。ジャーファルさんは、土下座している俺の目の前にぺたんと坐り、真顔で言葉を続ける。
「もし触ったら期間を一週間延ばします」
ぐっ、と顔を近づける。誰かが背中を押してくれれば、キス出来そうな距離だ。残念ながら誰も押してくれない。
「ちなみに、私から触れる場合は免除します」
そう言い、にっこりと笑う。笑顔はすごく可愛いのに、背中に悪寒が走る。すごく嫌な予感がした。
「仕方ないですよね。私にひどいことしたんだし、罰が欲しいって言ったのはきみだし」
「……はい」
素直に頷く以外にどんな選択肢があったのか、誰か教えて欲しい。


補足するならば、洗面所から出て来たシン先輩は両方の頬が真っ赤に腫れ上がっていた。半殺しじゃなかったなぁ、と笑っている辺り、本当に凄い人だと思う。


:この後、一ヶ月生殺し期間が始まるよ!